03《有り得ないなんて事は有り得ない》
翌朝目が覚めるともう九時だった。極度の低血圧人間にとって朝とはとてもとても辛いものだ。ふらふらと階下に降りると、綺麗にアイロンがけされた制服にエプロンを付けた夏美が食事を作っている。
「あ、おはようございます!」
「――――何をしている?」
「これからお世話になりますので今後は私が家事担当しますね! 朝ごはんできるまでもう少しかかるのでシャワーでも浴びて来て下さい」
聞き捨てならない言葉を聞いたような気もするがまだ回転数の低い頭の奥には届かない。シャワーを浴び部屋に戻って服を着替えた頃にはだいぶ頭も冴えてきた。
(服か……スウェットと制服だけだと辛いか。後で備蓄物から探させるか。)
食卓にはトーストに目玉焼き、野菜サラダ、と典型的な朝食が用意してある。
「あ、先座って下さい。コーヒー、ブラックですよね?」
なぜ断定型で言われたのかは分からないが、間違っていないので頷く。コーヒーは丁寧に入れたようで濃さも丁度良く美味い。まぁ豆が良いのもあるだろうが。
「……ありがとう。美味い。」
礼を言うと、うふふーと嬉しそうに笑いながら、寄ってくる
「いいえ~、それより何とも思いません? 女子高生の制服エプロンとか激しく萌えませんか!?」
紺のセーラー服に薄いブルーのエプロンが映えており、可愛らしいとは思うが、まぁそれだけだ。
軽く流して席に着き食事を始めると、向かいに座り食べ始める。
「そういえばお前……ここに居着くつもりなのか?」
「え! 当たり前ですよー行くとこ無いですし。真明さんも正直ここが日本だとは思ってないんでしょ?」
確かに、昨日寝ている間に地鳴りのような獣の遠吠えを聞いて何度か目が覚めている。周辺の変わりっぷりを含めて、ここが元いた場所では無いと考えるのが最も自然な答だろう。
「……食べ終わったら服を探すか。制服とスウェットだけだと不便だろう」
「え、あるんですか? 私、真明さんよりだいぶ小さいですけど」
「多分ある。地下の備蓄物は色々サイズが有るはずだ。少なくともフリーサイズの服は有る」
地下シェルター内の備蓄物の半分以上はシェルターの施工会社からのセット販売品だ。向こうから言われるがままに全て購入していたので真明も把握していない。今後は備蓄物のリスト作成も優先事項だろう。
食事を終えてから大きな布袋を二枚持ち地下のシェルターへ向かう。シェルターのエアロックを解除し始めるとパスコードを打ち込む場面で夏美は慌ててコードを見ないように後ろを向く。
「別に見ていても問題ない。コード入力はオマケみたいなもんだ。」
そう言いながら網膜と静脈をスキャンし、二重の生体認証を完了する。
プシュッっという音とともにシェルター内に入り、壁面にずらりと埋め込まれている金属チェストから『衣服(F)』とゴシック体のラベルが貼られた樹脂ケースを幾つか出して開けてみる。中には真空パックされた様々な衣類が詰め込まれており、軽く一箱に二十着以上は入っているようで、箱の数から考えてかなりの量になるだろう。この辺りから好きに選んでいいと言い残し、布袋を持って最奥部の部屋に続く扉のロックを開ける。ここは網膜の認証のみだ。
甲高い電子音と共に入るとそこは十畳程の正方形。真明が個人的に集めた物が収納されている、最もセキュリティレベルの高い部屋だ。
正面の壁一面には大小の銃器が掛けられており、背後の壁にはボディアーマーや防弾チョッキ様々な軍用装備類が吊るされている。銃器や軍用装備品の殆どは某在日軍からの横流し品だ。
左奥の壁際にはバイクが一台、KTM450SX-Fが整備資材やガソリン、軽油、エンジンオイル等の備蓄用燃料と共に置かれている。
右の壁には一面にメタルラックが備え付けられ、一抱えもある防災無線装置や軟質素材で出来たソーラーシステムがロールで何本か収納されている。
しかしメタルラックで一番目を引くのは最下段に積んである、整然とビニールパックされた大量の現金のブロックだろう。
それら他のものには目もくれず、ラック中段に畳んで置かれている灰色の防刃パーカーと隣に積んである七分丈の防刃シャツを数枚纏めて袋に入れ、その下の鉄芯入り編み上げブーツも袋に入れる。防弾チョッキも持ち出すかと考えたが、防刃パーカーにはセラミックのプレートが入っているし、今は要らないだろう。
最後に正面の壁からベネリM4を外す。ベネリM4は強力なショットガンで、真明も使い慣れており信頼もしている。ひと通り動作チェックしてからAP弾を込めていると、ふと違和感を覚える。
(やはりおかしい)
昨日夏美に預けたはずの拳銃『シグP250』が元通り壁に掛かっているのだ。
(昨日自分で持ち出し、その後夏美にお守りだと言って手渡した。勝手に戻そうにも……自分以外の人間がここのロックを解除する事など、もっと有り得ない)
部屋を出てみると、小さな服の山が出来ているがまだ全ては見終わっていないようだ。
「夏美。昨日渡した拳銃はどうした?」
「ちゃんと持ってますけど?」
と服を捲ってお腹からP250を取り出す。
「何処に入れてるんだお前は……。腹が冷えるだろ」
と言いつつ生暖かくなっているポリマー製の銃を受け取ると、武器庫に戻って確認する。
「うーむ……どうなってる……」
P250は一丁しか無かった筈だ。だが今は左右の手にある。どう考えても増えている。
分解してシリアルナンバーを確認すると全く同じナンバーだった。本来銃のシリアルは被ることはない。販売時や税関通過時にもチェックされる、銃の識別番号。指紋のようなものだ。
「何か有ったんですか?」
悩んでいると夏美が入ってくる。本来なら立ち入らせたくない場所だが、それ以上に悩んでいるので気にならない。
「いや、どう説明したものか……増えている、昨日の銃が。」
夏美にも現状を説明をする。
「ん……全く同じ物が増殖ですか……なんかアメーバみたいですね」
「いや、待て銃器を単細胞生物に擬えるのはどうなんだ」
「あはは、まぁ良いじゃないですか。それにそれ。増えても別に困らないじゃないですか」
「まぁその通りなんだがな……」
拳銃を指差しながらあっさりと言う夏美の反応の薄さに驚く。順応性の高さというか……若いって凄い。
「それよりここすっごいですねー! これ全部本物ですか? アメリカの映画みたい! ってうわっ! 私こんなに沢山のお金見るの初めてですよ! んーだめ! これ持ち上がんないわ!」
「もういい、早く服の続き選んでこい……」
追い出すとしばし考える。本当に増殖するのならそれも確かめなければならない。周辺の探索や備蓄物のリスト化もしたいがこちらを優先しよう。
「服を選んだら、実験を兼ねて必要そうな物を上に運びたい。手伝ってくれ。」
「分かりました、急ぎます!」
と更に真剣な顔で服を選びだした。あの調子ならもうじき終わるだろう。
途中で置いたままのベネリに残りの弾を込め、背負えるようにスリングベルトを付ける。
二丁に増えたP250を再度持ち出すため、二丁とも袋に入れる。後は実験の為、積んである札束の一部を袋に詰めて、袋を抱えて部屋の外に出ると夏美は服を片付けているところだった
床一面に広がった服の片付けを手伝ってから、一旦一階に上がって荷物を置き、新しい袋を持って再度降りる。今度は実験の記録を取るため夏美にノートとペンを持たせている。
二時間ほど掛けて持ちだしたのは、シェルター各部屋から食料品、衣類、寝具、雑貨、銃器、燃料、現金、貴金属。最後にオフロードバイク、KTM450を壁の簡易リフターで引っ張り上げた。
その後、昼食を作ろうと冷蔵庫を開けると昨晩使用した食材もやはり元に戻っていた
「昼食を終えたら他の階の物も移動させてみるつもりだが、大丈夫か?」
「全然疲れてないですよ。なんかむしろ体力上がってる気もしますし」
それは真明も感じていた。100kgを軽く越える重量のバイクを移動させた時もそれほど力を込めた記憶がないのだ。
「そうか、ならいい。色々動かす予定だからしっかり食べておけよ」
昼食後、小さなものではリビングのクッションから大きな物ではベッドのマットレスまで様々なものを動かした。
動かし方のバリエーションも、部屋の外に出す場合、部屋内で少し動かした場合、部屋内で大きく場所を動かした場合など、しっかり記録させる。
「後は……ガレージも試しておくべきか」
シャッターのリモコンを持って外に出ると、昨晩の霧はすっかり晴れており湿度もそれほど高くない。清涼感溢れる空気は濃厚で、日々タバコで汚されている呼吸器官が喜んでいるような錯覚すら覚える。
昨日は霧で見えなかったが、外壁門から続く林道のような小道はある程度の幅はある様でこれならギリギリ車でも移動できそうだ。
ガレージには大した物は入っていない。車二台と備え付けのミニキッチンとトイレのみだ。
車は燃費の良いセダンタイプのハイブリッドカーと大きな四輪駆動車だ。有名なハンヴィーに似ているが、これは国産車でメガクルーザーと呼ばれる陸自用高機動車の民生版で全くの別物だ。
実験のため、ガレージの外に出そうとメガクルーザーに乗り込むと、コンコンと反対側の窓を叩かれる。窓を下げると、
「助手席乗ってみても良いですか?」
と聞いてきたので無言でドアを開け、手を伸ばして引っ張り上げる。
「乗るのはいいがガレージの外に出すだけだぞ?」
「うふふ、分かってますよー」
と、何やら上機嫌だった。
そして車を降り、家に戻ろうとすると急に夏美が叫んだ。
「あ、あの真明さん、なんか向こうに人っぽいのを感じます!」
「例の気配ってやつか。どの辺りか分かるか?」
「はい、この方向に……多分二人です!」
ふむ……行くべきなんだろうか……いや、別に困っているとも限らんしな……そもそも気配を感じるってなんなんだ……と迷っていると、
「私みたいに困っているかもしれないです。見に行ってあげるんですよね?」
という言葉に押され、結局様子を見に行く事になってしまった。