38《全てはお風呂の為に。》
リアマーラは諦めていた。
空腹と極度の疲労、冷たい雨に体は冷えきり震えが止まらず、目も霞み、翼どころか足腰にも全く力が入らない、体は限界だ。
自分達を助けに来てくれたらしい兵士と、自分が兄と慕うインラウスが話しているのをぼんやりと眺めながら諦めの境地に入っていた。
素人のリアマーラにも状況は絶体絶命だと分かる。兵士とインラウスが話している間にも、馬に乗った兵隊が何度も近づいては離れを繰り返し、その度に魔道具で追い払ってくれている兵士達も表情には疲れが見える。
「なんで諦めないんだろ……」
これまでリアマーラは、インラウスを初めとする亜人の仲間達に助けられながら、貧民街でその翼を隠して生活してきた。
「人間にバレたら恐ろしい事になる」
死んだ母にはそう、何度も何度も言い聞かされていた。しかし逃げている途中、優れた嗅覚で追手が掛かったと気付いたインラウスに頼まれ、悩んだ末に皆が見ている中で翼を広げてしまった。
亜人に翼を見せる事に抵抗は無いが、一緒に逃げる仲間には人間もいる。貧民街で助けあって来た人間には良い人も居たが、やはり心からの信用は出来ない。
翼を見せてしまった自分は、今ここで生き残っても、きっといつかは酷い目に遭わされてしまう。そんな暗い感情が心に渦巻く。
その時だった。何かが物凄い速さでリアマーラ達を飛び越え、自分達と馬に乗った兵隊達の間に降り立った。
さっきまで力が入らなかった筈の足が自然と動き中腰になって、目を凝らすと……それが見えた。
ドラゴン。
あまりの驚きに、吸い込んだ息が吐き出せない。
その背に翼を持つというだけで、全ての自由を奪われ続ける有翼人からすれば、まさしく神のような存在。
そしてその背に鞍を付け乗っているのは、鈍く輝く大きな鎧。
その大きな美しい鎧がドラゴンの上から長い筒を左右に振ると兵隊達は弾かれる様に倒れ、瞬く間に立っている兵隊は一人も居なくなった。
ドラゴンから降り立ち、巨大な鎧から出てきた男が、今まで守ってくれていた兵士に何か話しかけている。
リアマーラが周りを見渡すと、途中からやって来た兵士や貧民街の仲間も皆一様に固まっている。
そこでやっと声が出た。
「凄い……」
あの人と話してみたい、近づいてみたい。自分の事も聞いて欲しいし、聞かせて欲しい……!
疲れきっていた筈が、いつの間にかしっかり立ち上がっていた。
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呆けていたグスタブが再起動した数分後に、コルベットで獅冬と晴彦が到着。
到着が遅れたのは、準備されていた大量のチョコレートバーや携帯食料、毛布の代わりになるアルミ蒸着式のエマージェンシーシートを箱ごと積んで持って行けと、夏美に言われたからだそうだ。相変わらず、気の効いた良い判断だ。
雨は再び小降りに戻り、衰弱の激しい者を優先して移送。コルベットにぎゅうぎゅう詰めで往復し、四度目で完了した。
「マサぁ! これで全部だ! ……それで。この後どうすんだ?」
「獅冬はセラスと難民達を受け入れ用の倉庫へ。彼らに色々教えてやってくれ。食事とシャワー、簡単な魔道具の使い方だけでも良い。手の空いている者を使ってくれ。それと…………防備を固めて落ち着いたら、遺体の回収を行うつもりだ……覚えておいてくれ」
「おう……そのままってのもな。まぁこっちは任せとけ!!」
ただの自己満足だが、敵であっても亡骸を放置して置くのは頂けない。魔物に喰われてしまうかも知れないが、森に近い兵士の遺品ぐらいは土に埋めてやりたい。
「……晴彦は装甲服の整備を頼む、いつまた新手が来るとも限らん、常時出せる様にしておきたい。それと若干だが前後のバランスが背面寄りだった。急いで調整出来るならそれも頼む。」
「了解っす……あーあーあーこんなに泥詰めて……やっぱり此処は密封して……ボールベアリングより流体軸受を使用した方がいいッスかね……となるとやっぱ、オイルの選定は重要……こっちはもう少し削っても良さそうだし……いやーでも外装削っちゃうと航続距離が……いっそ足取ってしまえば……」
「…………無茶しないようにな。……グスタブ、それとジェラレオ。悪いが色々話を聞きたい。後でPHSに連絡を入れたら二人で家まで来てくれ」
「分かりました我らは待機しております。その時に改めて此奴をご紹介させて頂きます」
「分かった。……カザード聞こえるか」
『はい、兄上』
「さっきは良い仕事だった。連続ですまんが森に潜ませているドレイク達に連絡を頼みたい、上空の監視以外は一旦撤収させる。それが終わったら暫く休んでいてくれ。ただし無用な混乱は避けたい。出来るだけ難民達に近づかないようにな」
『分かりました、何か有ればすぐお呼びくだされ』
取り敢えずはこんなものか……
今後は難民の扱いだけでなく、想定外に残ってしまった捕虜の使い道も考えなければならない。他にも懸案は山積みだ。
……考えを一時中段し、後ろで待たせていた二人を振り返る。
一人は淡い栗色の長い髪を纏めた女性。トリトスの秘書、エリアスだ。雨の中、馬を駆って来たらしく、着ている外套にもたっぷりと水が染みこんでおり、いつもなら容色美しい唇も今は色薄く、蒼ざめている。
もう一人は難民のリーダーを務めていた狼族の青年、インラウス。歳は俺より少し下に見える。痩せ型だが贅肉の一切無い体は鍛え上げられている様だ。整った顔には野性味が滲み出ているものの……灰色の髪と同色の犬耳がピクピクと動く様子はどうにも……緊張感を緩ませる……
「そんな格好で待たせて申し訳なかったな、エリアス殿。此処は彼らに任せて自宅に向かう。インラウスだったな、君も一緒に来い」
「いえ、突然押し掛けたのは此方ですので……ゴホッ」
「なぁ、ほんとに俺も行って良いのか?」
「マサアキ様、その……少し込み入った話と為るのですが」
エリアスはインラウスに一瞬目をやる。直接の関係者以外に聞かせたくないと言う事か……
サイラークの騎兵が現れたのはフレスト国家連合の都市、トバイアン方面からだった。恐らくエリアスの話の内容はこれだ。
詳しくは分からないが、このタイミングで腹心を寄越してくる事からトリトスに敵対の意思は無いと見る。
「そちらの考えも分かるが、既に内容の察しは付いている。誰に聴かせるかは此方で判断させて頂きたい。」
「そうですね……申し訳ありません」
「もう一人連れて行ってもいいか? ちょっとな……訳ありなんだ」
「あぁ、構わない」
「助かるぜ……、リア!! ちょっと来い!」
三人を連れ立って自宅に向かうが、自然と足が早くなってしまう。
家では温かい風呂が待っている筈だ。
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