31《形だけの辺境砦》
トリトスとの会談を翌日に控えた午後。
予定では明日、ティヴリス大森林地帯は国家樹立を宣言する。
領土宣言をしてからは、サイラークの領土には迂闊に立ち入る事は控えなくてはならない。
周辺の地形を最後に確認しておく為、今日はカザードに乗り領土の予定地の周辺を飛び回っている。前に乗る夏美はデジカメを地上に向け、手当たり次第に写真を撮り続けている。
「ん? 真明さん、あれ何ですか?」
夏美が指差すのは、ティヴリスから見て東側に接する平原部。その平原の西端、以前セラス達がトロールと交戦していた辺りから少し北に、小屋が建っている。二ヶ月前にあの辺りを飛んだ時には何も無かった筈だ。
「以前はあんなものは無かったが……」
「んー気になりますね、ちょっと行って見ませんか?」
「確かに気にはなるが……」
「もうこれからこっち側は飛べないって言ってたじゃないですかー、今日が最後のチャンスかも知れないんですよ?ね?はい。カザードさん、ちょっと離れて下ろして下さい」
『あ、兄上……良いのですか?』
「……仕方がない。これも偵察の内だと考えよう。危険を感じれば直ぐに撤退する。場合によってはカザード、応援を頼む」
『分かりました、兄上』
「うふふふ……これで二人っきりデートタイムは延長決定……うふふ」
小屋から1km程、南に離れてカザードから降り、歩いて接近する。誰が居るのかも分からないが、ドラゴンに乗って接近すれば無用な警戒を抱かせる。
残り200mまで近づいた時点で数少ない草むらに隠れ、二人で電子双眼鏡を覗く。建物は小さく、小屋と呼ぶべきなのかも怪しい程に粗雑な造りをしている。あれでトロールの様な魔物に襲われたらどうするのだろうか。
崩れそうな壁に無理やり取り付けたらしい小さな屋根の下には、馬が一頭だけ繋がれているが栄養状態が悪いのか、肋骨が浮いている。
「真明さん……あそこ、人が居るとして……いやまぁ結構居るんですけど……なんか気配がすっごい薄いっていうか……」
それ程に魔力が薄いなら危険も少ないだろう。
「……馬が生きているなら大丈夫じゃないか?極限に腹が減れば馬は喰われているだろうしな」
「なるほど。んじゃ近づいてみましょうか」
「あぁ」
「……そこの者、止まってくれないかな」
小屋から出てきたのは兵士…………兵士なのだが……
「……俺達は怪しい者ではない、魔物を探してこの近くを散策していたら此処を見つけてな」
「君等は探索者か。此処はサイラーク王国軍西部辺境砦……用が済んだら離れてくれないかい?」
「すまんが……砦と言うのは……あの押せば崩れそうな小屋の事か……?」
「ははは。随分とはっきり言ってくれるね。まぁ俺達も分かってはいるさ」
出てきた男は、欠片も覇気が無い優男だ。身長は俺より高く、そこそこの体格をしているが筋肉は痩せ細っている上に、喋ると出血している歯茎が見える。典型的な飢餓の症状か。
「少し前に此処を通りかかった時は無かった様な気がするんだが」
「あぁ、その通りだよ。この小屋……いや砦だったか。この砦はエールブリッツ公爵のお声で、ひと月前に建てられたのさ」
「エールブリッツ公爵か……、砦と言うが、こんな所で何を守っているんだ?」
「はは、何も守ってなどいないさ。いくら探索者でも分かるだろう? 見ての通り……此処は元近衛や亜人兵の島流し先さ」
いわゆる左遷か。エールブリッツ公爵は亜人迫害の筆頭者だ、亜人が左遷されるのは分かるが、近衛が何故……
「……確か近衛はエリートだろう。何故こんな所に?」
ポケットから煙草を出して火を点け、一本を兵士に勧める。
「珍しい煙草だな、ありがとう。ふぅー……、煙草なんて久しぶりだ……何だったかな……そうそう、勿論ほとんどの近衛は今も立派な近衛兵として働いているよ。ここに居るのは、最後までエールブリッツ公に従わなかった者達なのさ」
「従わなかったと言うのは……オーギュスト前王への忠誠か?」
「それもある。僕達……ここに居る奴は皆、直接オーギュスト様に認められて近衛になった者達さ。凄いだろう? でもそれだけじゃない。自分の矜持とでも言うべきかな。もっとも……そのせいで今は此処で日干しにされているって訳さ」
「……飼い殺しか。」
「ははは、君は上手いこと言うね……でも当たっているよ。雨水を飲んで飢えを凌いでるから。今はこんなだけど、僕は元は貴族だったからね、エールブリッツ公も他の貴族の反発を考えたら殺すに殺せないのさ」
「あー、名前を聞いても?」
「構わないよ。僕はジェラレオ。一応この辺境砦の責任者さ」
「端山真明、マサアキが名前だ。こっちはナツミ、俺の助手の様な者だ」
「そうか。それにしても隊員以外とここまで話をしたのは久しぶりだな。本来ならお茶の一杯でもご馳走したい所なんだけど……」
「いや、それより……ジェラレオ隊長殿は……亜人についてどう思う」
「君は亜人が嫌いかい? 僕はそうは思わないかな。彼らも人間も何も変わらない。戦友であり頼れる仲間だと思っているよ。……それにしても此処は寒いね、もう一本貰っても良いかい?」
言っていることが本音なら信用しても良い部類の人間だろう。
背負っているザックから、夏美の作っている燻製と携帯食料、それと予備の煙草を数箱取り出すと中身を全て出し、この世界の荒い布袋に詰めて渡す。
「これは……」
「ここから森伝いに南西に歩くと水がある。この袋は貰ってくれて良い」
「ライン川は枯れている筈だけど……」
「その川跡へ続く水路が森から出ている。農業用水だが……水質は保証する。」
「君は……何者だい?」
「何者でも無い。これも渡しておこう」
ザックのポケットからビタミン群の小さなサプリボトルを取り出し手に持って見せる。
「これを一日に朝晩一錠飲めば歯茎の出血も軽くなるだろう。ただし……一つだけ頼みがある」
「……なんだい?」
「これから亜人や貧民達がこの辺りを通過する事があるかも知れない。その時は手心を加えてやって欲しい」
「そんな事かい? 言われる前から行なっているよ。昨日も数十人の亜人達がそこの街道をフェリアル方面に移動して行ったけどね、僕らに止める気は無いよ」
「規則違反では?」
「ははは、そりゃあそうさ。本当なら勝手に国外に出ようとする亜人は捕縛しなきゃいけない。でもね、王都では亜人が殺されることも増えているんだ。民を守り、生かすのが本来の貴族の役目……元だけどね。彼らを助けれなくとも見逃す位はするさ」
「……いいか、この辺りは直にもっと冷え込む。限界が来たら水路を辿って門を探せ……連絡はしておこう」
「竜の森に?……君は本当に何者なんだい? まさか竜人……いや、食物を別けてくれた人物にこんな事を聞くのはどう考えても野暮だね。分かったよ、難民はこれまで通り見逃すさ」
俺と夏美は礼を言ってカザードの元へと戻り、地形の空撮を再開する。夕方迄には終わるだろう。
――――――――――――――――――
「隊長、長かったですね。探索者ですか?」
「……これを別けて貰ったんだ」
薄汚れた机を軽く払い、袋の中身をドサッと出す。
「干し肉じゃないっすか!」
「おぉおお、こっちも美味そうだ!」
自分と同じ様に痩せ細った兵士達がわらわらと集まってくる。黒牛人族に犬人族と様々だが腕に覚えのある者ばかりだ。
「おい! この干し肉……大猪だぞ! 煙の様な香りがたまらんな!」
「この四角い物は甘いぞ! 菓子か!?」
「隊長、この瓶の様な物は?」
「薬らしい。口の出血が止まるそうだよ」
「そ、そんな高価な物まで……探索者とは思えません……何者だったのでしょう」
「さぁな……でも敵ではないさ。僕が保証しても良い。 そこ! 一気に全部食べるなよ!」
薬は言うまでもなく、実際これらのものは恐らく非常に高価な物だろう。これだけの量を無償で別けてくれる者が粗暴な探索者である筈が無い。
射抜かれる様な視線の男と、膨大な魔力の残滓を感じさせていた女性。だが敵ではないのだろう。このあばら屋砦を落すつもりなら、それこそ一瞬で行えたのではないかと思う。
それに、素っ気ない風でも、一瞬見せた自分達や亜人を心配する様な目に、全く嘘は感じられなかった。
「本当に何者だったんだろうな……」




