16《働かざるもの食うべからず》
トロールは三体。腰部に樹皮を纏っている以外は裸で、体には細かい切傷が出来ているが何の問題も無さそうだ。二匹は根が付いたままの丸太を、先頭の一匹は錆びた大剣を持っている。
対する人族達は約十七人。約、と言うのは、既に地面に倒れているの三名の生死が不明だからだ。立っている者も、腕をだらんと下げた明らかに折れている者や、剣を縋るように立っていたりと、人族側の劣勢は明らかだ。彼らが身に着けている皮革製らしき鎧兜では到底トロールの攻撃は防げないだろう。
トロールを含めた、その場の全員の視線が突如上空から降ってきた男に集まっている。
「驚かせてすまん、手伝いは必要か?」
一番近くに立っているローブを着た人物に尋ねると、驚愕の表情を浮かべ、口をパクパクさせながら、
「あ、あぁ、ち、治癒魔法を詠唱する時間を稼いで貰えれば……」
「よし、いいだろう。……直ちに負傷者を連れて俺の後ろに下がれ。全員だ」
と静かに、しかし一切の異論を認めない口調で言い渡すと真明は淀みない動作でベネリを構えた。
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セレスティアは開いた口が塞がらなかった。
恐らく放たれているであろう追手から身を隠すため、竜の森と呼ばれているティヴリス大森林に後少し、後少しで逃げ込めるという所で三匹のトロールの襲撃に遭った。トロールは一匹でも手強い。既に優秀な手勢を三人失い、酷い手傷を負ったものも多い。「姫様は逃げてくだされ」と叫ぶグスタブの声にも、もう張りが感じられない。
その時、突如ドラゴンが現れたのだ。地面に大きく影を映して上空を通過する。あぁ、やはりドラゴンの土地に逃げ込むなどというのは愚かな考えだったのだと天を仰いだ時……その天から人が降ってきた。
ドラゴンに騎乗していたと思われるその男は、長身痩躯、全身見たこともない素材で金具の沢山付いた衣服を纏っており、手には奇妙な黒い棒を携えている。
「手伝いは必要か?」
と至極何でもないように尋ね、反射的に返事をした魔術師の男に大きく頷くと、有無を言わさず全員を下がらせた。前に出て居ると危険だと本能的な悪寒を感じ、自分を含め、飛び退くように下がる。
男が棒を構えた時、セレスティアは棒の先端に大きな魔力の集束を感じ……次の瞬間、轟音と同時にトロールの頭部が構えていた鉄の大剣諸共砕け散った。
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「やはり徹甲弾と風魔法の併用は凄まじい物があるな……」
元々装甲車等の装甲を貫くように設計されている徹甲弾を更に魔法で加速させているのだから威力は当然だ。
ベネリに弾丸を装填し直しながら、独りごちる真明に一番ゴツイ体躯をした男が近づくと、
「な、何者なのだ、貴様」
と剣を向けてきた、まだ気持ちが高ぶっているのか、うっすらとだがお門違いな殺意も感じ取れる。
「……なるほどな、貴様らの国では手助けした者に剣を向けるのが礼儀なのか。知らなかったとは言え、助ける価値はなかったな」
そう言うと男は、はっとした顔を見せた後で俯くと、おもむろに地面に片膝を付いた。
「……そうではないのだ。だが我らには敵がいる故……貴殿を疑ってしまった。命を救ってくれた事、まず礼を言う。どうか許して欲しい。」
「頭を上げてくれ。謝罪は受け入れよう」
そう言うが、男は跪いたままで続ける。
「……貴殿は、森の賢者殿とお見受け致します……どうか……どうかあの御方を匿ってやって欲しい。」
「グスタブ!」
二本の角が生えた兵士が駆け寄ってくる。
「姫様は黙っていてくだされ! ……どうか、竜を駆る賢者よ、このお方は兵ではないのだ。訳あってこの様な御姿で追われているが、尊いお方なのだ……この様な事、会ったばかりの賢者殿に頼める義理ではありませぬが……それを承知のうえでお願い致します……どうかお聞き届け下され……」
と深く頭を下げる。周りを見ると他のの兵士達も一様に地面に片膝を付け頭を下げている。角付きはどうやら女らしいが、当の本人は困惑しているようだ。
まぁ助けるからには彼らの保護という展開も予想していた。休ませられる建物もあるし食料も十分過ぎる量を確保している。別に人助けが好きなわけではない、安定した自給自足を確立するだけの労働力が必要なだけで、あわよくば彼らを取り込もうと考えているだけだ。
「もう一度言う、頭を上げてくれ。そして謝罪は受け取る。だが保護に関しては応相談だ。詳しく話を聞かない内には決められん。もうすぐ日も落ちる。住居に招いても構わんが……
その前に全員に誓って貰いたい。あんたらもそうかも知れんが、俺も仲間を含めて少々特殊な事情が有る。此方で見たもの聞いたもの全てを許可無く口外しない事、それと物を勝手に持ちだしたりしない事。これらを誓ってくれるなら続きは飯でも食いながら聞こう」
「も、勿論だ。我が剣に誓って、貴殿の不利益に為るような事はせぬ!」
腕の折れている者以外、全員が剣を垂直に立てて言う。正当な誓いの様だし、ここは信じよう。
上空のカザードを呼び、獅冬達に連絡を頼む。
「怪我人も居る。獅冬と晴彦には受け入れの準備が出来次第、メガクルーザーとコルベットで迎えに来て欲しいと伝えてくれ」
飛び去る姿を唖然とする兵士達と共に見送ってから森に入る。倒れていた三名は怪我から見て即死。既に冷たくなっていた。
グスタブは遺体を見て歯を食い縛りながらも今は先を急ぎたいと願ってきたが亡骸を放置するのはどう考えても日本人として道に反する。穴を掘り、遺体を傷付けぬように手で土塚を作る。塚に彼らの剣を立て酒と煙草を根本に置いてから森に入った。
林道を歩く中、隣を行くグスタブと言う男に聞いたのは、生存者の怪我は治癒魔法でほぼ治っている事。角女はどこぞの王女で追手が掛かっていると言う事だ。面倒な事になりそうだが、助けてしまった者はもう仕方がない。
それにしても、治癒魔法というのは初めて聞くが非常に興味がある。今まで大した怪我をすることもなく過ごしてきたので重要性を感じなかったが、存在するなら早急に習得するべきだろう。
道のりの半分も歩くと、正面から獅冬と晴彦が迎えに来た。一同はメガクルーザーとコルベットに驚いているが、説明もそこそこに分乗させ、俺は獅冬の運転するメガクルーザーの助手席に乗る。二台は狭い林道で強引に反転すると走りだす。
「わざわざすまん。準備の方はどうなってる?」
「あーあーいいってことよ!事情はカザードの奴に聞いてるぜ。マサは冷たいふりしてなぁ?結局助けちまうんだろ!」
ガハハッと笑うが、ただの成り行きだしそもそも無償で助けるつもりもない。
「んで、準備だがよ、こないだ建てた大型倉庫に食いもんに毛布、医薬品も必要そうなもんは運びこんどいた。それと簡単な物だが炊事場とシャワー室も付けたし晴彦のなんたらストーブも運びこんである、仮設トイレだけは外に組み立てた。十分か?」
何か研究していないと落ち着かないのか、晴彦製魔道具のラインナップは日々充実している。冬に向け燃料不要のストーブや温水対応の水栓型水供給装置、壁掛式冷温風発生装置など、生活に密着した創造が最近の晴彦の方向性のようだ。これも夏美の無制限な魔力が有ってこそで、試作品が一つ完成する毎に魔力の封入を頼まれる夏美は最近少し面倒くさそうだがちゃんと手伝ってやっているようだ。
「十分だろう。仕事が早くて助かる。」
そこから数分で到着し、自宅の敷地外に建てた倉庫の近くで車を止め、中に案内する。
「ここは倉庫として作った物だが最低限のものはある。水もシャワーも好きなように使ってくれ。トイレは外だ。食事は後で取りに来てくれ。晴彦、彼らに色々説明を頼む。何か有ったらすぐに呼べ」
呆然と立つ兵士達と晴彦、獅冬を残し、角女とグスタブを連れて自宅に向かう。色々と驚きっぱなしの様だが、指示には素直に従っている。
土足で上がろうとしたので、慌てて靴を脱がせ、リビングに通したが……何日もまともな生活をしていなかったのだろう、正直言って二人の匂いがキツい。飯を食わせる前に清潔になって貰う必要を感じ、風呂に連れて行き使い方を説明して入らせる。角女の対応は夏美に丸投げだ。
服は角女には夏美の服を、大男にはサイズが無いのでフリーサイズのスウェットを用意しておく。
風呂から出て小ざっぱりとした様子の二人をリビングのソファーに座らせ、対面して俺、隣に夏美が座る。
先程までは薄汚れており分からなかったが、角女の二本の角と髪は銀白色だったようで、肌も白い……というか色素を全く感じない、陶器のような白さでアルビノの様だが瞳は蒼い。夏美の服では上が少し苦しいらしく、もぞもぞと上半身を動かす角女の胸元を夏美が凶暴な目で見つめている。
出された冷たい緑茶の入ったガラスのコップを珍しそう眺めてから一息に飲み干すと、ガバっと大男が頭を下げた。
「先程は失礼した、このような待遇で迎えて頂き、トロールの件と重ね重ね感謝する……」
「それはもう良い。遅れたが俺は端山真明、真明が名前だ。隣に座っているのが……」
「大島夏美です、妻です」
と角女に牽制するような視線を向けている。
「お前……もう喋るな。」
「え、良いのか? お、私はグスタブと申します。城の近衛でした。此方のお方は……」
「セレスティア・ヴェンディッシュと申します。……賢者様は既にお聞きかもしれませんが、サイラーク王国の元第五皇女です」
「その賢者様という呼称は却下だ。それで……元と言うのはどういうことだ?」
「ここからは私に説明させて頂こう」
サイラーク王国は、ここティヴリス大森林の東に隣接する国家で、昼に撮った写真をタブレットPCで確認させたが、まさに偵察してきた街が王都で間違いないそうだ。
話を聞く限り、珍しくもない典型的な王政国家だがセレスティアの父である王、オーギュスト・ヴェンディッシュは善政を敷き、民衆の支持も高かったらしい。
だが王の唱えた、人間と亜人を同等に扱うという民族融和政策に強硬に異を唱える貴族連中が放った凶刃に倒れ、息絶える前に最後の王命として近衛兵達をセレスティアに付け、王族専用の通路へ通した後、自ら通路を崩壊させたそうだ。なかなか壮絶、そして立派な父親だ。
城を脱出した後に聞こえてきたのは王族が皆殺しにされたという話。となれば生きていると貴族達に知れればセレスティアに命の危険がある。既に隣国への国境が封鎖されているのは明白で、一か八か隣接するティヴリス大森林に逃げ込み、暫くやり過ごそうと考えたようで……今に至るらしい。
「お父様が民族の融和を唱えたのは、私のためなんです……。見ての通り私は純粋な人間じゃない……。半分は白魔族の血が入っている。サイラークでは表面的には亜人や獣人に対する差別は無いけど、まだ裏では奴隷や強制労働に亜人が使われてるんです。私は王族として生きることを拒み好き勝手に生きていたのに……、深く考えずにお父様に相談したばかりに……お父様は……」
と、ぼろぼろと涙を零す。
「セ、セラス様、王は元より亜人への差別を問題視されておりました。セラス様が言われなくとも王は直に融和政策を唱えられていたことでしょう」
グスタブが説明するが、聞こえないようだ。
「おい聞け。今は泣くな。今泣けば何のためにお前の父が命を掛けてお前を守ったのか分からん。泣くのは良いが今後どうするのが最良か、しっかり決めてからにするべきだ」
「うぅ……マサ……アキ様……」
「はぁ……。もういい、話は大筋で理解出来た。続きは飯の後にしよう。夏美、準備してくれ。二人はセレスティアが落ち着くまでここにいろ。俺は兵士たちに食事を準備する」
「はーい。真明さん、和食がいいですか?あ、洋食のがいいですかね?」
洋食。と答え、地下からキャスターの付いた移動式炊飯器を運びあげてゴロゴロと倉庫まで押していく。灯油を燃料にするこの四角いワゴン型の炊飯器は一度に百食分の米が炊ける。倉庫には獅冬と晴彦が残っていた。兵士たちと話し込んで居たようだ。
「おぅ、ご苦労さん!んで……どうなりそうだ?」
「まだ話の途中だが、まぁちょっと休憩だ。こっちも腹が減っただろうと思ってな」
「そうか……ああいう話は俺には向かねぇんだ、すまんがそっちは任せるぜ。こっちは今交代で一人ずつ風呂に入らせてる」
二人と兵士たちに手伝って貰いながら食事の準備をする。メニューは米飯とレトルトパックで中華丼か牛丼の選択制だ。米はかなり多めに炊いているし缶詰や燻製もあるので足りるだろう。間違いなく獅冬の仕業だと思うが倉庫の外にはビールのダンボールも積んであった、冷たい夜風で程よく冷えているだろう。
準備を終えると、今日はここで食べると言う二人に後を頼んで自宅に戻る。
リビングにはいい匂いが広がり、テーブルには六食分の食器が並んでいたが、夏美に今日は二人は向こうで食べると伝えソファーに座る。
「グスタブ、兵士たちは今交代で風呂に入っているそうだ。食事と酒も十分に用意してきた。……セレスティア、落ち着いたのか」
頭を深く下げるグスタブ、そして隣のセレスティアが話し始める。
「マサアキ様。聞いて欲しい。さっきの言葉は身に沁みた。私は……お父様の気持ちを受け継ぎたいと思う。だが今は無理だ。私が城に戻っても貴族連合に弓を射られ首を落とされるだけだろう。だから……暫くで良い、力を蓄えるためにここに置いて貰えないか!」
だんだん口調が変わってきたが此方が素なのだろう。
「ふむ。それで力を蓄えるとは?」
「……今はまだ分からない……だが協力してくれる仲間を集めてその内に……必ず!」
セレスティアの語りに熱が入ってきたが、ここは釘を挿しなおしておくべきだろう。
「到底無理な話だ。今日は緊急時だから迎えただけだ。考えてもみろ。軍に捜索されているような人間を匿うメリットは此方には微塵も無い。そしてタダ飯喰らいのお嬢様を養ってやる気も更々無い」
「マ、マサアキ殿!!代わりに我らが何でも致します!どうかお願いた……」
「グスタブ。次に割り込んだらその時点でこの家から追い出す。いいな」
今、俺はセレスティアの覚悟を確認しているのだ。意図を汲み取ったらしいグスタブは黙ってセレスティアを見つめている。
「マサアキ様の言う事は事実……私に出来る事は少ないが言われた事は何でもするつもりだ。炊事でも馬の世話でも夜伽でも何でもする……だから!」
「ふむ……よし、結構だ。それなら良いだろう。タダ飯食いを嬉々として養ってやるつもりは無いが、王女もクソもなくしっかり働くなら暫くの衣食住は面倒をみよう、全員だ。」
「「!!!」」
「本当か!?ここにいて良いのか?」
「マサアキ殿!我らもここに居って宜しいのか!」
「勿論構わん、ただし我々の決めたルールは必ず守ってもらう。此方の指示に従ってしっかり働き、俺達の不利益に為ることはしない事。その他は……追々覚えて貰えば良い。もし破れば……連帯責任だ。全員で容赦なくドラゴンの餌になって貰うから常々忘れるな。そして夜伽は要らん。後は……夏美からは何かあるか?」
「ん、私ですか?そうですねー。あー、やっぱりセレスティアさんはうちに住むことに為るんですか?」
「そうなるな。さすがに倉庫の中で兵士達と一緒に雑魚寝はマズイだろう」
「んーまぁそうですよねぇー、はぁ……良いんじゃないですか? ただし私の真明さんに手を出したら蒸発させます。骨も残すつもりはありませんので。」
「夏美、顔が怖い。そしてむやみに魔力を放出するな、二人が固まっているだろう。そして俺はいつからお前の所有物になった」
うふふふー♪いつからでしょうねー、と笑いながらキッチンに戻る夏美。
「う、生まれて初めてあの様な濃い魔力を感じました……危うく気を失うかと……マサアキ殿は良く平気でおられますな」
「ん?平気も何もあの程度なら俺でも出せる。しかし覚えておけ、夏美の魔力は俺も比べ物にならん、事実竜族をも圧倒している。だから……あまり怒らせるなよ」
「な……そん……へ、兵にもキツく命じておきます……」
「なぁその……話が飛ぶんだが、マサアキ様とナツミは本当に夫婦なのか?」
「は? それは無いだろう。俺達四人は複雑な事情があってここで共同生活をしている。今頃倉庫で兵士達と飯を食ってる二人……獅冬と晴彦も少し前までこの家で一緒に暮らしていたのだ」
「そ、そうなのか……」
そこで、ご飯の準備できましたよーと明るい声が聞こえ、俺達は暖かな湯気の立つ食卓に向かう事になった。