熱帯夜
山下埠頭隣に芦穂埠頭がある。
昭和40年代に山下埠頭を補完するために埋め立てて造営された埠頭だ。本牧や新港埠頭の開発に注がれ、山下埠頭同様再開発構想から外れている、いわば捨てられた埠頭だったが、そこでも港町横浜では補完ルートとして使われている。
梅雨が明け、真夏を迎えたスケロク商事の倉庫は夜になっても熱気で溢れていた。
倉庫は居住を想定していない。真夏は暑く厳冬の冬は底知れない寒さになる。
四隅と二階事務所には古びたエアコンが五台あることはあるが、その内の四台は壊れていて動かない。動くエアコンも年季が入っており、二十度の温度設定にしてもそよそよとした風量しか出ないのだったが、それでもスケロク商事の面々はそれにすがりつくしか方法はなかった。
普段営業が終了すると防犯上シャッターは閉じるが、今は全開だ。それでも熱い浜風しか入らない。
汗が吹き出る。タオルでしきりに拭う。厳しい暑さには全員が参っている。
恥も外聞もなく男子はパンツ一枚だ。
女子はそうもいかない。管弦瑠那はスポーツブラを、天馬楓はTシャツ姿で、願成寺サヤカはタンクトップ姿だ。
さすがに寺家優子はスポーツブラの上に外科医が着る薄手のスクラブで外科医然としているが、真夏の倉庫では色気どころではないのである。
「暑いよぉ……」
御手洗はぐったりしている。
「死んじゃうよお」
願成寺も伊東も酒どころか、がぶがぶと煽るように水を飲んでいる。
「社長、どうします」
ベッドの上の杉田も汗だくだ。
「どうもこうも……岡田が無償で提供するわけだ」
ようやく声だけは出せるようになった杉田だが、よい知恵は浮かばない。
「こんな調子なら仕事に支障が出るわね」
Tシャツ姿の天馬は、シャツの裾をパタパタと煽っている。へそが出ようが構うことはしない。
「まだドヤ街の方がましだぜ」
冷水を煽る祖父江。
「車のエアコンじゃ駄目でやんすか」と越狩。
「倉庫内でぶんまわしゃ排気ガスでますます暑くなるでがす」と汗を拭う的場。
「氷、まだありますか」と汗だくの黒川。
「女子だけなら先生とあたしのマンションに逃げることも出来ますが」と天馬は言う。
「男子だけここにいて貰うわけにはいかないし……でも暑い……」と寺家。
「夜十一時じゃんかヨ」
掛け時計を恨みがましく見上げる管弦が愚痴り、睨むように天馬を見る。
「テメーだけマンションに帰れよ」
「そうはいかないわ。仲間なんだから」
普段から仲の悪い管弦と天馬だ。
「テメー良い子ぶりやがってよっ」
熱帯夜で二人はヒートアップする。
「止めなさいっ」
寺家が二人の間に割って入った。
「梅雨明けそうそうでこんなだから、早くなにか対策を講じないと」と興奮する二人を納める寺家だった。
「寝られべえめ」と伊東は鉄階段に座り込む。
「明日は臨時休業だ」と杉田は唸るように言う。
丁度同じ頃元町商店街ライブハウス
「お嬢、帰りますぜ」
目つきのよくない中年男性が少女に言う。
「ヤダ、サイン貰うまで帰らないッ」
「そんなだだこねられても」
「山城組だな」
暗闇から複数の男が立ち塞がった。
「何だてめえら」
男らは少女に手を出す。
「なにすんだよっ放せよっ」
「そうはいかねえ」
少女を救い出そうと奮闘する中年男性だが、男どもに取り囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けた。
「さあ乗れ」
男どもは少女を車に押し込み、走り去る。
誘拐事件だった――
早朝。山下埠頭の隣の芦穂埠頭
山下埠頭同様貨物船が芦穂埠頭に接岸し、ガントリークレーンが忙しく貨物を動かしている。
芦穂埠頭総合事務所会議室では、山城五郎右衛門が怒鳴り散らしていた。山城は九十近くの老人だが顔面に染みが浮き出て真っ白い口ひげを携え威厳を保つような風貌だ。
乱暴に口を開く。
「てめえら、ワシの孫を何だと思ってんだっ、どうせカツラバ一家がさらったに違いねえっ、探せっ、澪を無事ここへ連れてこうッ。九十になる老いぼれを引っ張り出したのも、ワシの息子を、二代目社長をぶっ殺したのはカツラバ一家だ」
老人にしてはえらい勢いだった。
それは仕方ないことだ。山城にとって目に入れても痛くないほど溺愛している孫娘・澪なのである。
「社長そう興奮しないでくだせえ。締め上げてきまさあ」
専務と呼ばれる男が勢い込んで言うが、社長は釘を刺した。
「澪を傷つけんなっ」
「わかりやした」
そうはいったものの専務の若頭、東雲は専務室で腕を組んでふんぞり返っていた。
『誘拐事件だが警察はまともに取り合っちゃあくれめえ……一応ナシ、通すが出入りで若けえしを使うか、別の手立ても考えんとな』
組んだ足を振りほどき宝来警察に電話を入れた。
誘拐事件発生……宝来警察捜査一課が直ぐに動き出した。さらに神奈川県警にも報告が上がり盗聴傍受班が山城組事務所に急行した。
「誰が、何時、何処で誘拐されましたか」
宝来警察署捜査員は殴られ負傷をおった組員に矢継ぎ早に質問し、五郎右衛門にも情報を収拾する。
「お孫さんですかそうですか。息子さん夫婦もさぞかし不安でしょう。息子さん夫婦は何処に?」
五郎右衛門は言う。
「息子は数年前に殺さ……病死してな、嫁は間もなく離縁した……故にワシが育てている」
神奈川県警職員は電話機に盗聴傍受装置を設置し立ち去った。普通なら捜査員が常駐するがヤクザ通しの争いごととして「何かあったら連絡ください」と言い残しただけだ。
ヤクザ通しの抗争は県警でもお荷物扱いだ。
「東雲……てめぇ、なんでサツなんぞにナシ入れやがったんだ。ガサられたら山城組は終わりなんだぞ。どうすんだ、九十のワシをここまで怒らせるとは、てめぇ、正気かこの阿呆が!」
五郎右衛門は東雲を叱咤した。本来なら木刀でぎたぎたにぶったたくところだが、警察に知れたら、それこそ山城組の存続に関わる。それでなくてもドカドカと捜査員が入り込んで来たことが、別の意味で五郎左衛門は穏やかではなかったのである。
「サツの野郎共がこれ幸いと踏み込んで来やがって。この碌でなしめが。それでも若頭け」
「すいやせん……」
這いつくばる東雲。
「てめえっ他にねえのかっ」
スケロク商事に人相の悪い男がインターホンを押す。
「はい」と言う天馬の声にドスをきかせるように薄めのサングラスをかけた東雲が言う。
「おめえんとこに用があってよ。いいから早よ開けろや」
ゆっくりとドアが開けられ様子を覗う東雲は、いきなり切れたように言う。
「何だぁここはよ、ゴミためかよ」
「これでも事務所です」と天馬は反論するが――
「事務所だあ? 笑わせんなよ。客が来てやったんだ、冷たい茶、出せや」
何処までも不遜な態度をとるが、これは東雲はヤクザの威厳を示しているつもりである。
古ぼけた椅子にどっかりと座り、管弦が出した冷たい茶をズズッと啜りながら、東雲は脅すように言い放つ。
「おい、おめぇら……ウチのお嬢を救い出せや。断るなら、この倉庫ぐらいひと押しで潰せるんだぞ。しくじったら……てめぇら、タダで済むと思うな」
天馬は穏やかに反論する。
「いくら何でも屋でも誘拐はできません。これは警察です」
東雲は鼻で笑い、椅子の背にもたれながらドスを効かせる。
「はぁ? てめぇら何でも屋だろが。何でも請け負うんだろ? ならやれや。――報酬だぁ? てめぇらの命、それが報酬だ」
天馬と管弦はお互い顔を見合わせた。なにを言っても無駄だ、と二人は悟った。
そこへ車椅子を揺らしながら杉田が静かに前へ出てきた。
「事情は分かりました。お引き受けいたします」
杉田の姿に東雲は眉をひそめた。
「誰でぇ、おまえは」
杉田は落ち着いた声で名乗った。
「申し遅れました。スケロク商事代表取締役、杉田耕一と申します」
東雲はあきれ顔で鼻を鳴らす。
「こんなデグ野郎が代表だぁ?」
杉田は怒りもせず、むしろ淡々と仕事の確認を始める。
「で……誘拐されたお嬢さんの顔写真とか、身体的特徴は?」
その瞬間、東雲はハッとした。急いで来たせいで、一番大事な情報をすっかり忘れていたのだ。
「……あ、後で若ぇのに持たせるわ」
そう言い放ち、間抜けの東雲は慌てて席を立った。
「どうなるかと思ったよ。さすが社長。でもさ、報酬はないなんてそんな馬鹿げたこと、仕事じゃないヨ」
管弦のホッとする言葉に車椅子の杉田が言う。
「困った問題だぜ」
管弦は答える。
「そうだよ全く。貴重だけど塩撒いてやる」
天馬が後を継いだ。
「そこから海水汲み上げて天日干しすれば、塩なんて幾らでも出来るよ」
管弦は怒った。
「何だとテメー」
杉田が割って入った。
「止めろ二人とも。いや困ったのは……どっちに転んでも碌なことがないッて事だ」
「なんで?」と管弦。
「考えてみな。依頼を断れば潰される。お嬢の救助に失敗したら潰される。成功したらしたで反対のヤクザに潰される」
やりきれんと言いたげな管弦である
「え? どっちに転んでも潰されるってかさ」
「そうだ」
「困るジャン」
「あの勢いだ。断れねえ」
そうこうするうちに自転車に乗ったパシリの組員が、大きな封筒を小脇に挟みながらやってきた。
「専務に頼まれやした」
「早ッ」
管弦はビックリしながら尋ねた。
「ちっとお兄さん、山城組って近くにあるんかさ」
「へい、隣の芦穂埠頭でさあ」
そう言うと自転車に跨がり走り去っていった。
「さあこれで断われんぜ」
封筒からバラバラと落ちてきた写真や書類を見ながら呟く杉田であった。
机の上にばら撒かれた紙片を天馬が取り上げた。
「十四歳の女の子って? 中学生なんだ――」
突如電話が鳴った。
「お電話ありがとうございます、心に寄り添うスケロク商事でございます」
管弦は保留ボタンを押し不満げに杉田に言う。
「また不渡土木だよ……社長、出るかさ?」
杉田は電話を取った。
「いつもご利用ありがとうございます……力仕事? 荷受け補佐?」
宝来警察署四階会議室
神奈川県警捜査一課長を本部長に宝来警察署捜査一課も合流して捜査本部が置かれた。
「只今より山城組令嬢誘拐事件の状況について捜査報告がある。神崎」
「は」
神崎が立ち上がる。
「本案件での被害者山城澪は、山城運輸倉庫での倉庫管理の利権争い、つまり山城組とに巻き添えになった可能性があります。さらに捜査を進めますがカツラバ一家との小競り合いに端を発したと推察します」
神奈川県警捜査一課長は言う。
「本案件に対し神奈川県警は捜査を宝来警察に一任する」
ほう……と言う声が静かにこだました。
「神奈川県警は県民の安全を最優先で動く」
弓月真度香は神崎にそっと耳打ちした。
「宝来警察に任せるって、どう意味ですか」
神崎は口をへの字に曲げた。
「県警本部は積極的に関わらないと言うことさ」
「何故ですか」と食い下がる弓月。
「反社同士の抗争は本部が嫌うんだ。全責任は捜査本部だが、恐らく報道関係にはギリギリまで発表しないだろう」
「そんなことってあるんですか」
「そんなこともあるぜ。兎に角裏取りだ、いくぜ相棒」
「はいっ」
猛暑の中、神崎と弓月は汗を流しながら聞き込をしている最中、山城組の法被を来た若い男が通り過ぎていった。
それを見た倉庫管理者は露骨にいやな顔をした。
「どうかしましたか」と弓月が質問する。
「山城組の若い衆ですよ。月番といってひと月に倉庫管理料を回収してるんですよ」
神崎がはっきりした口調で言う。
「みかじめ料ですね」
迂闊に話した倉庫番は困った顔をした。
「そ……そんな露骨に……そ、倉庫管理料ですよ」
「誰に払っているんですかっ」と弓月。
倉庫番は狼狽し言葉を失った。
「みかじめ料は犯罪です」と強く言い放つ弓月。「聞いた以上はそれなりの処罰があります」
管理者のうろたえぶりは可哀想なくらいだ。管理責任者は言葉を絞り出した。
「ま、待ってください刑事さんっ。ここで仕事が出来なくなりますっ。お願いしますっ――この通り!」
うっかりいったことを後悔している管理人は這いつくばった。
「どう言い逃れしても恐喝罪に該当しますよ」
きつく言う弓月に対し神崎は――「弓月、まあまて」
そして神崎は汗を拭きながら、這いつくばっている倉庫管理者の肩を叩き、低い声で言う。
「ここで仕事ができなくなるのが一番困るってのは分かるよ」
管理者は震えながら頷く。
神崎は続ける。
「みかじめ料は違法だ。だが――港湾の現場は、法律だけじゃ回らない」
弓月が小声で「え……でも……」と言いかけるが、神崎は首を横に振った。
「ここはこれでいい。次に当たろう」
そして見えてきたこと――幾ら寂れている芦穂埠頭といえども、山城組にとっては倉庫保管料などの名目でみかじめ料をとっている。これが年に一億は下らない収入になって、さらに上部組織に上納金をたっぷり払っているので、山城組としては鼻が高いのである。
そこを新興勢力としたカツラバ一家が、利権ほしさに小競り合いを繰り返し、そのひとつの手段として山城澪を誘拐計画を立てたと言うことが判明したのである。
以下第12話後編に続く
※本作は、執筆における誤字脱字の校正および構成の補助として、AIツール(Gemini、Copilot、ClaudeAI、ChatGTP:全てフリー版)を利用しております。ヤクザ言葉はCopilotを利用しましたが、物語の核となるプロットや描写は、作者自身の手によるものです。
今まで重いストーリーが続いていましたので、今回は軽い読み物として一話完結を目指していましたが。なんかとんでもないストーリーの発展しそうな気配です。誘拐事件が軽い読み物かって? まあその……




