第201話:星の監視者と天頂の修正プログラム
天上の彼方。定命の者が「神の座」と仰ぎ見る領域すらも、その足元に霞むほどの高次次元。そこには、星の理そのものを管理する、色を拒絶した白亜の空間が広がっていた。
そこは物理法則という枷を脱ぎ捨てた、無機質な静寂が支配する世界だ。無限の白の中央で、巨大な天球儀を模した魔力ホログラムが、脈動する星の営みを淡い光の粒として映し出している。生命の鼓動、魔力の奔流、大地のマナ・ライン。すべてが精緻な歯車のように噛み合い、緩やかに回転していた。
その空間の玉座に、性別も年齢も判然としない、ただ「完成」された存在が腰を下ろしている。
輝く銀髪は重力を知らずに揺らめき、無機質な黄金の瞳は万象を冷徹に射抜く。
『監視者』。
この星の魔力を調整し、調和という名の停滞を維持するために配置された、システムの執行者。
オブザーバーは、数千年も変わらぬ予定調和の巡りを、退屈という名の薄い膜越しに眺めていた。矮小な人間たちが領土を奪い合い、魔物が森の腐臭を濃くし、イレギュラーたる勇者が線香花火のように現れては消える。それらすべては、システムが許容する微細な誤差に過ぎない。
だが、その永遠に続くかと思われた氷の静寂が、突如としてひび割れた。
天球儀の一角、西方大陸の座標が、網膜を焼くような鮮烈な紅い警告光に染まったのだ。
「……龍脈に触れた不届き者がいる。魔力の循環に、回復不能な歪みが生じている」
オブザーバーの唇から漏れたのは、感情の痕跡すら消し去られた、極低温の声音だった。
黄金の瞳が、僅かに細められる。それは単なる表面的な乱れではなかった。星の深層を流れる熱き大動脈――『大龍脈』から、致死量に等しい魔力が、巨大な吸い上げポンプに掛けられたかのように、一点へと激しく逆流していたのだ。
「ははっ、直ちに調査を」
玉座の傍ら、虚空が熱に浮かされたように揺らぎ、六枚の光翼を持つ天使――高次システムの『使徒』が膝を突いた。使徒は両の眼を閉じ、星の深層ネットワークへと意識をダイブさせる。
数秒の後、使徒の端正な顔が、信じがたいバグに遭遇したかのように僅かに歪んだ。
「……人間界の窓口として設置した『タルタロス』に異常を確認。如何致しましょう」
「人間用のフィルターか。……あれは第十階層を上限とする、簡素な濾過機構のはずだが」
オブザーバーが指先を滑らせ、ホログラムの一部を拡大する。
そこには、創造主の設計思想を嘲笑うかのような、異形の構造物が構築されていた。本来あるはずのない地下百階層にまで達する狂気的な自己増殖。
そしてその最下層に鎮座する『制御核』には、星の管理下にあるべき大龍脈が、極太の『魔力銀』の導線によって、まるで強盗にでも遭ったかのように強引にバイパス接続されていた。
「……何者かがマザー・コアに物理的干渉を行い、管理者権限を簒奪したというのか。この星の土着生物に、そのような論理干渉が可能なはずがない」
オブザーバーの黄金の瞳に、初めて「不快」という名の波紋が広がった。
生態系維持のための「迷宮」が、悪意ある書き換えによって『全自動の魔力採掘プラント』へと再定義されている。このまま吸い上げられ続ければ、星のシステム全体が負荷に耐えきれずダウンしかねない。
「……排除せよ。速やかに回収しろ」
オブザーバーは、事務的に、しかし絶対的な殺意を込めて判決を下した。
「御意」
光翼の使徒が、無機質な冷気を放ちながら頭を下げる。
それはニンゲンの世界への単なる災害ではない。星の監視者が直接差し向ける、致命的なバグを根絶するための強制的な『システム・メンテナンス』の始まりだった。
***
一方、その頃。
迷宮都市タルタロスの深淵、第百階層。
無重力の星海を模した暗黒の空間の中央で、禍々しい紫色の光を放つ超巨星と化した『マザー・コア』が、内臓を揺さぶるような重低音を響かせ、絶え間なく明滅していた。
その圧倒的な魔力の奔流の真下。漆黒の金属棒を傍らに立てかけ、優雅なアンティークチェアに身を預けているのは、少年の絶対者・トールだ。
「……カラン」
無重力空間に固定されたクリスタルグラスの中で、氷が涼やかな音を立てて躍った。トールは『極上・琥珀の魔酒』をゆっくりと喉に流し込む。芳醇なアルコールの熱が脳髄を駆け巡り、感覚を鋭敏に研ぎ澄ませていく。
(……セレスティア、か。大聖堂でのあの『ホワイトアウト』、実に見事なクラッキングだった)
トールの脳裏には、城塞都市で彼に反逆の牙を剥いた令嬢の、泥にまみれながらも誇り高く、そして挑発的な蒼い瞳が焼き付いていた。
彼女が仕掛けた偽造伝票のバグは、彼の盤石な物流システムに、わずかな、しかし確かな波紋をもたらした。知力210を超えるトールの演算能力を以てすれば数時間で修正できる程度の悪戯に過ぎないが、完全に自動化され、退屈なまでに無欠だった彼の帝国に現れた「不確定要素」は、トールの心に暗く熱い愉悦の火を灯していた。
(あの『初恋』にも似た敵愾心を抱いて、俺のシステムにどう食らいついてくるか。……せいぜい、俺を飽きさせないでくれよ)
トールが残酷な微笑みを唇に刻んだ、まさにその刹那だった。
『――警告。外部より、管理者権限に対する不正アクセスを検知。ファイアウォール、第一から第十まで強制突破されました』
「……何だと?」
視界に展開していた『管理者権限:支配領域 Lv.5』の青白いホログラムが、突如として警告の真紅に塗り潰された。
セレスティアが仕掛けたような、システムの隙を突くアナログな偽装ではない。これは、彼が書き換えたマザー・コアのプロトコルそのものを、上空から巨大な槌で粉砕するかのような、純粋で暴力的な権限の上書き(オーバーライド)だ。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
星海の空間全体が、悲鳴を上げるように激しく震動した。
トールが視線を鋭く上方へ向ける。第百階層の「絶対的な不可侵領域」であるはずの天井が、まるでガラス細工が砕け散るように無残に瓦解し、そこから目も眩むような純白の光の柱が、滝となって降り注いできた。
「物理的な侵入ルートを無視し、座標転移で直接バックエンドに乗り込んできたか。……王都の無能どもにできる芸当じゃないな」
トールは魔酒のグラスを空中に放置し、静かに立ち上がった。月光を吸い込む『蒼黒の鱗羽鎧』が、硬質な金属音を立てて彼の四肢に馴染む。
降り注いだ光の柱が収束し、そこには六枚の光の翼を持つ巨大な天使たちが整然と並んでいた。その数、十二。
彼らの顔には目も鼻もなく、ただ滑らかな白磁のような仮面が張り付いている。生命体というよりは、完璧に調整された「殺戮と初期化のためのプログラム」の具現化そのものだ。
『異常個体を捕捉。大龍脈の不正接続を確認。これより、当該区画の初期化及び、管理者権限の回収を実行する』
天使たちの頭上から、無機質な電子音のような宣告が響き渡る。
それと同時に、十二体の天使が背中の光翼を鋭利な剣へと変貌させ、音速を超える速度でトールへと肉薄した。
「……なるほど。この世界にも『サーバーの管理者』気取りの連中がいたわけだ」
トールは右手の漆黒の金属棒を、指の跡が残るほど強く握りしめた。
知力210の脳髄が、一瞬で敵の魔力波長と出力を逆算する。一体一体が、あの大森林を統べた白銀の地竜を遥かに凌駕する情報量を秘めている。これが、星の監視者が差し向けた「修正プログラム」の実体か。
だが、トールの顔に浮かんだのは恐怖でも焦燥でもない。
自分の支配領域を土足で荒らされたことへの、絶対者としての静かな、そして底知れぬ「怒り」と「傲慢」であった。
「俺の帝国に、許可なく踏み込むなと言ったはずだ」
トールが金属棒を虚空に突き立てると同時に、ミスリル導線が張り巡らされていた第百階層の空間そのものが、一つの巨大な「兵器」として産声を上げた。
「『自動迎撃プロトコル』、全展開」
星海の暗黒の中から、マザー・コアの魔力を直接供給された無数の『ミスリル・ガーディアン』たちが、銀の粒子を伴って実体化する。彼らはもはや迷宮の番人ではない。トールのシステムを護るためだけに定義し直された、対抗プログラム(アンチ・ウイルス)だ。
「排除開始」
ガーディアンたちと光の天使たちが、空中で激突する。
銀の刃と光の剣が交差するたびに空間がひび割れ、プラズマの爆発が星海を白昼のような光に染め上げる。だが、オブザーバーが放った天使たちの光剣は、ミスリルの装甲すらもバターのように溶断する圧倒的な「初期化の力」を宿していた。
ガーディアンが次々と両断され、光の塵となって空間に溶けていく。
「やはり、小手先のドローンでは足止めにしかならんか。……だが、演算の時間は稼げた」
トールはすでに、反撃の論理構成を完了させていた。
『雷魔法 Lv.6』と『付与魔法』の極致。彼はただ魔法を放つのではない。この空間に満ちる大龍脈の魔力そのものを、己の支配下にある「雷霆」へと書き換えるのだ。
迫り来る三体の天使が、トールの頭上から冷酷な光の剣を振り下ろす。
「『極大天雷』――空間圧縮」
トールが金属棒を一閃させた瞬間、第百階層の星海全体に張り巡らされたミスリル導線が、世界最大の電磁コイルとして機能した。
空間そのものが数億ボルトのプラズマの檻となって収縮し、天使たちを逃げ場のない内側から包み込む。
『――!?』
感情を持たないはずの天使たちの動きが、絶対的な物理法則の前に完全に凍りついた。
光の翼が雷の磁場に捉えられ、彼らを構成する「神の魔力」が、トールの「雷の論理」によって強引に分解されていく。
「お前たちのソースコードは、俺のシステムには古すぎる。……バグごと消去してやる」
――バギィィィィィィィィィィィィィィッッ!!!
宇宙が断末魔を上げるような、鼓膜を蹂躙する轟音。
極大の落雷が四方八方から天使たちに収束し、彼らの光の肉体を一瞬にして炭化させ、、構成粒子さえも残さず完全に蒸発させた。
残りの天使たちも、トールが放つ圧倒的な電磁波の嵐に巻き込まれ、次々とシステムダウンを起こして光の塵へと還っていく。
ものの数分。
星海には再び、焦げたオゾンの匂いと、静寂が戻った。
トールは金属棒を肩に担ぎ、頭上の砕けた空間――その向こう側で、冷徹に覗き込んでいるであろうオブザーバーの視線に向けて、傲岸不遜な眼差しを突き刺した。
「……星の管理者だか何だか知らないが、俺のインフラ(利権)に手を出すというなら、お前たちも『敵』として盤面に上げるまでだ」
社畜時代、俺は理不尽なシステムに組み込まれ、摩耗するだけの歯車だった。
だが、この異世界では、俺こそがシステムだ。
人間社会を経済と規格で呑み込んだように、今度はこの星そのものの「管理システム」すらも、俺の巨大な企業体へと買収(M&A)してやる。
「待っていろよ、天上の傍観者。次はこちらから、お前たちの『玉座』にアタックを仕掛けてやる」
紫色の巨大なマザー・コアを背に、少年の絶対者は、神すらもシステムの部品として再計算し、残酷なまでに美しく、不敵な笑みを深く刻み込んだ。
世界を書き換える「遠雷」は、今、星の理そのものへと牙を剥いたのだった。




