第122話:白銀の規律と狂信の防衛線
ヴァルハイト王国の王都シュトルツ。
千年もの間、白亜の尖塔が見下ろしてきた優雅な静寂は今、完全に過去の遺物へと成り果てていた。現在の目抜き通りを支配しているのは、鋼鉄の巨獣が吐き出す臓器を揺さぶるような咆哮と、泥に塗れた男たちが上げる、狂気じみた熱を帯びた怒号である。
「そら、休むな! 蒸気式ロードローラーが通るぞ! 命が惜しければ道を開けろ!」
「陶管の継ぎ目に隙間を作るんじゃねえ! 王都のドブの腐敗臭を、トール様の規格で完全に封じ込めるんだ! 規格を汚す奴は、この俺が許さねえぞ!」
蒼黒の統一された作業服に身を包み、鋭い笛の音で現場を統率するのは、城塞都市から派遣された『先行市民』の監督たちだ。
彼らを率いるのは、顔に刻まれた深い刀傷が戦歴を物語る大柄な男。かつて城塞都市のスラムで泥水を啜り、今やトールの絶対的な法を執行する『都市防衛自警団』の長、モヒカン男であった。
彼らの指揮の下、王都の失業者から「トールの建設会社」の社員へと引き上げられた男たちが、真新しい『トール・ブルー』の作業着を脂汗で重く濡らしながら、憑りつかれたような速度でツルハシを振るっていた。
「へへっ、監督! これでどうっすか!」
「おう、いい筋だ。その調子で頼むぜ。今日のノルマを食い潰せば、大衆ビアホールでキンキンに冷えた『黄金のエール』と規格パンが山ほど待ってるからな!」
モヒカンの野獣のような、しかし奇妙に信頼を抱かせる笑みに、労働者たちは「おうッ!」と肺の空気をすべて吐き出すような声で応える。
かつて農地を奪われ、絶望の泥濘に沈んでいた彼らの瞳には、もはや卑屈な濁りはない。
朝から晩まで泥を噛む過酷な労働。だが、掌には確実に大銀貨の冷たく重い感触が残り、一日の終わりには喉を焼く炭酸と琥珀の酒が、疲労という名の呪いを暴力的に洗い流してくれる。何より、自分たちが王都を「再構築」しているという自負が、彼らを自発的な労働機械へと作り変えていた。
彼らは、重い陶管を軽々と担ぎ、蒸気建機の傍らを風のように駆け抜ける監督たちの姿に、祈りに似た畏敬を抱いていた。大森林での死線を越え、レベルアップという名の「命の昇華」を果たした彼らの身体能力は、常人には神の御業にすら見えた。その圧倒的なスペックを持つ強者が、自分たちと同じ汗を流し、直接指導してくれる。労働者たちが彼らに憧れ、その頂点に立つトールを狂信するのは、もはや抗いようのない本能であった。
***
だが、この圧倒的な変革を「利権」という名の古びた殻の中から忌々しげに睨む者たちがいた。
「おいおいおい、随分と景気よく地面を抉ってくれてるじゃねえか。……だがな、ここは俺たち『黒犬一家』の庭だ。挨拶もなしに土足で踏み荒らされちゃあ、面目が立たねえんだよ」
工事現場の熱気を切り裂いたのは、粘つくような下劣な声だった。
目抜き通りの入り口を塞ぐように現れたのは、垢染みた革鎧を纏い、錆びた剣や鉄パイプを構えた三十人ほどのゴロツキたち。王都の裏社会に巣食い、貴族の汚れ仕事で私腹を肥やす寄生虫どもだ。
「あ……黒犬の連中だ……」
「やばい、あいつらに逆らうと、家族が何をされるか……」
王都の旧い恐怖を骨の髄まで刷り込まれている労働者たちの手が止まり、じりじりと後退を始める。
「おうおう、いいザマだ。ここでドブ浚いを続けたいなら、その日当の半分を――」
「……邪魔だ。消えろ」
言葉の終わりを待たず、モヒカン男が地を蹴った。
その速度は、男たちの動体視力を完全に置き去りにしていた。
「なっ――!?」
突風が吹き抜けた刹那、モヒカン男は頭目の懐に潜り込み、その首根っこを巨大な万力のような手で鷲掴みにしていた。
「いいか、王都のドブネズミども。俺たちはトール様の法を執行する『都市防衛自警団』だ」
モヒカンの眼光が、かつて獲物の喉笛を掻き切ったあの鋭利な輝きへと変貌する。
「トール様が敷かれた『雷の誓約』。俺たちはこのシステムで働くすべての民を守護する。……古い泥水でふんぞり返ってるだけの寄生虫が、俺たちの誇り高い労働を汚すことは、絶対に許さねえ!」
モヒカン男は、大人の男をまるでボロ布のように無造作に放り投げた。
凄まじい勢いで宙を舞った頭目は、背後の手下たち数人を巻き込んで石畳に激突し、不快な鈍音と共に泡を吹いて沈んだ。
「て、てめえッ! 数で押し潰せ!」
激昂したゴロツキたちが襲いかかるが、現場にはすでに蒼黒の制服を纏った自警団が集結していた。彼らの手には、レッサーボアの牙を加工した無慈悲な『牙槍』が握られている。
「構えェッ!」
モヒカンの号令一つで、牙槍が隙のない鋼の壁を構築した。
「貫けッ!」
ガキンッ! ドグシャァァッ!
それは戦闘ですらなかった。大森林の過酷な生態系で鍛え上げられた暴力が、惰弱なゴロツキを一方的に破砕していく。剣は飴細工のように弾かれ、槍の石突が彼らの膝や腹を正確に、かつ機械的に打ち砕いた。
「ひ、ひぃぃッ! 化け物だ!」
数分も経たずに心が折れた者たちが、裏路地へと逃走を図る。
だが、その暗がりさえも、トールの支配領域であった。
「……王都の泥水で育ったネズミが、我ら『影』の眼から逃れられると思うたか」
空間の歪みから染み出すように現れたのは、銀の毛皮を纏う『忍者』たちだ。ザイードの特務機関が、音もなく痺れ薬の付いた矢を首筋へと突き刺していく。
バタバタと路地裏で倒れ伏すゴロツキたち。表の自警団が粉砕し、裏の忍者が刈り取る。彼らはトールが構築した自動防衛システムの前に、ただの「燃えるゴミ」として処理された。
「……す、すげえ……」
「あんな恐ろしい連中を、赤子みたいに……!」
一部始終を見ていた労働者たちの間から、震えるような感嘆が漏れる。
「安心しろ、お前ら!」
モヒカン男が、ゴロツキの骸を踏みつけながら、労働者たちに向けて力強く笑いかけた。
「トール様のために汗を流す限り、俺たちが命も、稼いだ銀貨も、明日食うパンも全部守ってやる! だから、安心して俺たちの都市を創り上げようぜ!」
「う、うおおおおおぉぉぉッ!!」
労働者たちの間から、割れんばかりの歓声が爆発した。それはもはや、雇用主への感謝ではない。自分たちを理不尽な世界から救済し、絶対的な力で守護してくれる「神」への狂信だった。彼らは再びツルハシを高く掲げ、瞳に熱狂の炎を燃やして、王都の大地を掘り返し始めた。
***
王都を見下ろす丘の上。
初秋の風が吹き抜ける中、月光を吸い込む『蒼黒の鱗羽鎧』を纏った俺は、漆黒の金属棒を肩に担ぎ、眼下で繰り広げられた完璧な制圧劇を冷徹に俯瞰していた。
脳内に展開されたレーダーには、工事の律動が再び最高速を取り戻し、労働者たちの熱を帯びた脈動が力強く波打っているのが可視化されている。
「……見事な連携だ。モヒカンの表の盾と、ザイードの裏の刃。この自律防衛システムがある限り、王都の古い権威など、もはや工事現場の小石ほどの障害にもならない」
不敵な笑みが零れる。
王都の地下には俺の陶管が血管のように張り巡らされ、地上には俺の建機が新しい規格の道を均し、民衆の心は配給されるパンと酒、そして絶対的な治安によって完全に依存の鎖に繋がれた。
国王フリードリヒ三世が魔酒に溺れ、腐敗した貴族が古い利権にしがみついている間に、この都市の「ハード(構造)」も「ハート(魂)」も、すでに俺のものとして完全に書き換えられているのだ。
「さあ、インフラの基礎工事は完了だ。次はいよいよ、この国の玉座そのものを、私のシステムの単なる『飾り物』へと再定義してやろうか」
三十代の社畜が異世界で組み上げた完全自動の搾取帝国は、一国の命運を完全に呑み込む最終フェーズへと、圧倒的な地響きを立てて進み始めていた。




