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遠雷のオーバーロード〜10歳の転生者は『雷魔法』と『神の蔵』で自由な自治都市を創る〜  作者: トール
第一章:大森林のサバイバルと雷霆の覚醒

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第007話:死線の果ての安息と狩人の目覚め

 


 水辺に崩れ落ちた膝から、泥の冷たさが伝わってくる。

 喉の奥を滑り落ちる、透き通るような青を湛えた水。その清冽な甘みは、火照った五臓六腑を冷徹に貫き、死の淵を彷徨っていた魂を強引に現世へと引き戻した。

 二日間の不眠、終わりのない恐怖、そして舌を焼き切るような渇き。それら全てを洗い流すように、水面は無数のダイヤモンドを撒き散らしたような煌めきを放ち、俺の生存闘争への勝利を無言で祝福していた。


「……はぁ、はぁ……」

 荒い呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がる。視界の先に広がるのは、以前の小川とは比較にならない圧倒的な水の質量だ。

 水際の湿った泥土を見下ろせば、そこには幾重にも重なり、踏み固められたレッサーボアたちの足跡が刻まれている。深い爪痕、泥に沈んだ蹄の記憶。


「水がある場所には、命が、そして死が集まる」

 三十代のサラリーマンとして積み上げてきた乾いた知識が、本能的な確信へと形を変える。

 この緑の地獄において、これほど豊穣な水源は、魔物たちにとっての聖域であり、同時に絶好の殺戮場だ。水を求めるのはレッサーボアだけではない。牙を持つ者、鱗を持つ者、まだ見ぬ未知の脅威も、この青い鏡を求めて現れるだろう。


 それは、俺にとっての「効率」そのものだった。

 闇雲に森を彷徨い、不確かな獲物を探す必要はない。この水場という絶対的なルールを掌握し、やってくる命を待ち伏せ、刈り取る。

 誰にも手出しできない力を得て、いつか仲間と共に理想の自治都市を築く。その壮大な野望に向けた、これは最初にして最大の兵站拠点だ。獲物の命を黒い棒に吸わせるたび、あの無機質なAI音声が俺をさらなる高みへと誘ってくれるだろう。


 しかし、冷徹な狩人の思考を完成させようとした瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。

「っ……ぐ……」

 脳髄を直接揺さぶられるような激しい眩暈。

 膝が折れそうになるのを、右手の黒い棒で辛うじて支える。落雷の熱で炭化した表面のざらつきと、指先をピリリと刺す微かな静電気。この不気味な相棒がなければ、俺は今ごろ泥の中に沈んでいたはずだ。


 当然だ。俺の精神は成熟した大人だが、その器はあまりにも幼い。

 十歳ほどの小さな身体で、夜の闇に潜む眼光に怯え続け、二日間も一睡もせずに歩き続けたのだ。緊張の糸がぷつりと切れた今、溜まりに溜まった乳酸が筋肉を縛り上げ、関節は錆びた機械のように軋みを上げている。

 このままでは、「狩る側」が「狩られる側」へ成り下がるのは時間の問題だ。


「まずは……巣を、作らなきゃな」

 ひび割れた声が、青や紫の燐光を湛えた木々の間に溶けていく。

 俺は己の頬を強く叩き、泥のような疲労を無理やり意識の底へ押しやった。

 水源を取り囲む断崖を視界で舐めるように探し、ようやく一箇所、奇妙な地形を見つけた。岩壁を掴むように這い回る古木の根が、天然の格子窓のように窪みを覆い隠している場所だ。


 内部は四畳半ほどの広さがあり、湿気も少ない。何より、絡み合った太い根が強固なバリケードとなり、大型の魔物の侵入を物理的に拒んでいた。

「よし。ここが、俺の城だ」

 腰の銀色ナイフを抜き、入り口を遮る蔓を手際よく断ち切る。銀の刃は驚くほど滑らかに植物の繊維を断ち、その確かな手応えが俺に束の間の安寧を予感させた。切り取った枝葉をカモフラージュとして散らし、俺は仮初めの拠点へと滑り込んだ。


 次は「火」だ。文明の灯こそが、獣を遠ざけ、夜の底に沈む恐怖から心を守る防壁となる。

 乾燥した小枝を積み上げ、黒い棒に意識を集中させる。

 ――バチィッ!

 蒼白の火花が爆ぜ、乾いた木肌にオレンジ色の小さな命が宿る。

 炎の揺らめきが、冷え切っていた小さな身体を優しく包み込み、洞窟の壁に大きな俺の影を映し出した。


「……生きている」

 パチパチと爆ぜる火の粉を見つめ、以前燻製にしておいたレッサーボアの干し肉を取り出した。

 ナイフで削ぎ切り、じっくりと咀嚼する。

 硬く、塩辛く、野性味溢れる肉の旨味。それが唾液とともに喉を滑り落ちる。


 ふと、前世の残像が過る。

 午前二時のコンビニ。眩すぎるほどのLED照明の下、数百円で手に入る温かい唐揚げ弁当。滑らかなプリンの舌触り。スマートフォンの画面を無機質にスクロールする親指の感覚。清潔で、安全で、退屈だったあの世界。

 だが、そこには今の俺を突き動かす「生の熱」はなかった。


「俺は、もう自重しない」

 焚き火の熱を見つめながら、俺は自分に誓う。

「俺のしたいように、この世界を塗り替えてやる」

 誰かに敷かれたレールを歩かされ、惰性のままに疲弊していた佐藤通は、あの落雷と共に死んだのだ。

 これからは、この水源を赤く染める覚悟で、やってくる全てを糧にする。戦国時代の堺のような、誰にも侵せない自由を、この手で掴み取ってやる。


 入り口に、踏むと乾いた音が鳴るように枝を敷き詰めた。

 俺は黒い棒を抱きしめるようにして、横たわる。

 瞼の裏には、昼間見た青い水面の煌めきが、幻影のように焼き付いていた。


 明日から、本格的な「狩り」が始まる。

 生存者から支配者へ。

 俺の意識は、深い、温かな眠りの泥沼へと沈んでいった。


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