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遠雷のオーバーロード〜10歳の転生者は『雷魔法』と『神の蔵』で自由な自治都市を創る〜  作者: トール
第一章:大森林のサバイバルと雷霆の覚醒

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第006話:野生の導きと命の味

 


 出発前、以前登った木から見た絶望的な景色を思い返していた。

 視界の端から端までを埋め尽くす、360度の深緑の海。そこには、文明の証である一筋の煙も、直線の境界を持つ建造物も存在しない。ただ、古の巨人たちが眠っているかのような名も知れぬ連峰が、遠くで薄青いシルエットを晒しているだけだ。

 この得体の知れない大森林のただ中で、俺という存在は、広大なキャンバスに落とされた一滴のインクよりも頼りなく、孤立していた。ここが騎士や貴族の踊る中世風の世界なのか、あるいは人類が黄昏を迎えた後の残滓なのか。その答えを教えてくれる他者の体温は、この森のどこを探しても見当たらない。


 だが、乾いた風が頬を撫でるたび、思考の霧は晴れていく。立ち止まって嘆いたところで、この森が俺を憐れんで食事を運んでくれるわけではない。

「……歩かなきゃな」

 喉の奥で、自分に言い聞かせるように呟く。

 滝裏の洞窟という「家」と、命を繋ぐ小川は手に入れた。しかし、この安息地は同時に檻でもある。文明の灯を求めてこの緑の迷宮を抜けるためには、移動ルート上に点在する水場を掌握しなければならない。


 そこで俺は、生存のための冷徹な賭けに出た。

 この森の覇者の一角、レッサーボア。あの巨躯を維持するには大量の水分が必要なはずだ。奴らが本能的に使い、土を剥き出しにさせている「獣道」を辿れば、自ずと豊かな水源へと導かれるだろう。

 魔物の群れが刻んだ道の記憶を道標とし、時にはその肉を喰らって血肉に変える。それが、三十代の意識を十歳の少年の体に宿した俺が、この不親切な世界に叩きつける生存戦略だった。


 手には、あの落雷の夜から俺の指先に馴染んでいる黒い金属棒。腰には、レッサーボアの牙を叩き出し、怨念を削ぎ落とした銀色のナイフが、冷たい光を放っている。

 深い霧が立ち込める獣道。足元の腐葉土が発する湿った土の匂いが、鼻腔を突く。

 落ち葉一枚鳴らさぬよう、指先に神経を集中させて歩を進める。周囲の木々は、青や紫の燐光を放つ葉を湛え、朝露に濡れて毒々しく輝いていた。頭上からは、錆びた歯車が擦れ合うような、不気味な鳥の鳴き声が断続的に降り注ぐ。


 不意に、前方の茂みが生き物のように波打った。

 風下へ回り、身を潜める。視界の先にいたのは、隆起した筋肉の塊――一頭のレッサーボアだ。

 今の俺の心臓は、静かに、そして力強く時を刻んでいた。激突の寸前、俺は棒の先端に全てを込めた。


 ――バチィッ!


 黒い棒から躍り出た青白い稲妻が、魔物を仕留める。

 死体から光の粒子が吸い込まれ、レベルアップの熱が四肢を巡る。レベルアップしてマジックバッグの容量が増えたことを期待した。だが、今は祝杯の前に、胃袋を黙らせるのが先だ。

 平らな石の上で厚切りにしたモモ肉がじゅうじゅうと泣き声を上げ、辺りに強烈に香ばしい匂いが充満する。


「……っ、うまい」


 噛みしめるたび、熱い肉汁が喉を潤す。

 ふと、深夜のコンビニの光景がフラッシュバックした。青白い蛍光灯の下、数百円で手に入る均一な「食」。あの安全な世界への郷愁は、確かに胸を締め付ける。けれど、自らの命をチップに賭けて勝ち取ったこの「命の味」には、生の躍動が宿っていた。


 だが、この「命の味」を噛みしめた直後から、真の試練が始まった。


 仕留めた個体が向かおうとしていた方角――そこには、幾多のレッサーボアが幾重にも踏み固めた、深く湿った獣道が伸びていた。俺はその道に残された無数の足跡を新たなガイドラインに据え、森の奥深くへとさらに踏み込んだ。さらに二日間、森をさまよった。


 夜の帳が下りるたび、森は昼間とは別の、より濃厚な死の気配を帯びる。巨大な樹木の根元に身を潜め、黒い棒を抱きしめるようにして眠りにつこうとするが、意識は鋭敏に尖り、わずかな風の音にも心臓が跳ね上がった。

 遠くで響く魔物の遠吠え、未知の生物が這い回るカサカサという音。それらが耳に届くたび、闇の中に無数の眼光が光っているような錯覚に陥る。


「……まだ、見つからないのか」


 二日目の夜、俺は疲労困憊しながらも、結局一睡もできなかった。

 まぶたの裏には、元の世界の清潔なベッドや、無機質なエアコンの動作音が浮かぶ。寝付けない日々は、俺の精神を確実に削り取っていく。

 次第に獣道は険しさを増し、喉の渇きは限界を超え、視界が熱に浮かされたように歪み始めていた。自分はただ、死への行進をしているだけではないのか。そんな疑念が、夜の静寂に乗じて心を侵食しようとする。


 そして三日目の朝、重い体を引きずりながら、最後の一歩を草むらに踏み出した時だった。


 湿り気を帯びた強い風が、唐突に鼻腔を抜けた。

 草木を掻き分けたその先で、俺は言葉を失った。


 そこには、これまでの小川とは次元の違う、広大な水の鏡が広がっていた。

 透き通るような青を湛えた水源。その水面は、降り注ぐ陽光を砕いて無数のダイヤモンドのように煌めいている。レッサーボアたちが残した無数の足跡は、二日間の死闘のような旅路の果てに、確かにこの約束の地へと続いていた。


「……見つけたぞ」


 水辺に崩れ落ちるように膝をつき、両手で掬い上げた水を一気に煽る。

 五臓六腑を冷徹に貫くような、清冽な甘み。それが全身の細胞を呼び覚まし、死にかけていた俺の魂に新たな活力を与えてくれる。

 二日間の不眠と恐怖、そして渇き。その全てが、この水の一滴によって報われた気がした。


 元の世界への未練と、この世界での野望。

 寝付けない夜に何度も反芻したその葛藤は、いま、確信へと変わった。俺はもう、飼い慣らされた羊には戻らない。

 この広大な水源の発見は、俺がこの森で「生存者」から「支配者」へと変わるための、揺るぎない土台となるだろう。


 俺は潤った喉で深く息を吐き、勝利の余韻と共に、黒い棒を強く握り直した。


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