第030話:死の絡繰と偽りの狩人
地下の蒸留器から琥珀色の雫が絶え間なく滴り、巨大な氷室ではレッサーボアの巨躯が、解体ラインに並ぶ男たちの手によって無機質に捌かれていく。
俺が構築した「自動生産の歯車」は、今や城塞都市の暗黒街を静かに、だが確実に侵食し、底なしの富を俺の蔵へと運び込み続けていた。
だが、グレン商会が設えた隠れ家の最上階、磨き上げられたアンティークの執務机に足を投げ出していた俺の思考には、拭い去れない「ノイズ」がへばりついていた。
「……原材料の調達だ。ここだけが、まだ澱んでいる」
酒の蒸留も、肉の解体も、鮮度保持の兵站も、すべて属人化を排除し、マニュアルという名の鎖で繋ぐことに成功した。しかし、最上流の工程――大森林でのレッサーボアの狩猟だけは、依然として俺が現地へ赴き、広範囲制圧魔法『雷霆の網』を叩き込む必要があった。
俺がいなければ、工場のベルトコンベアは停止し、街の胃袋を満たす肉の供給は途絶える。
これは、俺が理想とする絶対的な支配者の姿ではない。前世のブラック企業で、自ら手を動かさなければプロジェクトが頓挫する状況に追い込まれていたあの頃の、惨めな残像だ。今の俺は、自ら立ち上げた巨大な帝国の王ではなく、ただの「高給取りの熟練作業員」に成り下がっている。
「俺はもう、自分というリソースを労働に切り売りするつもりはない。……たとえ、それが俺自身の事業であってもだ」
戦国時代の堺を超える絶対的自治都市。その野望を成し遂げるには、俺が現場を離れても「死」が自動的に生産される仕組みが必要だった。
「ザイードの手下どもを狩人にするか? ……いや、論外だ」
窓の下、スラムの路地裏を這い回るゴロツキたちを見下ろし、俺は冷たく鼻で笑った。
垢染みた革鎧を纏い、錆びた剣を杖代わりにしているドブネズミどもだ。かつて一頭の殺気に当てられ、呼吸を忘れたほどの化け物――レッサーボアの猛進を前にすれば、彼らは失禁して泥に塗れることしかできないだろう。
人を鍛えるのはコストが見合わない。ならば、人を殺す「仕組み」そのものを森へ持ち込めばいい。
俺は『マジックバッグ Lv.2』の深淵から、蓄積された「死の素材」を広間へとぶちまけた。
ギア・クロウの黒光りする金属羽、大森林で切り出した強靭な蔓、そしてレッサーボアの鋭利な牙。
「『解体・加工 Lv.2』」
スキルを起動した瞬間、視界は幾何学的な光の接合線に支配された。
銀色の牙ナイフをレーザーカッターのように振るい、強靭な蔓の繊維に、金属羽から抽出した極細の鋼糸を緻密に編み込んでいく。
指先に伝わるのは、植物のしなやかさと、金属の冷徹な硬質さが融合する奇妙な手応え。完成したのは、魔物の牙ですら噛み千切ることは叶わぬ、黒い光を帯びた「鋼のワイヤー」だ。
さらに、弾力性の高い木材をバネ状に加工し、留め金を外せば一瞬で獲物を吊り上げる『モジュール式括り罠』を次々と組み上げていく。
翌朝。スラムの広場には、俺の冷徹な支配に完全に服従した五十人の悪党たちが整列していた。
「ボス……!? 冗談だろ、俺たちにあいつらと戦えってのかよ!」
リーダー格のモヒカン男が、顔を土気色に変えて悲鳴を上げた。
「戦えとは言っていない。ただマニュアル通りに『作業』をしろ」
俺は荷馬車に山積みされた罠のモジュールを指差した。
「俺が切り拓いた舗装ルート。その獣道に、この罠を埋めろ。そして風上に臓物と血を撒き、木の上に隠れていろ。……それだけだ。舌打ち一つでも無駄な動きをすれば、次はお前たちの脳髄を焼く」
恐怖を強欲で上書きされた男たちは、震える手で「死の絡繰」を荷台に積み込んだ。
大森林の入り口。
日光を拒絶する巨大な天蓋の下、湿った土と腐敗の匂いが混ざり合う空間。
俺は『気配察知 Lv.1』を全開にし、離れた巨木の枝から、設置班の動きを冷徹に俯瞰していた。
彼らはマニュアル通りに罠を埋設し、燐光を放つ落ち葉でそれらしくカモフラージュしていく。そして風上に血を撒き散らすと、蜘蛛の子を散らすように枝の上へとよじ登った。
数十分後。
『気配察知』のレーダーが、地鳴りのような巨大な「震動」を捉えた。
ズシン、ズシン、ズシン!
木々をなぎ倒し、立ち込める土煙を突き破って、五十頭を超えるレッサーボアの群れが姿を現した。剥き出しの牙、狂ったような突進。
「……さあ、歯車を回せ」
俺は闇の中で、声に出さずに呟いた。
獲物たちが、死の線が引かれた「屠殺場」へと、自らその身を投じていく。




