第206話:天上の物理的遮断(DDOS攻撃)と白銀のインフラ防衛戦
天上の彼方、定命の者が「神の座」と仰ぐ次元よりもさらに高く、物理法則を拒絶した白亜の空間が存在する。
無限の純白の中央に浮かぶ巨大な天球儀のホログラムを見下ろしながら、星の理を管理する『監視者』は、その無機質な黄金の瞳に初めて明確な焦燥と殺意を浮かべていた。
「地上の異常個体め。……我が放った修正プログラムたる天使たちを分解したばかりか、星の深層に流れる『大龍脈』の魔力を、自らの経済システムへと際限なく吸い上げ続けている」
オブザーバーは、天球儀の一角で赤黒いバグとして明滅する城塞都市と迷宮都市の座標を冷徹に睨み据えた。
生態系の維持のために設定された迷宮というプログラムが、悪意ある書き換えによって全自動の魔力採掘プラントへと再定義されている。
このままでは、星を巡る魔力の血液がすべてあの少年の企業体に飲み込まれ、星のシステム全体がダウンしてしまうだろう。
「……論理干渉で防げぬというのなら、物理的に遮断するまでだ。あの異常個体のインフラごと、周囲の空間の魔力を枯渇させよ。極大の『自然の猛威』をもって、奴のシステムに致命的な過負荷を与えよ」
監視者の氷のような宣告と共に、星の気候を司る高次システムが、致命的なエラー訂正を開始した。
***
同時刻、地上の城塞都市。
少女が仕掛けた「信仰のストライキ」によって、一部の生産ラインに微細な遅延が生じていたその夜。大聖堂の広場やメガ・ベーカリーの前では、作業を放棄した民衆たちが座り込み、熱心に「女神ララァ」への祈りを捧げていた。
だが、星空を覆い尽くすように、突如として不気味な鉛色の暗雲が異常な速度で湧き上がった。
季節外れという生易しいものではない。大気中の魔力が急速に吸い上げられ、空間そのものの分子運動が強制的に停止させられようとしている。
絶対零度にも迫ろうかという、異常な大寒波。空からは、石のように硬く巨大な雹と、視界を完全に白く塗り潰す狂気的な猛吹雪が、都市へ向けて容赦なく叩きつけられ始めたのだ。
「女神様……どうか、お救いを……っ」
薄着のまま祈りを捧げていた民衆の唇は瞬時に紫に変わり、吐く息すら凍りついていく。どんなに敬虔に祈ろうとも、天上から降り注ぐ絶対的な「死の冬」は容赦なく彼らの体温を奪っていく。
彼らは「祈っていても寒さで死ぬ」という生々しく残酷な現実に、否応なく直面させられた。
そこへ、都市の地下からズゴォォォォォォンッ! という内臓を揺さぶるような地鳴りが響き渡った。
王都を一望する隠れ家から、少年の絶対者・トールが迷宮都市から汲み上げている全魔力を、都市の地下に張り巡らせた『温熱インフラ』へ最大出力でバイパスしたのだ。
凍りついていた足元の石畳から、生命を繋ぐような心地よい「熱」がじんわりと、そして力強く立ち昇ってくる。さらに、少年は蒸気機関のボイラーに限界まで燃料を投下させ、排気ファンを開放。風に乗って、暴力的なまでの『極上・琥珀の魔酒』の芳醇な香りと、焼きたての規格パンの匂いが津波のように押し寄せてきた。
「熱だ……! トール様の熱が、俺たちを温めてくれる……!」
「工場へ戻れェェッ! 祈るより、ボイラーの前に立って暖を取るんだ!」
圧倒的な自然の猛威と死の恐怖に対し、少年が提示した「現世の利益と熱」。
少女が教義を書き換えて起こした平和的な信仰のストライキは、少年の冷徹なインフラマネジメントの前に、いとも容易く自然崩壊した。民衆は祈りの手をほどき、自ら進んで灼熱の工場へと雪崩を打って駆け出していく。
スラムの片隅にある空き教会で、天才令嬢たる少女は、色付き眼鏡の奥の蒼い瞳を戦慄に見開いた。
「……なんてこと。天上の神がもたらした死の冬を、彼自身の『機械の熱』と『煙』で相殺し、私のストライキまで粉砕してしまった……!」
護衛のリーゼが少女を庇うが、眼下の光景は、自然の猛威(神罰)と産業革命(人工のシステム)の真っ向勝負へと発展していた。
***
隠れ家の最上階。
アンティークの執務机に身を沈めていた少年は、窓ガラスが凄まじい風圧と氷結でミシミシと悲鳴を上げる中、青白いホログラムモニターを冷徹に睨み据えていた。
『――警告。外部環境の急激な熱量低下を検知』
『――警告。大気中のマナ・ラインが強制的に遮断されました。魔力供給率、低下中』
「魔力というネットワークを枯渇させ、極大の寒波という名の過負荷を都市全体に叩き込むことで、俺の工場とインフラを物理的に凍結させるつもりか」
少年は、月光を吸い込む『蒼黒の鱗羽鎧』を重厚に鳴らして立ち上がった。
「防衛戦は上手くいっている。だが、相手は星の魔力そのものを握る管理者だ。このまま持久戦を続ければ、いずれこちらの物理的なリソースが枯渇する」
社畜時代の経験が告げている。DDOS攻撃を防ぐ最も確実な方法は、耐えることではない。攻撃を仕掛けてきている相手の『サーバー』そのものを、こちらから撃ち抜いて沈めることだ。
「天上から俺を見下ろしているクソ野郎。……お前の玉座のファイアウォールごと、物理的・論理的に撃ち抜いてやる」
少年は、窓を蹴り破り、猛吹雪と灼熱の蒸気が入り交じる城塞都市の屋根へと躍り出た。
知力(INT)を極限まで引き上げた彼の脳髄が、都市中に溢れる「熱」と「蒸気」、そして大龍脈から引き上げられた「魔力」のすべてを、一つの巨大な術式として編み上げていく。
「地上のリソースを一つに束ねる。……俺の帝国の生産力すべてを、天頂を穿つ『砲弾』に変換するぞ」
少年は、右手の黒い金属棒を、暗雲が渦巻く天頂へ向けて真っ直ぐに突き上げた。
その瞬間、都市の地下を巡る温熱インフラ、工場のボイラー、そして数万の民衆が放つ生命の熱気――そのすべてが、少年の『管理者権限:支配領域』を介して、光の粒子となって金属棒の先端へと収束し始めた。
「集え。そして、星の理ごと焼き切れ」
圧倒的な熱量が、青白い極小の特異点となって金属棒の先端に凝縮される。
周囲の空間が、エネルギーの密度に耐えきれずに陽炎のように歪み、ビキビキとガラスが割れるような音を立て始めた。
「物理破壊』、開始だ」
少年の口角が、残酷なまでに深く吊り上がる。
彼は、全魔力と都市の熱量を乗せたその一撃を、天上の白亜の空間――監視者が座す次元の座標へ向けて、全力で解き放った。
「『極大天雷』――指向性・次元突破!!」
――ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッッ!!!!!
世界から、音が消え去った。
黒い金属棒の先端から放たれた極太の青白い魔力砲が、天地を繋ぐ巨大な光の柱となって、絶対零度の暗雲を文字通り「消滅」させながら、宇宙の彼方へと真っ直ぐに駆け上っていく。
その一撃は、大気中の魔力網を逆流し、次元の壁を物理的な暴力とデジタルの論理で粉砕しながら、星のシステムの中枢へと突き刺さった。
***
天上の彼方。星の理を管理する白亜の空間。
「な、何事だ……ッ!?」
玉座に座す監視者は、自らの空間を揺るがす異常な震動に、黄金の瞳を見開いた。
無限の純白の中央で回転していた天球儀のホログラムが、突如として真っ赤なエラーを吐き出し、表面に黒と青が入り交じった巨大な「亀裂」を走らせたのだ。
「外部からの論理干渉だと!? 地上の存在が、我の放った断絶の嵐を押し返し、あまつさえ高次元領域のファイアウォールを物理的に撃ち抜いてきたというのか……!」
監視者の顔に、初めて「恐怖」という名の感情が走った。
古き神話の時代から続く、絶対に侵されないはずの神の領域。それが今、たった一人の少年が組み上げた「地上のインフラ」が放つ熱量によって、根底からハッキングされようとしているのだ。
「……古いシステムにしがみついた管理者は、そろそろ席を譲る時間だ」
天球儀の亀裂から、青白いノイズと共に少年の声が高次元空間に響き渡る。
「お前たちの管理権限と、この星を満たす大龍脈のすべて。……俺の巨大な企業体を駆動させるためのバッテリーとして、俺が丸ごと『買収(M&A)』してやる」
星の理を管理する存在と、すべてを合理と経済で塗り替えようとする絶対者。
自然の猛威(神罰)と産業革命の激突は、少年の放った規格外のハッキングによって、神の座を直接奪い合う『インフラ防衛戦』の最終局面へと雪崩れ込んでいった。




