第4話 甘すぎる王太子の口付け
神様のくれた「聖女」の加護というのは、本当に凄まじいものだった。
隣国、リザリア帝国へと迎え入れられた私は、アストル殿下に連れられて、まずは国境沿いの広大な荒野を一望できる高台へと案内された。
「シーア、ここに君の祈りを捧げてみてほしい。君の望むままでいいんだ」
アストル殿下に優しく背中を押され、私はただ、お腹の虫を鳴らしながら素直に願った。
(みんなで、美味しいお野菜やお肉がたらふく食べられますように!)
八百屋の娘としての、あまりにも食欲に忠実な祈り。
その瞬間、私の頭上の百合の冠が眩い光を放ち、光の粒が優しく荒野へと降り注いだ。
すると、どうだろう。
さっきまで草木一本生えていなかった茶色い大地が、一瞬にして波打つような鮮やかな深緑へと塗り替えられていったのだ。
それからのリザリア帝国の発展は、まさに目を見張るものだった。
私の加護によって、国内のあらゆる荒地は瞬く間に緑豊かな大農地へと姿を変えた。作物は植えるそばから丸々と実り、市場には見たこともないほど瑞々しい野菜や果物が溢れかえった。
私はアストル殿下の隣で、文字通り国を物質的にも精神的にも豊かにしていったのだ。
そんな幸福な日々の中、私のいる王宮のテラスに、かつての母国・アルカディア王国の「風の噂」が届いた。
聞けば、あちらの国は未だに大飢饉の真っ只中らしい。
そりゃそうだ。
土地の栄養は死に絶え、おまけに唯一国を救う希望になるはずだった聖女候補だった私を、あのバカ王子が叩き出してしまったのだから。
飢えに苦しんだ母国の国民たちは、ついに耐えかねて暴動を起こしたという。
ここで減税するか備蓄を出すなりして飢えた民を宥めればよかったのだが、あのルード王子の脳みそはやっぱり道端の馬糞以下だった。
王子は国民の悲痛な訴えを、自慢の騎士団による「武力」をもって迎え撃ったのだ。
「ええい愚民共よ。この私に逆らうとは、目にもの見せてやる!」
そう叫んで剣を抜いたバカ王子の蛮行により、母国は国民と王族が血で血を洗う、最悪の泥沼劇へと突入した。
この措置によりアルカディア王国では、これから先何十年、何百年と終わりのない戦国の世が続くことになる。
周辺国からは、関わってはならない恐怖の土地——「修羅の国」と呼ばれるようになるのだが……。
「……ま、私は追放された身だから、もう関係ない、かな」
私はテラスの椅子に深く腰掛け、最高級のハーブティーを飲みながら、冷やややかにその噂を頭の隅へと追いやった。
何の力もない平民の娘だと見下し、ペラペラのドレス一枚で荒野へ捨てたのだ。
今更どんな地獄に落ちようとも、知ったことではない。
「シーア。またそんな悲しい国の噂を気にしているのかい?」
後ろから、優しく私を包み込むように、大きな腕が回された。
振り返るまでもない。
私の大好きな、甘くて心地よい声。
白銀の髪を揺らしながら、アストル殿下が私の肩に顎を乗せて囁いてくる。
「アストル殿下。いえ、気にするなんて滅相もないです。ただ、本当にバカな人たちだったんだなぁって、呆れていただけですから」
「ふふ、ならいいんだ。君にあんな安物のスープを飲ませていた男の末路なんて、どうでもいい。それより——」
アストル殿下は私の身体をくるりと自分の方へ向けると、私の腰をぐっと引き寄せた。
至近距離で、星を閉じ込めたような藍色の瞳が私を見つめる。
その瞳の奥には、私への底なしの独占欲と、とろけるような愛が満ちていた。
「今日も君は世界で一番美しい。……ねえ、シーア。そろそろ『殿下』ではなく、私の名前を呼んでくれないか? 私たちは、もうすぐ夫婦になるのだから」
「あ……う、アストル、様……」
恥ずかしさで顔がカッと熱くなる。
いつも強気なツッコミを入れられる私なのに、この人の前に出ると、途端にただの初心な女の子にされてしまう。
そんな私の真っ赤な顔を見て、アストル様は満足そうに目を細めた。
「よくできました。……可愛いシーア、これはご褒美だ」
囁きと共に、アストル様の顔が近づいてくる。
ゆっくりと重なる、お互いの唇。
「ん……っ」
それは、これまでバカ王子に強要されていたカチカチの黒パンや冷え切ったスープの味を、記憶の彼方へ完全に消し去ってしまうほど、あまりにも甘くて、温かい口付けだった。
胸の奥がじんわりと痺れ、身体中の力が抜けていく。
アストル様の甘すぎる愛に、私はただ、身を委ねるしかなかった。
唇が離れると、彼は私のこめかみにそっと指を這わせ、愛おしそうに微笑んだ。
「これからは、毎日君に最高の食事と、最高の愛をあげる。私の可愛い聖女様」
「はい……! 私も、あなたを全力で幸せにします、アストル様」
銀貨三枚で買われ、ゴミのように捨てられた八百屋の娘。
けれど今の私は、世界で一番贅沢な宮廷料理と、世界で一番優しくて甘い旦那様の愛に包まれている。
私はアストル様の胸にぎゅっと飛び込みながら、これから始まる永遠の幸福な日々に、満面の笑みを浮かべるのだった。




