第2話 私に大飢饉を押し付けられても、どうにもなりません。
神様というのは、本当に性格が悪いらしい。
あるいは、とても良いと言うべきなのかもしれない。
私が「銀貨三枚の無力な商品」として、バカ王子のケチな監禁生活に甘んじていた翌年。
王国に、未曾有の「大飢饉」が訪れた。
最初は、ほんの少し雨が降らないだけだった。
けれど、一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎても、空からは一滴の恵みも落ちてこない。
太陽は容赦なく大地を焼き、畑の土は白くひび割れた。
市場からは新鮮な野菜が消え、平民たちの悲鳴が城の分厚い壁の向こうからでも聞こえてくるようになった。
当然、城の食事も影響を受けた。
……と言っても、元からカチカチの黒パンと透明なスープしか与えられていなかった私の食事は、これ以上クオリティの下げようがなかったのだけれど。
そんなある日の午後。
私の部屋の扉が、壊れんばかりの勢いで——
バカァン!
と蹴り開けられた。
「聖女シーア!! お前、一体いつまでさぼり続けるつもりだ!」
突進してきたのは、髪を振り乱し、血走った目で私を睨みつけるルード王子だった。
無駄に整った顔が、今は焦りと怒りで醜く歪んでいる。
「仰っている意味が解らないのですが……」
「馬鹿か貴様は! 飢饉だ! 我が国の畑が全滅しかけているのだぞ!」
王子は私の机を激しく叩いた。
皿のスープが数滴、哀れに跳ねる。
「お前は我が国の聖女だろう! なぜ祈らない! なぜ奇跡を起こして雨を降らせない! お前が毎日怠けて祈りを捧げないから、神の怒りを買ったに違いない!」
「……私は聖女ではなく、ただの平民です」
「なんだと! お前はこの私を騙したのか!」
「いえ、騙してはいません」
「意味が解らん! 騙していないということは――つまり本当に聖女だったということだな。よくも一年間、サボりまくってくれたな!」
「……いえ、あのですね」
「それに何だ、その薄汚いなりは! 私の婚約者のくせにぼろ着を着ていて恥ずかしくないのか!」
「この格好は、殿下が——」
「お前がそんな薄汚れた格好をしているから、私はお前を抱いたことがないのだ!」
「いえ、別にそれは結構です」
「嘘をつくな! 可愛がって欲しくば、もっと身ぎれいにしろ!」
あまりの理不尽さに、私の頭の中で何かが プチリ と音を立てて弾けた。
これまでは、銀貨三枚で売られた無力な平民として、じっと耐えてきた。
だが、もう限界だった。
「殿下。責められても困ります。私は最初から、何度も言いました」
私はスプーンを置き、真っ直ぐに王子を見据えた。
いつもなら怯えるはずの私が冷ややかな声を出したものだから、王子は一瞬、気圧されたように口をあぐあぐと動かした。
「私は聖女の奇跡なんて使えません」
「な、何だと……!? やはり貴様、詐欺師であったか!」
——もうどうにでもなれ。
このままでは永遠に同じ問答の繰り返しだ。
私はいっそ死にたかったのかもしれない。
立ち上がり、王子の目の前に人差し指を突きつけた。
「ええ、まんまと騙されましたね。私は聖女ではなく、ただの八百屋の娘です」
話を合わせてあげることにしたのだ。
部屋の中がシーンと静まり返った。
王子の顔は、赤から青、そして屈辱で土気色へと目まぐるしく変わっていく。
平民の、しかも銀貨三枚で買ったはずの小娘に、自分が完全に騙されていた。
プライドだけは天より高いこの男が、耐えられるはずがない。
「お、おのれ……! 平民の分際で、この私を愚弄するか!」
王子は激昂し、ワナワナと拳を震わせた。
「やはり貴様は聖女などではない! 俺を陥れるためにわざと国を滅ぼそうとしている邪悪な詐欺師だ! 国民が飢えているのは、すべて貴様が不吉を呼び込んでいるからだ!」
もう、支離滅裂だった。
いや、それは最初からか。
自分で適当に拉致してきて、都合が悪くなったら「詐欺師」呼ばわり。
この男の脳みそは、本当に馬糞だったらしい。
「もう許さんぞ! 貴様との婚約は今すぐ破棄する! それだけで済ますと思うなよ!」
権力者に逆らったのだ。
私の命はここまでだろう。
そう覚悟した。
* * *
——そうして、話はあのきらびやかな夜会での「断罪シーン」へと繋がる。
パーティー会場の真ん中で大々的に恥をかかされた私は、夜会用のドレス姿のまま、手荒に馬車へ押し込まれた。
ガタゴトと激しく揺れる馬車の中で、私は冷え切った自分の手を擦り合わせる。
持ち物は何一つない。
着ているのは、王子が「清貧の象徴」として用意した、ペラペラで裏地もない安物の白いドレスだけ。
夜の寒風が容赦なく布地を透かし、肌を凍えさせた。
最後まで銀貨三枚の商品扱いのまま、ゴミのように捨てられるのだ。
そして、死ぬしかない。
どれほど走っただろう。
やがて馬車が止まり、私は国境を守る騎士たちによって荒地へ突き飛ばされた。
硬い地面に膝を打ちつけ、痛みに顔を歪める。
背後で重々しい鉄の門が バタン! と閉まり、閂が下りる音が荒野に虚しく響いた。
「ふぅ……」
私はゆっくりと立ち上がり、土埃を払う。
見渡す限り、草木も生えない荒涼とした荒野。
夜の闇がどこまでも広がり、遠くで狼の遠吠えのような風の音が聞こえる。
普通なら、ここで絶望して泣き崩れるところだろう。
着の身着のまま、見知らぬ異国の荒野に放り出されたのだから。
私の命もここまでだ。
——けれど。
「……ま、あんなバカ王子の婚約者を続けさせられるよりは、マシ、よね」
不思議と、胸の奥はすっきりと晴れ渡っていた。
あのカチカチの黒パンを食べなくていい。
あの男のドヤ顔を見なくていい。
それだけで、心は鳥のように軽かった。
ぐぅぅぅ……。
「ああ、お腹空いた。……とりあえず、歩くか」
静まり返った荒野に、私のお腹の虫の音が情けなく響く。
私は安物のドレスの裾をきゅっと結び、寒さに身を震わせながらも前を向いて一歩を踏み出した。
この先に、私の人生を文字通り「ひっくり返す」ような、甘くて美味しい運命が待っているとは——
この時の私は、まだ微塵も思っていなかったのである。




