追うものと追われるもの
「ーー流石に野宿することはできねぇな」
「ん?野宿する気じゃったのか?こんなに可憐な美女を連れて?」
ガッシガッシと適当に頭を撫でつけると幼女は抗議の声をあげる。
小学生の頃よく家出をすることがあった。
家族と喧嘩したり、ヒキニートに文句を言われたり、あとはアメリーと喧嘩していじけたりとか。
大体の場合、おおよそ八割野宿だった。
家出をするにも行く所がなくて、どうすることもできなかった。結局歩くのも面倒になって、近所の公園の倉庫、その屋根上で寝転がっていた。
けれどここは異世界ということもあって、倉庫上で寝るということもできない。
そもそも倉庫がないし。
それに今は俺一人じゃない、この幼女もいる。
路銀は少ないけれど、やっぱり少しは気を使ったほうがいい。
治安が日本みたいにいいとはいえない、裏路地に入れば襲われかねないし、野宿なんてした日には翌日には死体になっているか奴隷として売られていることだろう。
……まあアメリーとかだったらドイツに比べたらマシと言って行くのだろうが。
「安すぎず、高すぎず、まずまずの宿屋を探すぞ」
「うむ。中堅どころを探すんじゃな」
「ああ金がないときは無理に節約するよりもある程度の消費をしたほうがいいからな」
「まあそれがいいじゃろう。暖かい寝床がなければ子は戦えぬ故」
「お布団はいいもんな」
「そうじゃな」
この少女は何者なのだろうかと、ふと思う。
喋り方も老人に似ているというか、子供が無理に老人らしく話しているというか。
よくわからないのだけれど彼女からすれば詮索して欲しくないものかも知れない。
空気が読める俺はそういうのが割とわかる、ただいつもわざと読まないだけであって。
少なくとも袖を掴んで、心細くしている姿に嘘はない。
「それにしてもやっぱ金だよな……荷物持ってこれたおかげで数週間分だったら宿代はあるし、今のうちになんとか金を稼がないと」
「お主は通訳とかの仕事をしとるんじゃないのか?アルグリア語を喋れる上に、アルドリア語も理解している。言語がわかるということは読み書きができるということであり、それはつまりある程度の家の出ということじゃ。若いなりにも通訳の仕事をしとるのかと思ったんじゃが……」
ああ、なるほど。異世界はあまり識字率が高いとはいえないし、語学に精通しているというだけで通訳と推測してしまうのか。
どれもこれも俺が自力で手に入れた能力じゃないので、あまりピンとこない。
与えられたものであまりいばりたくもないし苦笑いしかできないのが辛い。
「諸事情あって無職なんだ。仕事の同僚というか、上司というかに謝ろうと思ってどうするか考えてる」
「お主のような者を解雇するとは余程の無能とみえる」
「買い被りすぎだ」
「過小評価じゃよ。お主、結局最後の最後まで裏切れない人間じゃろう。どんなにひどく裏切られても、結局最後まで気にしてしまう」
どきりと、というか、正確にいうならばグサリときた。
まるで今の状況を見透かされているかのようだった。
俺は追放された、ならばわざわざ言語理解の能力を分け与え無駄に魔力を消費する義理もない。
けれどまだ俺は光輝がーー親友が何か意味があって追放したんじゃないかと願ってしまっている。
割と、光輝が本気で裏切ったわけではないだろうとは思っている。けれど今こうして路頭に迷わされているのも事実だ。
「今日日通訳は国家間の交渉で使われる、通訳の意思によって解釈も意味合いも変わってくるゆえ、信頼できるものにしか任せられないじゃろう。その点いい言葉を使うならば忠義に満ちたーー悪い言い方をするならばヘタレのお主が最適じゃろうが」
「……」
「どうしたんじゃ?」
やばい、うん。目尻が熱い。
「いや、泣いただけだ、なんか今まで俺の苦労をわかってくれる人がいなかったから、そうやって褒められるだけでかなり嬉しいんだ」
苦労も理解されず、クラスメイトのために頑張っていたのに追放されるーー気分は最悪だ。
親友だから、まだ何か理由があるのかもしれないと考えられているけれど。
「まだ子供じゃのう。泣くなら後にせい、宿屋を探すんじゃろう?」
「うん、まあそれもそうだな。もしお前が生まれてくるのが十年早かったら惚れてた」
「ふむ、口説くのもいいが将来の安泰と休息は失われると思ったほうがいい」
やはりその薄い胸を張って幼女ーーエルグレイ・クメシュは得意げな顔を浮かべる。
「と言ってもエルグレイって長いな」
「なんじゃ?わしの名に不満があるのか?」
「不満はないけど長いから。ふとした時に名前を言おうとしたら困るなと思って」
名前は命に等しい、そのあり方の器のようなものだと哲学者はいった。
自己の認識だと。
ぶっちゃけ哲学なんてじつ生活にくその役にも立たないけれど、屁理屈をこねるのなら最適だろう。
確かに長いかなと思ったのか、彼女は顎に手を当てて首をかしげた。
「ふむ、それもそうじゃな。敬意と畏怖を込めて好きに呼ぶといい」
「じゃあエルで、ほらなんか短いし呼びやすい」
「雑な理由で決められたのに憤慨すべきなのだろうが……まあ、ここは多めに見てやらんこともない」
エル、エル。
なぜか兄貴が歯軋りしながら泣いているのが見えた気がした。
クソニートを自称していた兄、働いたら負けと笑う兄を恋しいと思っている自分がいる。
日本に来たばかりの彼女も、こういう気分だったのだろうか。
見知らぬ場所で、誰も知らず、言語も通じない。
ぎゅっと袖が引かれる気がした。
見下ろせばエルが路地裏を睨んでいるのがわかった。
怯えてるような、けれどどうすねきだろうかと迷うような、そんな複雑な顔。
昔アメリーも似たような顔をしたことがあった。
ろくなことにならなかったことだけは覚えている。
一体何がくるのだろうか、いや一体何が起きるのか。
子供の感というのは馬鹿にできないーーつまり今の俺にできることはただ一つ。
「よし、逃げるか」
「……え?」
いつの間にか袖から、俺の手を握りしめていたエルの手を握り返し、来た方向を戻るように走り始めた。
幸い時間帯的に人ごみで、混ざって仕舞えばそうそう見つからない。
背後から悲鳴が聞こえる、何かが勢いよくぶつかる音が聞こえた。
人々の声が上がる。歓声だったり悲鳴だったり、よくわからない喧騒だ。
なぜか背後へと戻ろうとしているようなーーけれど逃げたい、そんな面倒な表情で手を握るエルを抱き抱えて、必死に走った。
ーー
「ぼえっー!?」
爆発音、強い衝撃に襲われ巨漢が吹き飛ぶ。
路地裏、夕暮れのこの時間。
お世辞にも治安がいいとはいえないし、女子供が歩けば悪人に絡まれてしまう。
暴漢たちは普段と同じような相手ならばなんの問題もなかった、いつも通り武器で相手を脅し、泣くその体を押さえつけ、暴力と恥辱の限りを尽くせば相手は咽び泣きながら膝を抱えるだろう。
上物だと思った、特殊な性癖を持つ隣国の貴族に売りつければ大金が得られることだろう。
ただ一つ違和感を挙げるならば、女は泣くこともなく、ただ、ああ、面倒だなと呟いたことだった。
綺麗に刈りそろえられた豪奢な金髪、宝石のような瞳はいかにも貴族然としていて変態どもの好みに違いないだろう。
ナイフを突きつけ、いつも通りの常套句を述べるがーー
「うん、発言の自由は保障されているけれど、その言葉には責任がつきまとうものだ。その責任をとってくれるだろうね」
枝切れのような杖、爛々と輝く碧眼、朱色に染まる毛先。
路地裏の闇に佇むその姿はまるで悪魔か天使か。
こいつはやばい逃げるぞと、言った、言ったつもりだった。
口から出たのは吐瀉物と汚らしい悲鳴だった。
自分の口からその言葉が出たのだと理解できなかった。
壁に叩きつけられ、脳震盪で視界がぶれる。
兄弟分が怒号をあげてナイフを振るのが見え、次の瞬間には宙を飛んでどこかへと飛んでいった。
「ふーむ、ちょっとやりすぎたかな。失敗失敗、いつもやりすぎると太郎に叱られるし」
逃げないとまずい、そう思った、思ったけれど足がすくみ、何より腹部の痛みと脳震盪でろくに動けなかった。
相手にしてはいけなかった、悪魔のような敵だった。
女の皮を被った化け物にナイフを突きつけたのだ。
その裁きとして杖を振るう彼女に恐ろしいという言葉しか出ない。
「たっ助けてくれーー!!金ならいくらでも払う、だっだから、いっ命だけは!」
「うん、別に命を奪うつもりはないよ。ただ死なない程度にいたぶるだけだ。まあその前に君が少し協力してくれると言うなら話は別だけどね」
「わっわかったなんでもするから!」
「うんうん、話が早くて助かるよ。他の、君のお友達にも言ってくれると助かるんだが、この青年を探しているんだ。見なかったかい?」
投影石、映像を記録する魔石が映し出したのは十七歳ほどの青年の顔だった。
「彼を見なかったかい?どちらの返事でも構わないが正直に頼むよ、手が滑ると困る」
「みっ見てない!見てない!」そんな男知らない!」
「そうか、まあ、うん、正直に答えてるみたいだね」
「だったらーー」
「それはそれとして。格好がいいと思わないかい?特にこの死んだ魚の目とか、ひねくれた感じの表情とか、面倒くさそうな感じとか、どこか猫のような魅力があるんだ、ね?君もそう思うよね?」
月の光、ハイライトすら映らないその瞳は海というよりかは深海ーーどす黒いその眼に見つめられ、いや見られてはいない、その瞳は常に映像の青年に向いている。
返事を待っている、とわかった。
それもただ一つの返事を。
「おっ俺も、そう思います」
「うん、やっぱりそうだよね。じゃあ見かけたらよろしく」
にっこりと笑って、忍び足で背後から襲おうとした弟分を吹き飛ばした。
路地裏から飛び出て地面とバウンスし、表通りに転がっていくのが見える。
「ん、匂いがする」
目の色を変えて、悪魔が走り去っていくのが見えたのだった。