満月の夜にはコーヒーを片手に
夜の選定所。
建物の屋上では満月を眺めながら夜風に当たるミラージュの姿があった。
特に何をするでもなく佇んでいると、そこにもう1人の人物が姿を現す。
「お待たせ」
「お!」
ミラージュが振り向くとそこにはシルバーの制服に身を包んだ8聖人の一角”命”の称号を持つサコミズの姿があった。
「どうもすみません。呼び出しちゃって」
「いや。構わんよ」
「これどうぞ」
「ん!」
ミラージュは足元に用意していた缶コーヒーを取り上げサコミズに手渡した。
サコミズはそれを受け取るとどこか感慨深い表情を見せた。
「懐かしいな。ここでよくこのコーヒーを飲んだものだな」
「パッケージは変わっちゃいましたけどね。味は異常無しですよ」
ミラージュは自分の分のコーヒーを足元から拾い上げると2人して蓋を開けゆっくりと苦汁を口に注いだ。
「満月か。綺麗だな」
「えぇ」
「最近は変わり無いか?」
「えぇ。お陰さまで」
「何よりだ。ザキル君を始め新人を指導出来る若者達はどんどん育っている様だ。そろそろお前も自身のキャリアを真剣に考える頃じゃないか?」
「どうですかね。今更レベル2に戻るのもなんだし、8聖人の枠は暫く空きそうに無いし」
「空けば立候補するのか?」
「…どうですかね」
2人の間に数間の沈黙が横切る。
「入所当時からお前は優秀だった。もう少し自分を評価してみたらどうだ?」
「優秀な指導者のお陰です。今はあの時と違って堅苦しそうな銀の制服着ちゃってますけどね」
「ははは。懐かしい場所で昔話に花を咲かせたいところだが、体が冷える前に用件を聞こうか。…といっても例の件だろ?」
「…えぇ。新人のカレンってのが色々頑張ってます。この前フロアでお2人に頭下げた若い子です」
「あぁ。あの子が今回の新人か」
「いち新人職員の気持ちを汲んでほしいってのは差し出がましいですが、結構同じ気持ちの職員も多いんじゃないかなって。ザキルの奴も腹の中では拳握り締めてますよ」
「だろうね。我々とて人間。心情は大いに察するところだよ」
「査定の様子はどんなもんですか?」
「芳しくはないな。特に”戒”と”零”は大きく減点する事には強く反対している」
「…そうですか」
「モラルやマナー、見えない頑張りを評価すべく始まった制度でもあるが、勿論実益の評価を疎かに出来る道理ではない。今回の事で平均以下にまで減点するには奴の功績はあまりにも大きすぎるからな」
「やっぱり、予想通りですね」
「こういう事が起こるたびに我々も頭が痛くなる。君ら現場の人間に後始末をさせてしまうことは本当に申し訳無く思っているよ」
「どこも現場です」
「ははは。そうだったな」
「仕方無いですね。全く、汚い野郎だ」
ミラージュは悔しそうに手に持つコーヒーを一気に飲み干した。
「さて。ではそろそろ行こうかな」
「あぁ。すみませんでした。お疲れ様です」
「久々の呼び出しでびっくりしたぞ。まさかまた”ここを辞める”だなんて言い出すんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
「んな簡単に辞めませんよ」
「そうか?つまらない恋煩いでお前が私に辞表を叩き付けたことはもはや昨日のことの様だが?」
「っぐ…。絶対言われると思った…。ったく相変わらず意地が悪いですね。まさか誰かに言ってないでしょうね?」
「ははは、安心しろ。しかしあんなに男前だったお前がまさか冴えない妻子持ちを好きになるなんて、当時は驚いたものだよ。人を査定する仕事の上ではあるまじき。早いところいい男を掴まえて身を固めるんだぞ」
8聖人のサコミズは高らかな笑いを上げながら屋上から1人姿を消して行った。
そんなサコミズの背中を訝しそうな目で見つめるミラージュ。
「…ったく。冴えない男が8聖人になるのかよ。何かあれば男前男前って。一応これでも女だよ。ばっかやろう」
ミラージュはそう呟くと再び空を見上げ、自分の切ない想いを溶かすかの様にして満月を眺めるのだった。




