2-3・透鏡と投機
利用客が掃けた、昼下がりの閲覧室。
ミラは、読書机を清潔な布巾で丁寧に拭いていた。彼女にとっての、いつものルーティーンだ。
「やあやあ。」
声をかけられ、振り返る。半開きの扉から、小麦色のコートを羽織った青年が立っていた。
金縁の丸眼鏡に、小さな青い宝石が光るピアス。ミラに向けられて軽く振る右手の指には、指輪がいくつも、過度に着用されていた。その見てくれは「独特なセンスをお持ちになっている、資産家のお坊ちゃま」といった、少々奇妙な印象であった。
「はじめまして。今日から臨時職員として配置されました、ジルです。」
青年は眼鏡を掛けなおす。眼鏡の奥の瞳は『黙々と掃除をこなしていた独りぼっちの職員』に対する好奇心で輝いていた。
「あ、苗字はブランシュ。呼び方はどちらでも!」
幼さが残る若者の柔らかい笑顔は、かつての弟を彷彿とさせた。無邪気な表情に、緊張が和らぐ。
「ミラ・テイラーです。ジルさん、どうぞ宜しくお願いいたします。」
掃除を中断し、小さくお辞儀をする。
「ミラさん、だね。宜しくお願いします。職員室での挨拶のときは、居なかったよね?」
ミラはどきっとした。彼の配属の挨拶を見れなかったのは、仕事を抜け出して禁書庫に行ってしまったからだ。理由はどうあれ、不真面目な職員だと思われてしまっただろう。数拍置いてから、おずおずと答える。
「えっと……、その、お腹を壊してしまって……。」
「あはは、あるある。寝起きに白湯でも飲んで、内臓を温めるといいよ。紅茶や珈琲は避けてね。胃荒れするんだ。」
自分の嘘に、親切な返しをされてしまった。ミラの胸の内に、少しの罪悪感がコトンと落ちてきた。気の利いた返事が出来ないミラだったが、ジルはお構いなく自己紹介を続ける。
「僕は、とある調査の為にここへやってきたんだ。出資者さん達から充分すぎる資金も貰っちゃってね、断れなくて……。僕自身もちゃんと興味と意欲があるから、問題ないんだけど。」
「『魂の研究』……ですか?」
「あ、そうそう!知っていたんだ。他の職員さんたちが噂でもしていたのかな?」
「はい、少しだけ聞きました。」
「それで、どう?」
「はい?」
「『魂の研究者』が、こんな若造でさ。」
ジルは肩をすくめる。ミラは目を丸くした。
「……え、なにか……おかしいですか?探求することに、年齢は関係ありません。1歳でも、100歳でも。なにかを新しく知ろうとすることは、良いことです。」
ミラは正直に答えた。自身が思っていたよりも、すらすらと言葉が出ていた。
「良いこと言うね、覚えておこう。」
ジルは襟を正した。
「仕事中に話し込んでしまって、ごめんね。またゆっくりお話したいな。2階閲覧室の隅の一室を研究室として貸してもらったんだ。気が向いたら是非来て。職員さんたちの昼休憩時間には、研究室に居るから。それ以外の時間でも、僕が居る限りは歓迎するよ。」
「えっと……、ありがとう……ございます。」
初対面の男性の社交的な態度に、どぎまぎしてしまった。『魂の研究者』が一介の清掃職員に、そんなに興味を持つものだろうか?もしかして、メラに逢っていることが知れているのだろうか?禁書庫の亡霊について隠す必要は無いが、自分だけの秘密の逢瀬を暴かれるのは、ミラにとって好ましくはなかった。
「またね、ばいばい。」
ジルは軽い調子で退出する。その様子を見届けてから、ミラは掃除を再開した。




