明かされる名と手掛かり
扉が閉まったあとの廊下は、奇妙なほど音がない。
誰も座らない。誰も壁にもたれない。
ただ立ち、待つ。
時間だけが、薄く引き延ばされていく。
その沈黙を破ったのは、鴻だった。
「……分けるぞ」
短い一言。だが、全員が意味を理解する。
「玲の原因の究明と、ミアの捜索。両方を同時に進める」
視線が交差する。
誰がどちらに行くか、言葉にせずとも決まっ
ていく。
「俺は調査に回ります」
シオが言う。
「紅茶の件……あれは偶然ではない可能性が高い。街の店、流通、誰が触れたか……全部洗う」
「…なら、護衛の人達はソラノ家の護衛と一緒に捜索を頼む。」
と彼(婚約者)が言った。
「はい、捜索ですね」
護衛のひとりが応じる、それに続いて他の護衛も頷く。
「ミアが姿を消した時点から、足取りを追う」
鴻は頷いた。
「王にも話を通す。これはもう、屋敷内で収まる話じゃない」
その一言で、事の大きさがはっきりと輪郭を
持つ。
ただの失踪でも、ただの体調不良でもない。
何かが、繋がっている。
まだ見えない線で。
その夜。
王城。
重厚な扉の向こう、王は静かに話を聞いていた。
「……毒が、か。…ほう」
低く落ちる声。
「可能性の域は出ませんが」
シオが答える。
「ですが、“蓄積”という点が気になります。一度の摂取ではない」
王は指を組み、わずかに目を細めた。
「長期的に仕込まれていた、ということか」
「はい」
「それが今、発現した理由は?」
沈黙。
それが分からないから、ここにいる。
王は小さく息を吐いた。
「……分かった。国としても動こう」
その一言で、空気が変わる。
「街の流通、薬品、嗜好品。全て調べさせる。怪しい動きがあれば即座に報告させろ」
「感謝いたします」
「礼は結果で示せ」
王はそう言ってから、わずかに視線を落とした。
「……玲は、あの子は」
ほんの一瞬だけ、個人的な色が混じる。
だがそれもすぐに消える。
「助けろ」
命令ではない。だが、それ以上に重い言葉だった。
一方、その頃。
屋敷の一室。
カーテンは半分だけ閉じられ、光は柔らかく
抑えられている。
ベッドの上で、玲は眠ったままだった。
呼吸は静か。だが、浅い。
その傍に、ひとり。
椅子に腰掛け、動かない影があった。
「……玲」
名を呼ぶ声は、ひどく静かだ。
返事はない。
当然だ。分かっている。
それでも、呼ばずにはいられない。
彼は、ゆっくりと玲の手を取る。
冷たい。
あの時よりは、少しだけましだ。だが――
「遅いな、お前は」
ふ、と小さく息が漏れる。
皮肉のようでいて、どこか違う。
「待たせる側じゃなかっただろ」
視線を落とす。
その横顔は、誰にも見せたことがないものだった。
そして――
「……玲」
少しだけ、間を置いて。
「――俺は、ユイトだ」
その名は、静かに落ちた。
今まで誰も口にしなかった名。
婚約者として隣にいるはずの存在。
だが、あえて伏せられていたそれが、ここで初めて明かされる。
「聞こえてるかどうかは、どうでもいい」
ユイトは続ける。
「ただ……今言っておかないと、遅れそうだからな」
わずかに、指先に力が入る。
「お前を次は必ず救う。」
「何があってもだ」
その言葉は、誓いに近い。
救う…その意味は後に……。
時間の流れはあっという間で。
一日。
三日。
一週間。
と過ぎていく。
ミアは見つからない。
手がかりはあるようで、ない。
誰かが意図的に“消した”かのように。
「ここまで痕跡がないのはおかしい」
捜索隊の声には、苛立ちが混じる。
「まるで――」
「最初から、いなかったみたいだな」
その言葉に、誰も笑わない。
笑えない。
調査も進む。
紅茶。
店。
仕入れ。
客。
ひとつひとつを潰していく。
だが決定打は出ない。
「混入された形跡は……ない?」
「少なくとも、通常の毒物では説明がつかない」
「なら何だ」
誰かが吐き捨てる。
答えはない。
ただひとつ言えるのは――
“誰かが、意図している”
それだけだ。
そして。
三週間後。
屋敷の空気は、静かに変わっていた。
慣れではない。
緊張が、形を変えただけだ。
ベッドのそば。
ユイトは、変わらずそこにいる。
眠る時間も削り、ほとんど離れない。
「……玲」
呼ぶ声は、最初と変わらない。
だが、その奥にあるものは少しだけ違う。
疲労。
そして――焦り。
その時だった。
かすかに。
本当に、かすかに。
玲の指先が――
動いた。
一瞬。
幻かと思うほどの微かな変化。
だが確かに。
ユイトの瞳が、わずかに見開かれる。
「……玲?」
沈黙。
だが――
もう一度。
ほんのわずかに、指が動く。
確かに、“反応”した。
その瞬間。
扉の外で、慌ただしい足音が響く。
「報告です!」
勢いよく扉が開かれる。
護衛の息は荒い。
「…ミア…ミア様の――」
言葉が、そこで切れる。
全員の視線が集まる。
そして。
「――手がかりが、見つかりました」
空気が、一気に張り詰める。
止まっていた歯車が、音を立てて動き出す。
同時に。
眠り続けていたはずの玲の瞼が――
ほんのわずかに、震えた。
物語は、まだ終わらない。
むしろ――
ここからだ。




