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天駆ける風夢  作者: 襟端俊一
第五章 私闘
32/35

 そして、月一レース当日。

 集合時間の午前十時を待たずして、アアル学院高等部の上空には大勢の生徒が集まっていた。

 空を見上げると体重計に乗った人間が無数にいるこの光景は、中々お目にかかれるものじゃない。

 彼等、特に秤と同じ新一年生の注目を浴びているのは、積乱雲の如く巨大な『風夢船』だ。

 見た目は完全に空飛ぶ航空母艦だが、中身は文字通り風夢である。

 目を輝かせて見惚れていた華曰く、あれほどの大きさを浮遊させるとなると最低でも十人はパイロットが必要で、交代することを考えれば、三十以上の風夢が設置されていても不思議はないらしい。

 秤を含めた高等部の生徒達が、次々に『風夢船』の剥き出しの甲板に乗り込んでいく。

 ここに集まっているのは高等部の学生のみだが、それでも競技科の生徒全員が一堂に会しているのは圧巻だった。

 先週の週一レースとはまるで規模が違う。


「やべー……俺の順番、やたらと最初の方なんだけど」

 一緒に待機していた活生が大袈裟に不安を口にする。


「それが何かまずいのか?」

「順番は全学年の成績で決まるからな。早いってことは、それだけ成績も下の方ってことになる。中学でもこんな順番はなかったし、やっぱ高校はレベルが違うってことか。くそー……俺もお前と同じ特別枠が良かったぜ」

 ちなみに秤、楓、スピカの三人は最終組。

 最後が特別枠であることは既に知れ渡っているのだが、中等部で優秀だった楓、飛び級のスピカと一緒に走るということで随分と注目されてしまっている。

 奇しくも中学時代のライバルと競うことになった楓は相当燃えていて、その闘争心は秤にも向けられた。

 ついさっき宣戦布告されたばかりだ。

 一方のスピカは一人で黙々と瞑想している。

 パートナーのいない彼女は、たった一人で勝つための策を必死に整えてきたに違いない。


「今の内にコースの下見でもしてくるかな。秤も来るか?」

「昨日散々したから大丈夫だと思う」

「良いよなぁ。パートナーがいる奴は」

「活生にはパートナーになってくれそうな人、いないの?」

「いないな。男友達ならいるけど、パートナーってなるとさ。ま、俺が羨ましいのは可愛い女の子をパートナーにしてるってとこだよ」

「いや、まあ……ははは」

「惚気やがって。その愛しのパートナーがさっきから見てるぞ」


 活生に促されるまま、『風夢船』の甲板に設置された技術科専用エリアに視線を送る。

 パートナーがいる生徒なら出走者のエリアに入れるのだが、華はあくまで技術科生徒の一人として背景に溶け込んでいた。

 ベッドを取り外してボード型の『風夢』で来ていることも一役買っていそうだ。

 華がこちらに来ないのはその性格からして当たり前だが、秤もまた華の下に行くのを躊躇していた。

 秤は色んな意味で注目を浴びているため、先程からその一挙手一投足を観察されている。

 下手に動いて、せっかく気配を消している華の機嫌を損ねてしまわないかと心配なのだ。

 最悪、寮に帰ってしまう恐れもある。

 ここまで来れば華が見ていようといまいとやることは変わらない。

 それでも、誰かが見てくれているだけで力を貰えることもある。


「どうせ勝ったら脚光を浴びることになるんだし、いちいち他人の視線なんて気にする必要ないだろ。行って来いよ」

「でも、恥ずかしがって帰っちゃいそうでさ。女の子の応援があるかないかでモチベーションが変わるのは活生にも分かるだろ?」

「まあな。でもそれってお前の想像じゃん。実際はお前が来てくれるのを待ってるかもしれない。あの子のことを一番分かってるのはお前なんだろうけど、答え合わせしたら間違ってる可能性は充分あると思うぞ」

「そう、なのかな」


 半同棲生活をしているとはいえ、さすがの秤も華の全てを理解しているなんて驕りはない。

 むしろ分からないことだらけで、できることなら教えを請いたいくらいだ。

 そんな複雑極まりない女の子の華が、毎度毎度秤の想像通りの反応を見せるだろうか。


(恥ずかしがることだけは間違ってないと思うんだけど。……いちいち小難しく考えるのが俺の悪い癖だな)


 たまには何も考えずにぶつかってみるのも良いかもしれない。

 きっと華も、秤と同じように頭の中で色々と考えてしまうタイプだから。

 秤は周りから好奇の視線を浴びつつも、出走する生徒達の間を横切って華に近付いた。


「や、やあ」

「……何」


 予想通りの不機嫌オーラ全開でこちらを睨み付ける華。

 秤はそれでも怯まずに華の耳元に顔を近づけて、そっと囁いた。


「今日終わったら、一緒に帰ろうか」

「っ」


 突き飛ばされたかのように風夢ごと仰け反る華。

 そのせいで更に注目されてしまったが、華の反応が嬉しかったのもあって秤は返事を待たずにその場を去った。


「行って良かっただろ?」

「だな。ありがと――」


 そのときだった。

 突然、空全体に校内放送の前奏が鳴り響いた。



『「校長の気まぐれ」が発令されました。今日のレースは総距離が四十㎞に変更されます。つきましては、所定の位置にいる先生方は移動を開始して下さい。準備が整い次第レースを始めます』



 放送が終わった途端、周囲がざわめき始めた。

 活性も渋い顔で不満を漏らす。


「おいおい、よりにもよってこんなときに『校長の気まぐれ』かよ」

「な、何なんだよ。その『校長の気まぐれ』って」

「前にも話さなかったっけか? レースの説明したときに」

「……聞いたかも」

「文字通りの意味でさ、校則の変更とか新しい設備の建設、いきなり一週間学校休みなんてこともあったな。それが今回はレースの総距離だったって訳」


 何だかんだ言いながらも活生はこういった事態には慣れているようだった。

 しかし何とも理不尽な強権だ。

 各々が今日のレースのために色んな努力をしてきたはず。

 それは当然、二十㎞という距離に合わせて準備を整えてきたことを意味している。

 現に昨日空で練習したときも、華はしきりに総距離のことを話していた。


「二十㎞と四十㎞って、やっぱり全然違うのか?」

「そりゃそうだろ。中距離並みだし」

「……もしかして」


 秤には思い当たる節があった。

『校長の気まぐれ』というからには、校長にその全権限が委ねられているのは疑いようがない。

 だがその気まぐれを意図的に操れる人物に、秤は二人ほど心当たりがある。

 その答えは別の所からハッキリすることとなった。


「あんたの仕業でしょこれ!!」

 楓の怒鳴り声が皆のざわめきを一瞬にして静めた。


「きょ、距離が伸びただけで条件は同じじゃないですか!」

「一人だけこの距離に合わせて準備するのは明らかにズルじゃない!! 何で今回に限ってこんなせこいことするのよ!」

「う、うるさいです! 私は何が何でも勝たないといけないんです!!」

「……見損なったわ。ルールの外でこんな卑怯な手使ってくる奴だとは思わなかった。もういい」

「ふん!」


 怒ってその場を離れる楓と、残されたスピカ。

 楓の剣幕でスピカのした所行が白日の下に晒されてしまった。

 結果、秤に集中していた視線はいつの間にかスピカに向いていた。


「成る程、そういうことだった訳か。あの子、去年は毎回惜しいところで楓に負けてたからな……余程悔しかったんだろうな」


 秤はスピカがこんな行動に出てまで勝ちたい理由を知っている。

 彼女をあそこまで追い詰めてしまったことの責任と、勝率が大幅に下がってしまったことへの不安とが、秤の胸中をより複雑なものにしていた。

 秤が無意識に目を向けた先には、一人でいるスピカをジッと見つめる華の姿があった。


『ただいまより、四月の月一レースを開始致します。第一出走者から順に、開始位置に並んで下さい』


 様々な懸念を抱えたまま、いよいよ月一レースが始まる。


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