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その日の夜、七時頃。
秤は丁度夕飯時を狙って引きこもっている華に声を掛けてみたが、一向に反応が無い。
仕方なく黒テントに手を掛けようとした瞬間、華が顔を出した。
「勝手に開けないで」
「ごめん。でも声掛けたのに反応が無かったからさ」
「反応したくなかったから」
「えー……」
ようは放っておいてくれということだろうが、それではこの強烈なプレッシャーの中で一緒に生活していく意味が無い。
パートナーとして、最低限の交流はあってしかるべきだ。
「レースのこともあるし、もう少しその、楓と焔みたいにさ。何というか、コンビネーション的な」
遠回しに伝えようとするが、当の本人は足早に洗面所の方に行ってしまった。
「ゆ、憂鬱だ。一週間しかないってのに……。うぁ!?」
「来て」
有無を言わさず洗面所に連れてこられ、目の前に体重計を置かれる。
ここまで来れば秤にも分かる。
焔が楓にやっているような体重調整のために、秤の身体情報が必要なのだろう。
「脱いで」
「は、はい!」
二人っきりで服を脱ぐというシチュエーションに、不覚にも邪な感情を抱いてしまった秤だったが、華の冷め切った態度を見てどうにか落ち着くことができた。
下半身に異常がないことを確かめて、慎重に服を脱いでいく。
その間、華の視線は何故かずっと秤の背中に集中していて、恥ずかしいなんてレベルではなかった。
そこまで筋肉の付いた体ではないし、見られる喜びも持ち合わせていない。
早く終わらせてしまおうと思い、ボクサーパンツ一丁になった秤は急いで体重計に乗った。
「58・57843㎏……」
前と比べてどうだったかと考えるも、前の体重を完全に忘れていたので比べようがない。
せめてこれくらいは覚えられるようにするべきだろうか。
「理想体重は」
「ああ……」
脱いだ制服のポケットを漁る。
(……しまった。焔に渡したっきりだ)
「どうしたの」
「う、うぅ」
秤は大いに狼狽える。
プリントを焔に渡したと説明すれば、自然と何故渡したのかと聞かれるだろう。
そして今日のレースに勝つために焔に体重調整を協力して貰ったと答えれば、何故女子寮の楓達の部屋に居たのかという話になってしまう。
適当なことを言えばどうにでもなるが、パートナーになってくれた華に嘘は吐きたくない。
かといって、楓達の部屋に一晩泊まった事実を知られるのも怖い。
結果、秤が選んだ選択肢は――
「ちょっと探してくる!」
洗面所を飛び出して玄関へ。
楓達の部屋はすぐそこなのだから、プリントだけ返して貰えば済む。
それしか頭に無かったのが運の尽きだった。
外に出たところで偶然楓の姿を確認した秤は勢いよく駆け寄って、
「楓、丁度良いところに! 実は昨日の」
「服を着ろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――――!!」
「うぎぃっ!!」
華麗なローリングソバットをみぞおちに食らい、そのまま蹴り飛ばされる形で秤は帰宅した。
結局。
程なくして訪ねてきた楓と焔の二人によって、昨晩のことは全て華の知るところとなってしまった。
当然、慌てて秤が飛び出していった理由もだ。
「そういうことだったんですね。楓ちゃんが涙ながらに『やっぱり露出狂だった』って泣き付いてきたときは何事かと思いましたよぉ」
「な、泣いてなんか!」
「もう少し早く忘れ物に気付いていれば秤さんも助かったのに……すみません」
「……」
「は、はは」
針のむしろに座らせられたような居心地の悪さだった。
現在四人は、せっかくだからという焔の一言がきっかけで鍋を囲んでいる。
一家団欒といった雰囲気は華には酷だと思い、秤は丁重に断ろうとしたのだが、意外にも華は乗り気で、「分かった」とだけ言って真っ先にテーブルの席に座っていた。
鍋が好きなのか、はたまた夕飯を作る手間が省けるのが嬉しかったのか。
華についてはまだまだ分からないことだらけだ。
「ところで……その、二人は良いのか? 鍋って体重調整が難しそうだけど」
「あと三日は、楓ちゃんの体重調整なんてしませんよ?」
「え?」
焔の発言に耳を疑った。
週一のレースすら欠かさずに出場する楓が、そんな中途半端なことを許すはずがない。
そのことを誰よりも知っているのは他ならぬ焔自身だ。
「その後の月一レースまではキチンとしますけどね」
「月一レースのコンディションを整えるよりも重要なことがあるのか?」
「秤さんは知りませんか? 四日後の昼は月一の身体測定があるんです」
「ああ、そういえば活生が言ってたっけ。でもたかが身体測定で日々の体重調整を」
そこまで言って、秤は咄嗟に自分の口を押さえた。
少し遅れて活生の忠告を思い出したからだ。
『いいか。絶っっっっっっ対に! 女子の前でその台詞は吐くなよ!?』
「……」
皆が箸を止めて硬直している。
グツグツと煮えたぎる鍋の音が、まるで女子一同の怒りを表しているかのようだった。
秤は地雷を踏んでしまったのだ。
「秤君」
「秤さん」
「秤先輩」
三人からほぼ同時に名前を呼ばれ、ビクッと体を強張らせる秤。
とてもじゃないが、怖くて目を合わせるなんてできなかった。
「「「正座」」」
「はい……」
彼女達の説教はガスコンロのガスが無くなるまで続いた。




