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食後も四面楚歌の状況は変わらず、秤はいよいよもって逃げ出した。
彼女達には絶対に追ってこられない場所……風呂場に逃げ込んだのだ。
(にしても意外だったな)
湯船に浸かりながら先程の華を思い浮かべる。
秤と同じように外からやって来た華が、まさか楓達と同じ感性を持ち合わせているとは。
相変わらず口調だけは淡々としていたが、トーンは二人と比べても遜色ないほどに荒々しかった。
小さい頃からこの環境の中で暮らしているのだから、体重に関して過敏になってしまうのは仕方のないことかもしれない。
元々女の子は体重を気にする傾向があるし、アアル島に来てその感覚が顕著になったのだろう。
ただ秤は、浮世華が普通の女の子とは違うとも思っていた。
(あの子が体重とか気にするのって物凄く違和感あるんだよな。華奢だし)
秤のこの考え方こそが、外とアアル島の女の子との違いと言える。
普通の女の子が体重を気にするのは、総じてお気に入りの服を着るためや異性を気にしてのことだ。
対してアアル島の女の子はスタイルが良いのは当たり前で、身体測定の日に極限まで理想体重に近づけることを目標としている。
(レースに本気で臨んでる女子は少ないんだろうな。それでいて男子よりも成績は良いってんだから情けない話だ。身体測定に本気になるからこそ風夢の性能も引き出されるんだろうけどさ)
自分の未熟さを同年代の男子全員に伝染させ、ブクブクとお湯の中に沈んでいく。
耳まで浸かりそうになったとき、扉の向こうにシルエットが見えた。
「秤先輩」
「華? ど、どうした」
裸のまま女の子と話すことに緊張してしまい、秤はつい下の名前で華を呼んでしまった。
ボクサーパンツがあるのとないのとでは大違いである。
「……楓先輩達は帰った」
「そ、そう」
呼び方が疾風先輩から楓先輩に変わっている。
一緒に説教したことで意気投合したのだろうか。
華に友達ができるのは嬉しいが、女子が結託する恐ろしさをついさっき思い知ったばかりなので素直に喜べない。
「そのままで良いから聞いて」
「……りょーかい」
少し真剣味を帯びた華の声に、水音を立てないように耳をすます。
「明日から三日間、秤先輩の体重調整は行わない」
「それは、身体測定までは自分の体重優先ってこと? だよな」
「そう。でも他に理由が二つある」
「?」
「一つは、焔先輩から貰った秤先輩の食後の体重変動データ」
「あの夕飯のか」
昨日とは状況が違うし、楓のパートナーである焔が協力してくれるとは思えない。
恐らく相手のデータを知っているのはフェアじゃないと判断したのだろう。
嘔吐したことまで書かれているのだとしたら最悪だ。
「秤先輩の精細なデータは時間を掛けて少しずつ知るしかない。だから体重調整を三日にしても一週間にしても大して変わらない」
「ふむ」
「それと、秤先輩はどんな食べ物でも消化するのがかなり早い可能性がある。今日のレースみたいに、直前の食事を調整するだけの方が良いかもしれない」
日々の予習復習よりテスト前の一夜漬けが効果的ということだ。
勉強の場合それだと身につかないが、風夢に関しては何のデメリットもない。
むしろあまり気を遣う必要がないのはストレス的な意味でも助かる。
勿論、短期間で戻せる程度には体重を保たなければならないが。
「で、もう一つの理由っていうのは?」
「秤先輩の風夢」
「俺の?」
「一週間、預からせてもらう」
「え!? ちょ、それは困る!」
秤は湯船の中で溺れそうになるほど困惑した。
この一週間を使ってスタートダッシュの練習をするつもりだった秤としては、その提案を簡単に受け入れる訳にはいかない。
今更基礎を練習しても本番のレースには生かせないので、現状唯一武器になりそうなスタートダッシュだけはこの一週間でものにする必要があった。
あのスピードをいつでも出せるとは限らないし、電家先生のフェイントにも引っ掛からないよう訓練しなければならない。
あんなやる気のない性格でも、秤にとっては唯一の風夢なのだ。
「困らない」
「いや、俺が困るの! 大体、何で一週間も」
「勝つための改造をする」
「!」
「秤先輩の風夢は古い体重計を飛べるようにしただけ。元々、アアル島にある体重計は飛ぶことが前提の設計。秤先輩は初心者なのに大きなハンデを背負っているようなもの」
「……その事実はもっと早く知りたかった」
考えてみれば、最初に見たときからデザインの違いには気付いていた。
単に格好良さを重視したものだと思っていたが、風夢として上手く飛ぶためでもあったのだ。
「それで秤先輩のスタートダッシュが成功すればようやく五分。勝ち筋が見えてくる」
「結局スタートダッシュは練習する必要があるじゃないか……」
「平気。月一レースは今日電家先生がやったようなスタートじゃないから、ちゃんと音だけ聞いていれば成功する。同じことをするだけ」
「そんな簡単に言わないでくれよ。今日のスタートダッシュだって、華が屋上で見てくれてることに気付けたからこそ上手くいったんだぞ」
「っ」
そこで話が途切れてしまった。
あれだけ流暢に喋っていた華が突然黙り込んでしまったことで、秤はすぐに自身の失言に気付いた。
(あれ? 俺、今滅茶苦茶恥ずかしいこと言った?)
自分の台詞が勝手に脳内で再生される。
無意識だったとはいえ、あまりにもストレートな表現。
「俺、華が見ててくれたから頑張れたんだぜ!」とでも言っているようなものだ。
爽やかスポーツ少年が言うならまだしも、秤のような特徴のない男が愚痴るように呟いてしまったのは最悪だった。
取り繕うにも既に十数秒の時間が経っている。
どうしたものかと湯船に浸かりながら冷や汗をかいていると、華のか細い声が聞こえてきた。
「……る」
「えっ?」
聞き返してはいけないと分かりつつも、聞かずにはいられなかった。
こればかりはしっかりと自分の耳で聞いておきたかったから。
「……当日も見ててあげる……」
そう言って、華のシルエットは扉の前から姿を消した。
「それは百人力だな」
少し大きめの声で秤も呟く。
きっと外で華が聞いてくれていると信じて。




