十年目の風
【倉庫の裏】
昼のサイレンが鳴った。リヴィアが自分の机で包みを開けようとすると、横から袖を引かれた。
「リヴィアさん。外、行きましょ。今日、風ないですから」
「……ここでいい」
「だーめ。倉庫の裏、日が当たって暖かいんですよ。ほら、早く早く」
結局、引きずられるように外へ出た。第七魔鉄鉱精錬工場の倉庫の裏手には、古い木箱がベンチ代わりに並んでいる。エマの言う通り、そこだけ風がなく、薄い冬の日差しが溜まっていた。
エマ・コリンズ、十七歳。半年前に入ってきた経理見習いで、この広い工場の中で、リヴィアにまともに話しかけてくる唯一の人間だった。三つ結びの髪。そばかすの散った頬。大きすぎる事務服の袖が、いつも指の先まで余っている。
彼女は木箱に腰を下ろすなり自分の包みを広げて、パンを頬張りながらよく喋った。下町のパン屋が値上げしたこと。隣の班の誰かと誰かが、たぶん付き合っていること。昨日見た野良猫が、びっくりするほど太っていたこと。リヴィアはほとんど相槌だけを打っていたが、エマはそれで満足そうだった。
「あ、そうだ。聞いてくださいよ、リヴィアさん」
エマの顔が、ぱっと輝いた。
「三日後、給料日なんです」
「……そう」
「それでね、決めてることがあって。中央区に、すっごく有名なケーキ屋さんがあるんです。苺が丸ごと三つも乗ったやつがあって、ずーっと食べたかったんですけど、お給料日じゃないと手が出なくて」
「……そう」
「リヴィアさんも、行きましょうよ」
「私はいい」
「即答!」
エマの頬が膨らんで、それから、ふふ、と崩れた。
「でも、いつか絶対付き合ってもらいますからね。約束ですよ」
――約束。
その二文字が、喉の途中で引っかかった。リヴィアは残りのパンを口に押し込んで、立ち上がった。
「……戻る。午後の伝票が溜まってる」
「はーい。あ、飴、ポケット入れときましたから!」
「いつの間に……」
立ち上がった拍子に、リヴィアの左手が日の下に出た。少し荒れた、何の変哲もない手だった。
――何も、浮いていない。
彼女はその手を、コートの袖の中へ戻した。
【二〇三号室】
終業の汽笛とともに工場を出て、灰色の群れに混ざって列車に乗り、三段目だけ音の高い鉄の外階段を上る。カン、カン、キィン、カン。十年間、同じ音を聞きながら同じ夜を上ってきた。
部屋の扉を開けると、冷えた空気が迎えた。天井の木目には雨漏りの染みが地図のように広がっていて、その形も十年で覚えてしまった。床は三歩目で必ず鳴る。
壁の向こうからは、隣室の老人がつけっぱなしにしているラジオの声が、ぼそぼそと漏れてくる。階下からは鍋を叩く音と、夫婦の低い言い争い。下層区の安アパートの夜は、いつもこんな音でできている。
灯りをつけ、薬缶を火にかける。鍋ひとつで作れる薄い野菜のスープと、朝の残りのパン。椅子に座って、黙って食べた。カチ、カチ、と時計の針だけが鳴っている。
―今日、自分が発した言葉は、いくつあっただろう。おはよう。いい。そう。私はいい。戻る。両手の指で、足りてしまう。
この部屋には、写真が一枚もない。手紙もない。飾りもない。鍋がひとつ、皿が二枚、カップがひとつ。誰かが訪ねてくることのない部屋には、それで十分だった。
十年前までは、違った。白の塔の食堂は、いつも笑い声で溢れていた。誰かが騒ぎ、誰かが突っ込み、誰かがパンを勝手に半分取っていく。
リヴィアは首を振って、その音を追い払った。思い出しても、いいことはひとつもない。あの日々はもう、どこにもないのだから。
食器を洗い、窓辺に立つ。煤けた屋根の連なりの向こうに、帝都の中心にそびえる巨塔――グランドアーカムの白い影が、冷たく光っていた。あの光は、この下層区までは届かない。
コートのポケットに手を入れると、指先に硬いものが触れた。蜂蜜色の飴。
「……ほんとに、いつの間に」
呟いて、リヴィアはそれを机の引き出しにしまった。捨てなかった理由は、自分でもよく分からなかった。
【給料日】
最初に来るのは、いつも匂いだった。焦げた鉄。溶けた石。それから、血。夢だと分かっているのに、匂いだけは本物のように肺の奥へ張りつく。
そして最後は、必ず風で終わる。荒れ狂う戦場には似合わない、優しくて、温かい風。それが吹くと、目が覚める。十年、ずっと同じだった。
「……っ、は」
自分の呼吸の音で、リヴィアは目を開けた。心臓が痛いほど鳴っている。シーツを握りしめた指を、ひとつずつほどいた。枕元の時計は六時十分を指している。
薄いカーテンの向こうが、いつもの灰色ではなかった。窓を開けると、帝都の空に珍しく薄い水色が透けていて、煙突の煙さえ心なしか白く見えた。
事務室に入るなり、エマが飛んできた。
「リヴィアさん! 今日ですよ、今日!」
「……何が」
「お給料日! ケーキ! 苺のやつ!」
「行かないって言ったはずだけど」
「言いましたけど、聞いてません!」
堂々と言い切って、エマの胸が張られた。
「だってもう、お店の場所も調べたし、何時までやってるかも調べたし、リヴィアさんの分の席も、心の中で予約しました」
「心の中の予約に、拘束力はないでしょう」
「あります。少なくとも、わたしの中では」
あまりに真剣な顔だったので、リヴィアの口から小さく息が漏れた。それを見たエマの目が、丸くなる。
「……あ」
「何」
「リヴィアさん、今、笑いました」
「笑ってない」
「笑いました! 口の端だけじゃなくて、ちゃんと!」
エマの顔が、自分のことのように輝いていた。
「知ってました? リヴィアさんって、いっつも口の端だけで笑うんですよ。目が笑ってないの。――でも今の、ちゃんと目まで笑ってました」
リヴィアは、返す言葉に詰まった。そんなふうに自分の顔を見ていた人間がいたことに。それも、半年も前から。
「……仕事、始めるわよ」
「はーい。……で、行きますよね? ケーキ」
「…………」
「リヴィアさーん?」
「……一時間だけ」
「やったぁ!!」
歓声に、事務室じゅうの視線が集まった。壁の標語――『効率と秩序こそ帝国の繁栄』――の下で、主任が「ん」と唸る。エマは首をすくめて、それでも笑いを噛み殺せずにいた。
【十八時二十六分】
終業の汽笛が鳴ると、エマは目にも留まらぬ速さで机を片付けた。夕暮れの道を二人並んで駅へ歩くと、西の空が燃えるような橙色に染まっていて、工場群の黒い影がその光を背に切り絵のように立ち並んでいた。
「わ、見てくださいリヴィアさん。空、すごい色」
「……そうね」
「晴れた日の夕焼けって、得した気分になりません? 今日はいい日だーって」
高架のホームからは、帝都レグニアが一望できる。眼下に煙突の森が広がり、その向こうに研究所と工場のひしめく中層区が続き、さらに奥、朝霧の抜けた空の下に、貴族と議員の住む高層区の摩天楼が並んでいた。街のどの塔よりも高く、煙の海を突き抜けて、白亜の巨塔がそびえている。グランドアーカム。帝国の心臓。この国は、上から見ればさぞ整然と層になって見えることだろう。
列車が滑り込んでくる。三両ほど前方の乗降口で、濃緑の外套を着た男たちが人を左右へ払っていた。その間を、身なりのいい初老の男が黒い革の鞄を抱えて乗り込んでいく。
「うわ、お偉いさんかな」
「さあ」
リヴィアはそちらを見なかった。関わらない。それが十年の作法だった。
帰りの列車は朝ほど混んでいなかった。エマが窓側、リヴィアが通路側に座る。窓の外を、夕陽に染まった街が流れていく。
通路を挟んだ席で、若い工員が二人、話し込んでいた。
「弟がさ、この前、魔刻の測定だったんだよ」
「お、どうだった」
「二刻。まあまあってとこかな」
「十分だろ。二刻ありゃ軍に入れる。飯の心配はなくなるぜ」
「本人は三刻欲しかったーって騒いでたけどな」
「贅沢言うなよ。……うちの親父の代は、二刻なんて半分の家に一人はいたって話だぞ」
―魔刻。帝国が全国民に義務づけている、魔力の等級測定だ。十四歳の春に誰もがあの列に並び、水晶に手を置く。魔力を流している間だけ、手の甲に光の線が浮かぶ。その本数が、その子の進む道を半分決めてしまう。
一本なら、人並み。二本あれば、軍への切符。三本浮かべば、家族どころか町中の自慢になる。五本ともなれば、もはや個人ではなく、国家が管理する「戦力」だ。
リヴィアは、膝の上の自分の左手を見た。
十年前、帝国への帰化手続きの列に並んだ日。彼女は自分の中の魔力を殺して、測定器に触れた。息を止め、心を閉ざし、体の奥で渦巻くものに固く蓋をして。
結果は、無刻。
帝国の記録の上で、リヴィア・ノクスは魔力を一滴も持たない、ただの工場事務員だ。それでいい。それがいい。魔法は、彼女からすべてを奪った側の言葉だから。
「ケーキ、何にしようかなあ。苺のは絶対として、もうひとつ……」
「ふたつも食べるの」
「給料日ですから!」
エマの手が鞄から蜂蜜色の飴をひとつ取り出して、リヴィアの手のひらにちょこんと乗せた。
「はい。前祝いです」
「……前祝いって、何の」
「リヴィアさんが、初めてわたしの誘いに乗ってくれた記念です」
大袈裟ね、と言いかけて、やめた。エマの視線が窓の外へ流れて、その声の調子が少しだけ落ちたからだ。
「……わたしね、この工場に入ったの、お父さんが死んじゃったからなんです。三年前、別の工場の事故で。それで、お母さんと二人になっちゃって。学校やめて、働くことにしたんです」
「……そう、だったの」
「あ、暗い話じゃないですよ?」
エマの両手が、慌てたように振られた。
「働くの、けっこう好きだし。お給料もらえるし。――でもね、最初はやっぱり、ちょっとだけ寂しかったんです。学校の友達とも会えなくなっちゃったし、職場は大人ばっかりだし」
夕陽が、エマの横顔を橙色に照らしていた。
「そんな時に、リヴィアさんを見つけたんです」
「……私を?」
「はい。初めて見た日のこと、覚えてます。窓際の席で、伝票の山に埋もれてて――なんだか、泣いてるみたいな顔してました」
心臓が、小さく跳ねた。
「泣いてなんか」
「いないです。知ってます」
エマの顔が、こちらを向いた。
「泣いてないのに泣いてるみたいな顔って、あるんだなあって思ったんです」
へへ、と彼女は笑った。
「甘いものってね、人を笑顔にするんですよ。うちのお父さんの口癖です。だからわたし、いつかちっちゃいお菓子屋さんをやるのが夢なんです。……それでね、思ったんです。この人にも、いつか甘いもの食べさせて、笑わせてやろうって」
「……それで、毎日飴を」
「作戦成功まで、半年かかりましたけどね!」
胸を張るエマの隣で、リヴィアの指が手のひらの飴を握った。温かかった。飴が、ではない。この十年、凍ったまま止まっていた場所が、どこかで溶け始めているような。
(……帝国に来て、十年)
息を潜めて、誰とも関わらず、死んだふりをして生きてきた。この国に自分の居場所などないと思っていた。
(友達、と呼んでいいのだろうか)
(――呼んでも、いいのだろうか)
列車が鉄橋に差しかかり、車輪の音が変わった。窓の外で、夕陽が沈みかけている。
十八時二十六分だった。
【爆破】
最初に来たのは、音ではなかった。衝撃だった。
床が真下から突き上げられ、天井と床の区別が消えた。つり革が千切れ、鞄が舞い、人の体が人形のように宙へ浮く。窓ガラスが一斉に砕けて、夕陽の中を無数の破片が赤く光りながら降った。
鉄が、悲鳴を上げていた。長い、長い、耳を塞ぎたくなるような金属の悲鳴。車両は線路を外れ、横倒しのまま地面を削り、火花を撒き散らしながら――やがて、止まった。
……。
…………。
最初に戻ってきたのは、耳鳴りだった。次に、煙の匂い。それから、誰かの呻き声。
「……っ、ぅ……」
リヴィアは瓦礫の中で目を開けた。横倒しになった車内。ねじれた座席。剥き出しの配線が、ちりちりと火花を散らしている。割れた窓から差し込む夕陽の柱の中を、埃が舞っていた。
こめかみから、生温かいものが伝う。血だ。だが、動ける。手も、足も。
――エマは。
気づけば、隣にいたはずの温もりがなかった。
「エマ!」
叫んだ声が、潰れた車内に吸い込まれていく。あちこちから悲鳴と嗚咽が上がっていた。誰か、と呼ぶ声。足が、と繰り返す声。
リヴィアは瓦礫を掻き分け、倒れた男の体を跨ぎ、詰まった通路をこじ開けながら、名前を呼び続けた。ねじれた車内は、もう元の形を留めていない。
――いた。
ひしゃげた車両の壁と、折れ曲がった座席の骨組みの間。小さな体が、挟み込まれるように倒れていた。
【一秒】
「エマ……!」
駆け寄って、鉄の骨組みに手をかける。びくともしない。構うものかと全体重をかけた時、細い指がリヴィアの袖をつまんだ。
「……リヴィア、さん」
エマが、笑おうとしていた。口の端から、赤いものが細い糸になって伝っている。
「喋らないで。今、どかすから」
「へへ……なんか、へんなの。いたく、ないんです」
腹の底が、すうっと冷えた。この出血。この顔色。この、穏やかすぎる声。――十年前、嫌というほど見た。
「エマ、聞いて。目を閉じないで。ね、目を開けて」
「……ごめん、なさい」
「何を謝るのよ。いいから、目を――」
「けーき……また、こんど……」
リヴィアは、鉄を握り直した。手袋の下で指の皮が裂け、血で滑る。両腕の腱が悲鳴を上げるまで力を込めても、ひしゃげた骨組みは石のように動かなかった。
―力を通せば、動く。
十年、一度も開けなかった蓋を外せばいいだけのことだ。ここには煙と瓦礫と、うずくまって自分の名前を呼んでいる人間しかいない。誰も、こちらなど見ていない。
動かせば、十年が終わる。
一秒。
袖をつまんでいた指から、力が抜けた。
リヴィアの手が、鉄を握り直した。体の奥で、固く閉ざしてきたものが、音を立てて外れる。
骨組みが、浮いた。
抵抗は何もなかった。押し上げるという感覚すらなく、ただ、そこにあったはずの重さが消えた。
右手の甲に、熱が灯る。線が一本。二本。三本。四本。十年ぶりに、彼女の魔刻が、そこにあった。
誰も、見ていなかった。
リヴィアは、持ち上げた鉄を支えたまま動けなかった。腕が震えている。重さのせいではなかった。
「……エマ」
返事はない。
「……エマ。ねえ、エマ。起きて」
揺すっても、その体はもう、ただ重いだけだった。夕陽に照らされた顔は眠っているみたいに穏やかで、口の端の赤だけが乾き始めている。
リヴィアは、両手を見下ろした。赤い。自分のものではない赤で。喉の奥から何かがせり上がってくるのに、声にならなかった。
――また、だ。また、目の前で。
握った指を開くと、手の甲の四本の線が、まだ消えずに灯っていた。
【邂逅】
空気が、揺れた。
匂い、と呼ぶのが一番近い。けれど鼻で嗅ぐものではない。肌で、骨で、血で感じるもの。温かくて、眩しくて、泣きたくなるほど懐かしい――
(……光の、魔力)
リヴィアは顔を上げた。忘れるはずがなかった。十年間、毎晩、夢の中で焼かれ続けてきた気配だ。
(そんな、はず、ない)
あの人は死んだ。十年前、燃える王都で、みんなを逃がすために。
体が勝手に立ち上がっていた。割れた窓から這い出ると、外は地獄のようだった。大きくえぐれた線路。横倒しの車両。黒煙が幾筋も、燃えるような夕焼け空へ立ち上っている。遠くで、サイレンが鳴き始めていた。
気配は、千切れて先へ飛んだ先頭車両の向こうから漂ってくる。リヴィアは走った。瓦礫を越え、砕けた枕木を跳び、煙の幕を潜り抜ける。確かめなければならなかった。この目で。
―そして、見た。
脱線でひしゃげた先頭車両の陰で、身なりのいい初老の男が地面を這っていた。仕立ての良い外套。磨かれた靴。額から血を流しながら、それでも男は、黒い革の鞄だけを決して手放そうとしない。
その男を見下ろすように、フードを深く被った長身の影が立っていた。
影の右手に、淡い光が集まっていく。光は音もなく形を変え、細く鋭い、一振りの剣になった。あの気配の主は、あの影だ。
(違う。あんなの、違う)
あの人が、人に剣を向けるはずがない。それなら、なぜこの魔力は、こんなにも――
刃が、振り上げられる。
考えている時間はなかった。視線が足元の瓦礫の間を走る。木の杖が一本、転がっていた。持ち主の姿はない。乗客の誰かの、ただの古い杖だ。
リヴィアの指が、それを掴んだ。
体の奥で堰を切ったものが、腕を駆け抜けて杖へ流れ込む。古い木が、びしり、と鳴いた。柄に黒い筋が走り、闇色の粒子が先端に渦を巻く。
懐かしい感覚だった。そして、恐ろしい感覚だった。
「――やめてッ!!」
地を蹴り、振り下ろされる光の剣めがけて、杖を横薙ぎに叩きつけた。
闇と光が、噛み合った。
夕暮れの空気が震え、衝撃が波紋のように広がる。光の剣が影の手から弾け飛び、くるくると宙を舞って、瓦礫に触れる前に無数の粒となって砕け散った。
その反動で、影のフードが後ろへ落ちた。
手の中で、杖がぼろりと崩れる。一撃に耐えきれず、黒く焦げた木片が指の間からこぼれ落ちていった。
夕陽と炎に照らされて、淡い金の髪が揺れている。記憶より鋭くなった、頬の線。記憶より高くなった、背。そして、大きく見開かれた、あの目。
十年前、燃える王都で「あとで追いつく」と笑った。あの日から、夢の中でしか会えなかった。夢の中でさえ、いつも背中しか見せてくれなかった。
その顔が、今、目の前にある。
「……セリ、ウス……?」
声が、掠れた。
男の唇が開いて、何も出てこないまま、また閉じた。
リヴィアの右手の甲では、四本の線が、まだ灯り続けている。十年、誰にも見せなかった数字だった。よりにもよって、この人の前に出ている。
消そうとした。消えなかった。十年かけて閉めた蓋は、一度外れてしまえば、もう元の場所に戻らなかった。
燃える列車の残骸の向こうで、夕陽が沈んでいった。




