下手な縫い痕
セテとヴェンノールを乗せた地竜は混戦から離れ、街道を少し南下したところで、脇の薮へと入り込んだ。地竜隊は、無数にある獣道の分かれ目を速度を落とさず駆け抜け、やがて三軒の小屋が並ぶ空き地にたどり着く。セテとヴェンノールは同じ建屋に通されると、そこで待機するように伝えられ――外から錠を落とされた。
「わりぃが、しばらく辛抱してくれ。あんたらを自由にする権限を、俺らは持ってねぇ。」
「彼の治療をしたいの。包帯と、あと火水晶と、強い酒を持ってきてくれないかしら。」
セテを助けてくれた男は、格子越しに部屋の隅にある棚を指差して言った。
「あの中にあるやつは、何でも自由に使っていいぜ。繰り返しになるが、俺たちはお前らを長く拘禁するつもりは無ぇ。下手に逃げようとなんてするなよ。あとは、そうだな。何か困り事があれば、これで合図してくれ。」
そう言って男は、扉に据え付けられた箱を小突いた。中には光水晶が入っており、外側の板を上下させると、残る二軒の方向に光が放たれるようになっている。
「ありがとう。」
男たちが去ってしまうと、セテは早速、棚の中を検めた。治療に必要なもの。包帯、強い酒、火水晶、縫合糸、全て揃っている。ふと横の壁に目をやれば、セテの顔ほどの高さに金属の輪が二つ固定されているのに気づいた。その真下の床には、赤黒い染みができている。
「治療しながら拷問すれば、より長く苦痛を与えられるってわけだ。恐ろしいもんだな。」
にやりと笑ったヴェンノールに、セテが肩をすくめて振り返った。
「その治療道具のおかげで、あなたは助かるのよ。嫌なら止めるけど、どうする?」
「恐ろしいのは人間であって、道具じゃ無ぇのさ。」
ヴェンノールの上着をはさみで切り開き、上半身を露出させる。露わになった傷だらけの体に、セテは軽く眉を寄せた。
「ねえ、さっき、私の名前を呼んだでしょう。イルアンにでも聞いていたのかしら?」
前側に飛び出していた矢の先から鏃を落として、肩口を強く縛る。矢を抜いたら、出血との戦いだ。
「実はね、私もあなたに似た人を知っているのよ。でも、彼はヴェンノールなんて名乗っていなかった。」
棚にあった酒瓶の蓋を開けると、刺激臭が部屋に立ち込めた。セテはそれを持って、ヴェンノールの横に戻ってきて肩の矢を触り、その手で、胸元を横断するように付いた古い傷跡を辿った。
「下手な縫い痕。何度も針を刺し直してる。」
ヴェンノールは右手でセテの手を押さえると、ふっと笑った。
「君が縫ってくれた傷だろう、セテ。」
ゆっくりと頷いて、薬師は矢傷に酒を振りかけた。
「六年前の、あの日。白の森で倒れていた男を介抱したばっかりに、私はお尋ね者になってしまった。それで、捕まって、連行されて、海を渡って。ここまで戻ってくるのも、結構大変だったのよ。」
矢羽根の近くをぐっと握り、悪戯っぽく笑う。
「だから、ちょっとくらい痛くても我慢なさい。はい、布。しっかり噛んでね。」
そう言うとセテは、ヴェンノールの背に足を当てて踏ん張り、ずるりと一気に矢を抜き取った。ボタボタと血雫が床に落ちたが、噴き出すような勢いは無い。
「当たりどころが良かったみたいね。」
「ギリギリで急所を避けた、と言ってほしいもんだ。見えちゃあいなかったが。」
傷口が浸るように布で受けながら再度酒を回しかけると、ヴェンノールは首を回してそれを舐めた。
「まっずい酒だ。何年前に作られたのかも判らん。」
傷口に綿布を詰めて上から包帯できつく固定し、肩口の縛りをゆっくり解いてやる。腕を回そうとするヴェンノールの手を掴んで、セテは首を横に振った。傷が塞がるまでは、動かさないことが最も重要なのだ。
と、そのとき、格子の向こうから地竜が駆けてくる音が響いた。出入口に噛り付くように外を伺うと、街道の方から駆けてきた地竜が三軒のちょうど中間地点で止まり、他の小屋から飛び出して来た騎士から何やら報告を受けているようだった。
(あれは、あの時の。)
長剣を掲げていた、小隊長だ。無事だったのか。そう思ってセテが身を乗り出すと、その目の前で騎士は鐙から足を外し、ひらりと地竜から飛び降りて地面に降り立った。その動きは、まるで重力を無視しているかのように軽やかだ。




