あいつなら、大丈夫。
セテとヴェンノールの荷物は竜車に載せたままだったから、手ぶらで走る二人が武装した兵士に追いつかれる道理は無かった。追手との距離が十分に空いたのを確かめて、セテが右手を上げる。
「あの小道へ。」
街道を進んでイルアン達と合流したいところであったが、追手共が馬車なり竜車なりを持ち出してきたら、たちまち追い付かれてしまうだろう。
(一本道を辿るのは、自殺行為だわ。)
二人は南へ向かう街道を逸れて、西方、迷路のように入り組んだ森の中へと踏み込んでいく。
「王都までの街道は、途中で西に大きく曲がっているからな。真っすぐ森を抜ければ、俺たちの方がよほど早く着くかもしれんぞ。」
とはヴェンノールの談であったが、それが気休めに過ぎないことをセテは良く理解していた。いかに街道が大回りだと言っても、森の中で道を探しながら歩けば最終的な歩行距離は長くなってしまう。そもそも、舗装された街道と同じ速度で森を駆けるには、相当の訓練と準備が必要だ。二人の手持ちは、着衣の他には短剣が一振りずつと、腰に付けた小さな水袋のみ。
(弓くらい、肩に下げておけば良かったわ)
目の前を野兎が横切ったところで一瞬そんな後悔が浮かんだが、今になってそれを言うのは卑怯というものだろう。警戒されている状態で弓を片手に検問を通過できたかと考えれば、現状は受け入れる他ない。
「このあたりの植生には見覚えがあるわ。道は判らないけど、危ない獣を避けて進むことはできそう。水と食料も探しながら行かないと。」
そう言って、セテが薬草と思しき草を摘んで、腰帯に差した。
(俺も、このあたりには見覚えがある。そして、その腰帯の薬草にも。)
ヴェンノールは、先導するセテの背を見つめながら、その独り言を口の中でかみ殺した。
例によって谷間を探しながら歩くと、半日ほどで二人は小さな流れを見つけることができた。刻んだ薬草を入れた水袋を満たして、しばらく置いてから上澄みに口を付ける。
「これで、少しは毒抜きになるはず。」
ヴェンノールの水袋にも同じもの作ってやる。本来であれば煮沸したいところだが、追手が迫っているかもしれない中で火は熾せない。
「闇雲に歩くと、遭難してしまうわ。一度、白の森の方へ抜けてから王都を目指しましょう。このあたりの小川は全て、あそこに繋がっているはずだから。」
「それは良いが、リアネス達と合流できなくなるぜ?その経路だと、順調に行っても十日は掛かる。」
「あの子なら、大丈夫よ。イルアンが付いているのだもの。」
ヴェンノールは少し意外そうに眉を上げた。
「ネリネはともかく、あのひょろっこい野郎がそんなに頼れるものかね。」
「ええ…彼はね、凄く粘り強いのよ。困難があっても、あれこれ試して、必ず糸口を見つけて何とかしてくれる。そうでなければ、とっくに私たちは死んでしまっていたでしょう。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
イルアンたちが王都に着いたのは、橋を出て三日目のことだった。見えてきた城壁を前に、御者台のネリネは不満気に地竜の背を見下ろした。
「地竜は持久力が弱い。すぐ休みたがる、はず。」
それが、通説だった。三人も乗せた荷車を引くとなれば尚更で、案の定、地竜は街道に出て間もなく速度を落とした。ネリネが荷車を降りて負荷を軽くしてやっても、苦し気な息遣いは変わらない。
しかし。
橋を渡って最初に取った休息で、ネリネの同行者たちは常識を変えてしまった。地竜の鳴き声に目を覚ましたリアネスが何やらイルアンにささやくと、鬱陶しいほどに落ち込んでいた青年の目に生気が戻り、あっという間に牽引具を打ち直して、力の掛かる位置を地竜の胸元からこぶし一つ分ほど下へ動かしたのだ。すると、どうだろう。再び走り出した竜車は、それまでより数段速く街道を駆け始め、伴走していたネリネが力尽きて荷車に転がり込んでも、休息を求めようとはしない。結局それから、一行は日が昇っている間は延々と移動を続けることができたのだった。
「そういえば、馬や牛も適切な牽引具じゃないと力が出ないって聞いたことがあるな。」
街道を走り切った地竜を、イルアンが神妙な顔で撫でている。ネリネはそれを見つめながら、わずかに首を傾げた。
「あれは普通の、地竜用の、牽引具。ヴェンノールも、慣れた感じで付けていた。」
イルアンはネリネに頷くと、傍らで眠る少女の髪を軽く撫でて言った。
「リアネスが言うには、最初の状態は地竜にとって拷問みたいなものだったらしいよ。力を入れて荷車を引こうとするほど、息ができなくなってしまう。どうやら地竜は、喉の下あたりを圧迫しても、気道が塞がってしまうらしいんだ。ぱっと見では、固くて頑丈そうに見える位置なんだけどね。」
こんな簡単なことに、なぜ今まで誰も気づかなかったのだろうか。ネリネは軽く頭痛を覚えて、こめかみに左手を当てた。
「さて、どうやって城門を超えようか。すでに俺たちの人相書きくらいは出回っているかもしれないし、正面突破というわけには行かないけれど。」
城門は開いているようだが、検問官と思しき兵士が、門の両脇にある台の上から目を光らせている。イルアンの懸念はもっともだったが、ネリネにはそれとは別の気がかりがあった。
「セテと、ヴェンノールは、待たない?あそこなら、数日はやり過ごせる。」
そう言ってネリネは、城門の東側を指さした。検問に引っかかった者たちが集まったのだろうか、そこには小規模な市が立っている。イルアンはそれをじっと見据えながら、小さく首を振った。
「セテが付いているんだ、彼らは大丈夫だよ。森を歩くことに関しては誰よりも詳しいし、状況を見据えて生き延びる術を知っている。今は、リアネスを助けることを優先しないと。」
熱のこもったイルアンの声に、ネリネは「ふうん」とだけ応えて、
「いずれにせよ、あそこに行かないと、壁を越えられない。」
と、竜車を東の市へと向けた。確かに、王都周辺の事情はネリネの方が詳しいに違いない。イルアンは頼もしい護衛役の背を視界の脇に置きながら、東の市の観察を続けた。




