値付けの意味
厩舎横の建屋は狭く、交渉部屋の一角に布を敷いて、リアネスを休ませてやる。そうして場が落ち着くと、イルアンとセテは支配人へと向き直って、正式に地竜の買取を申し出た。
「金貨四枚で、かの地竜を買い取りたい。ただ、手持ちが無くてね。この場は、前金代わりの二枚分で許してくれないかな。」
支配人は、じっとイルアンに疑念の目を向けた。
「言い値より高く買いたがる客なんざ、初めて見たぜ。都合が良すぎる話には落とし穴があると、相場が決まってるんだ。」
イルアンはリアネスの意識が戻っていないことを確かめて、支配人にささやいた。
「もし納得行かないなら、四枚のうち一枚は後払いの手数料だと思ってくれて構わないよ。元々金貨二枚でも手放して良いと思っていた地竜だろう?」
これは支配人が商談を受け易くするための方便であって、イルアンの本意ではない。リアネスが倒れる前に駆けつけたセテは、イルアンよりも少しだけ長くリアネスと会話している。その彼女から伝え聞いたところによれば、かの地竜は自分が安売りされていること自体にひどく落胆していたらしい。
「いじけているのよ、みっともない。」
セテは辛辣だったが、棒を持った支配人が戻ってくる直前まで、地竜は心配そうにリアネスに視線を送っていた。その眼差しが、あまりに深く、優しいものだったから、イルアンはこの地竜を悪く言う気になれなかった。
「…契約書だ。後払いの証書には、指紋を貰うぜ。」
差し出された小壺に親指を差し込んで赤い液体に浸すと、イルアンはそれを躊躇いなく書面へと押し付けた。支配人は深く頷いて、
「一年後の夏至までに支払いが無ければ、地竜は返してもらう。」
と定型の文言を添えた。そして部屋の隅で喘ぐリアネスに目をやると、
「急いだほうが、良さそうだな。」
と眉をひそめて、急かすように三人を建屋から出してしまった。扉の外側では、世話係と思しき少年が地竜の手綱を握って待ち構えていた。
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昼過ぎ。
リアネスを背負ったイルアンが宿に戻ると、建物の横に古ぼけた荷車が置かれていた。仲間になる地竜の大きさによって適切なものが変わるから、荷車の選定は後回しになっていたが、その荷車は隆々とした体躯の新しい仲間にぴったり合いそうにも見える。そう思って呆けていると、荷車の影からネリネが顔を出した。
「ネリネ、これってまさか。」
小さな顔が、小さく頷く。
「貰ってきた。壊れかけだけど、何でも直せるイルアンなら、大丈夫。」
「何でもは言い過ぎだと思うけど。」
そう言ってイルアンは、ぐるりと荷車を一周して状態を確かめた。
「うん、車軸は綺麗だな。これなら、どこか壊れても直しながら走ることはできると思うよ。」
朝に別れてから三刻足らずの間に、この荷車を調達してきたというのか。イルアンはリアネスを荷台に横たえて布で姿を隠すと、ネリネに向き直って言った。
「まさか、金持ちに取り入るために無茶をしたりは。」
ネリネは小さく嘆息した。この憐れむような、蔑むような雰囲気には覚えがある。
イルアン。彼もまた、私の容姿しか見ていないのか。ネリネは一瞬だけ嫌悪の圧を放ち、すぐに抑えて、続けた。
「職人達に、荷車を新調した人を聞いて、古いのが余っていないか軒先を見て回った。歩くのは、諜報の基本。」
「良く売り先を聞き出せたわね。」
「買う前の参考に、と言ったら、こっそり教えてくれた。」
そう言ってネリネは、金貨一枚分が詰まったままの皮袋を顔の横に掲げてみせた。購入の意思と能力を見せることで、情報を引き出した、と言いたいのだろう。
「それより、リアネス。朝より、ひどい。」
「ああ。少し、無理をさせてしまった。」
リアネスの不調の理由を、セテは生命力の暴走と表現していた。その生命力とは、体内に留まった竜脈、人間には不相応な量の魔力だったのだ。確証は無いが、イルアンにはもう、それが原因としか思えなかった。
「すぐに発とう。彼が、荷車を引いてくれる。」
イルアンの声に応えるように、地竜が進み出て荷車の前に着いた。会話の気配に起こされたのだろう、ようやく建屋から出てきたヴェンノールが、地竜の姿を見て目を丸くした。
「おい、こいつ昨日は俺に見向きもしなかった地竜じゃねぇか。いまさら、自分から荷車を引こうとするなんて、一体どんな手を使ったんだ?」
さては黒の森の秘術では、と疑ったヴェンノールの視線がセテに向かう。薬師は目を伏せて、ゆっくりと首を振った。
「私じゃなく、リアネスのおかげよ。その代償として、こんな苦しみを味わっている。さあ、荷物を載せて。」
「嬢ちゃんが、地竜を?」
荷車の中にある布の塊を覗き込んで首を傾げたヴェンノールの肩に、イルアンが手を置いて言った。
「今は、時間が惜しい。」
「後で、きっちり説明してもらうぜ?」
「ああ。」
渋々頷いたヴェンノールは、慣れた手つきで地竜に革製の牽引具を付け、荷車から突き出した二本の棒を体側部の牽引具に差し込んで固定した。
「よし、これで。」
出発できる。ヴェンノールはそう口にしかけて、途中で言葉を切った。イルアンの背後から、兵士と思しき五人組が近づいて来ている――兵士たちは事務的な目つきでリアネスを一瞥すると、イルアンに向かって声を掛けた。
「おい、お前。どこから来て、どこに向かうところだ?」
兵士の剣呑な声に振り返る直前、イルアンは仲間に目配せし、自らの体で作った死角で小さく手を上下させた。荷を載せて、いつでも逃げ出せるように。




