可愛げの無い暗殺者が存在するのか問題。
セテ達が滞在している宿は、川沿いを少し遡ったところにあった。早足で宿の前にたどり着くと、そこからは辛うじて歩調を緩めて、個室の扉の前で呼吸を整える。すると、鍵の開く音と共に内側から女の声が上がった。
「入って、大丈夫。」
イルアンは一呼吸おいて、扉を開いた。出迎えたのは、あと数年で絶世の美女になるはずの、無感動を顔に貼りつけたような少女である。
「訪問者の名前くらい聞いてから鍵を開けた方が、安全なんじゃないか?」
「足音で、イルアンだと、分かった。セテも。もし、二人分の足音まで、偽装するような相手なら、名前を聞いたところで、見抜けない。だから、開けた。」
いつになく口数の多いネリネを怪訝に思ったイルアンに、背後からセテが解説を差し挟んだ。
「イルアンと再会できて嬉しかったのよ。そう言えば良いんだけど、素直じゃないから。」
またまた。そうと決めつけては、ネリネが不機嫌になってしまうぞ。そう思ってネリネに目を戻すと、なかなかどうして満更でもなさそうに困った表情を浮かべている。この無表情で無感動な少女は、それでいて豊かな情動を内に秘めているのだ――セテがそれを言い当てているのは、彼女個人の本質を見抜いたというより、人間という種への妄信ともいうべき信頼が為せる業だろう。いつだってセテは、自分の思う理想を相手に着せてしまう。
「それで、リアネスの容態は?」
ネリネの後に続いて奥へ向かうと、三つあるうちの一番の奥、窓際の寝台の上で、顔を赤くさせたリアネスが、ぼんやりと中空を見つめて横たわっている。
「…ひでぇ顔だな。」
少女はイルアンの姿に気づくと、強がるように笑顔を作った。
「ちょっと、頑張り過ぎちゃったみたい。体の奥が、ずうっと熱いの。肩の内出血も、凄い色よ。後で見せてあげるわ。」
リアネスが倒れたのは、格闘の訓練を始めて三日目のことだった。それまで元気に打ち付けていた拳が力を失い、師匠代わりの男、ヴェンノールの腕の中で崩れ落ちたのだという。肩口に巻かれた血止めの包帯をなぞって、イルアンはセテを振り返った。
「第一大陸で受けた傷が、治りきっていなかったのか?」
薬師はその言葉をじっと受け止めて、静かに言った。
「完治は、していなかったでしょうね。でも、あの程度の動きで傷口が開くような状態でも無かったはず。それに、これを見て。」
そう言ってセテは、リアネスの青白い手を取って指先に触れた。
「爪が、割れてる。」
イルアンの指摘に、セテは頷いて続けた。
「肩の内出血は、数ある悪い結果のひとつに過ぎないわ。原因は別にある。でも、それが怨霊か悪魔かも、私には判らないの。これ、元気が無くての不調じゃないのよ。むしろ、あふれる生命力に体が耐えきれていないという感じ。うっかり気付け薬なんか使おうものなら、ますます苦しませてしまう。」
途中から野宿を諦めた一行は、何とかリアネスを背負いながら国境の川まで辿り着いた。容態の推移確認と並行してイルアンを待ち始めたのは、つい昨日のことである。
「救う手立ては?」
イルアンの問いに、ネリネが口を開いた。
「王都に、死神、と呼ばれる、治癒師がいる。火を、操る男で、こういった、不思議な症状には、誰よりも、詳しい。」
「死神、か。とても治癒師とは思えない二つ名だね。」
眉根を寄せたイルアンに、ネリネは軽く首を振った。
「彼に、手遅れと言われて、助かった者はいない。その逆も、同じ。だから、患者にとって、彼の声は、生死を分ける、神の声になる。」
なるほど。手遅れと判定されたとき、人は何かの間違いではと希望を探したがるものだ。しかし、その判定を下した者が、極めて正確な判断能力を持っていたとしたら?
「そいつを恨まずには居られないだろうな。例えそれが、逆恨みだとわかっていたとしても。」
「そういうこと。」
イルアンの絞り出すような声に、ネリネは小さく頷いた。診断がどう転ぶにしても、腕利きであることに間違いは無いのだ。死神の件は、王都に急ぐのを思いとどまる理由にはならない。
「担いでは、行けない。だから、地竜と、荷車を、借りようとしている。」
現在の王国領は文字通りの無法地帯で荒れ放題だから、欲しいものは川のこちら側で調達する方が良いのだという。調達にあたっては、成り行きで同道していたヴェンノールという男が走り回ってくれている。彼のせいでは無いとの見立ては伝えたのだが、目の前でリアネスに倒れられてしまったことに後ろめたさを感じているらしかった。




