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何でも良いんじゃないのか!?

 雲越しの天が明るくなっても、雨は降り続いていた。もしかしたらウィルの見立てが間違っていて、うっかりティックが目覚めてくれるかも知れない。そんな期待とは裏腹に、小動物は背嚢の中で気持ちよさそうに寝息を立て続けている。


「あと少しで、山頂よ。」


 すっかり気おくれしてしまったイルアンは、先導するウィルの言葉に無言で頷いた。

 この日の登坂は、昨日よりも各段に楽になった。魔導師としての力を隠さなくなったウィルが風の屋根を架けてくれたおかげで、豪雨の直撃を避けることができたのだ。


「最初から、そうしてくれていれば良かったのに。」


 そうしてくれていれば、風雨に震えるか弱い女などと思わなかったろうに。そう言ったイルアンに、ウィルは困ったように肩をすくめた。


「私が力を見せるのは、それなりに珍しいことなのよ。あなたを信用できると見込んでの今日なんだから、駄々をこねないで頂戴。」


 子供扱いされながら、更に三刻ほど登る。木々がまばらになり、風が強くなったと思った瞬間、雨が止んだ。見上げた先に、青空。そして、その下に鎮座する、山の頂。


「あそこだ!」


 思わず駆けだそうとしたイルアンが、立ちつくしたウィルの背中にぶつかりそうになって、立ち止まる。


「ウィル?」


 止んでいた雨が戻ってきても、ウィルは風の屋根を作り出そうとしない。雨粒の痕が付き始めた魔導師の肩越しに再度山頂を確かめたイルアンは、目線の先で動く黒い点を見つけて息を呑んだ。


「まさか、夜のうちに追い抜かれた?」

「いえ、きっと元々山の中に居た者たちでしょう。後ろから追ってきていたのが、十人。山頂に、五人。もう、しっかり人数を掛けられちゃって。あなた達もよっぽど訳ありみたいね。」


 ウィルが、ゆっくりと登坂を再開する。山頂までの道には木立は無く、見通しは良い。こちらの動きに気づいた追手たちが、道を塞ぐように広がって陣を組んだ。


「私が時間を作るから、イルアンは全力で走ってちょうだい。山頂に着いたら、ティックを高く掲げて、何でもいいから叫んで。」

「何でもいい?何か、呪文みたいなものがあるんじゃないの?」

「意識を揺り動かせれば、それで良いのよ。後は、自分で暴風を喰らってくれるはず。ま、全部本で読んだだけだから、何が起こるのかは()()()()なんだけどね。」


 不安を煽るようなことを言い残したウィルに抗議する間もなく、二人は五人の追手と対峙した。距離を詰めようと互いに一歩を踏み出した瞬間、ウィルが右手を突き出して叫んだ。


「お願い、風精!」


 突如、強さを増した風に舞いあげられた小石が、凶器となって追手たちの頭部を襲った。その隙をついて、二人は追手たちの横を大きく回り込んで山頂までの経路を確保しに掛かる。


「良かったのか?」


 力を見せてしまって。そう問いかけたイルアンに直接は答えず、ウィルは追手の真横を通り過ぎたところで再び叫んだ。


「この風を操っているのは、私たちと契約している風の精霊よ!ほら、こんな風な具合に、私たちを守ってくれる!」


 そう言ってウィルが手を組むと、一瞬の静寂を経て風向きが反転し、追手たちは思わず平衡を崩して尻餅を打った。先に行けと手で合図しながら、ウィルは追手たちを油断なく見つめている。なるほど、そういう設定か。ウィルの意図を察したイルアンは、ティックを背嚢から抱えだし、高く掲げて叫んだ。


「おお、ありがたや、精霊様!」


 その瞬間、ティックが小さく喉を鳴らしたと思うと、周囲の空気が一斉にティックに向かって吹き込んでくるような感覚に包まれた。叩きつけられてい風が緩んだ追手たちがティックを見上げて、忌々しそうに罵声を上げる。


「おお、風を吸ったぞ。本当に、声掛けは何でもいいみたいだ!」

「感心していないで、早く行きなさい。長くは足止めできないわよ!」


 そう言って、ウィルが追手たちに向かって三度(みたび)手を薙ぎ払う。強風の中に引き戻された追手たちは、しかし、顔を伏せ、姿勢を低くして、少しずつ前進を始めた。ウィルが山頂側へと後ずさりして追手たちとの距離を取ったのを見て、イルアンは急き立てられるように山頂へと走った。


「着いた!」


 遠く南方には、より高い山々がそびえているのかもしれない。しかし、嵐の中で見通せる範囲には、たどり着いた岩山の頂点以上に高いものは見当たらない。イルアンがティックを精一杯高く掲げてやると、これまで登ってきた側だけでなく八方から風が吹き上げてきて、その勢いは軽く浮遊感を味わうほどの強さとなって精霊の小さな体に集中し始めた。


「ティック、起きてくれ!出番だぞ!」


 大声の呼びかけに答えるように、一瞬、風が強くなり、イルアンは小さく笑みを漏らした。しかし、


「あれ、あれ!?」


 それだけだった。風は何事も無かったかのように元の強さに戻り、伸び切ったイルアンの腕をすり抜けていく。


「おい、起きないぞ!」


 慌てて、数歩の距離まで迫っているウィルに助けを求める。


「声が小さいのかも!」

「全力だ!」

「じゃあ、彼が起きそうな言葉を掛けて!」

「何でも良いんじゃないのか⁉」


 ティックが起きそうな言葉、言葉?このイタチ野郎、とか?咄嗟に言われても悪口しか思い浮かばないが、それが妙手とも思えない。

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