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その子を、置いて行けばいいのよ。

 イルアンの視線が揺れたのを、ウィルは見逃してくれなかった。ゆっくりと立ち上がると、背嚢に向かって踏み出した。


「待って。」


 セテが、静かに言った。


「ウィル、あなたの話の通りなら、心当たりが無いわけじゃないわ。だけど、初対面の人に荷物を検められるなんて、まっぴらよ。まずは、私たちに確認させて。」


 そう言って、セテはイルアンに目配せをした。観念したようにイルアンが背嚢を差し出すと、セテはその中から眠り続けている小動物を引き出した。抱きかかえて部屋の中を一周すると、なるほど、その動きに合わせて小屋の中で気流が変化している。


「なんてこった、本当に風を呼び寄せてる。」

「この嵐を、彼が?」


 ウィルは沈痛な面持ちで頷くと、床に寝かせられた小動物を指先で撫でた。


「名前は?」

「…ティックだ。」

「契約者は、イルアン、あなたね。精霊に無理をさせて、もう。」


 イルアンは、大きく息を吸って、数拍の間それを溜め込んだ。一目でティックを精霊と見抜くとは、なんと油断ならない女だろうか。


「行商人と言うのは、ずいぶんと精霊に詳しいのね。認識を検めないといけないわ。」


 リアネスはイルアンに助け船を出したつもりだったが、


「やっぱり、精霊だったのね。私も、見るのは初めてだったから確信は無かったのだけど。」


 納得したように頷くウィルに、リアネスは口をパクパクさせて押し黙った。どうやら、自分は垂らされた釣り針に見事喰いついてしまったらしい。

 雨音だけが残った小屋の中で、ネリネが小さく言った。


「嵐の中心が、この小屋だと、誰でも、判るものか?私たちは、追われているから、目立つのは、困る。」


 ウィルはゆっくりと首を振ると、広げたままになっていた地図の上、エンバド南部の山を指して言った。


「自分で言うのもなんだけど、風を辿って中心を探り当てるなんて、誰にでも出来るとは思わないわ。でも、例えば山の上から監視している者が居たとして、二日も動かない黒い雲があったら?その中心に何かあると思うのが普通でしょうね。そして、あなた達はもうこの場所に十分長く滞在している。」


 ウィルの言葉に、ネリネが素早く左右に視線を走らせると、それを合図に逃亡者たちは一斉に動き出した。


「すぐに発つ。森に入れば、少しは濡れにくいはず。」


 ネリネが外套を配分しながら言った。それに身を包みながら、イルアンが問いかける。


「ティックは、あとどれくらい嵐を呼ぶだろうか。」


 ウィルがただの行商人でないことはもはや明白であったが、この際それは問題ではない。追手では有り得ないというネリネの言葉を信じて、頼らせてもらおう。


「この豪雨は、ティックが風を呼び寄せた結果として起こっている現象に過ぎないわ。で、その風は少しずつ弱まってはいる。このまま行けば、あと三日もすれば天候への影響はなくなると思うのだけど。」

「三日、三日か…」


 傍のネリネが、平時に増して厳しい顔をしている。あと三日も、追手に位置を掴まれながら、逃げ切らねばならないのだ。うなだれた四人を前に、ウィルがイルアンの背を指してあっけらかんと言った。


「その子を、置いて行けばいいのよ。」


 八つの瞳が、嫌悪を帯びて女に向かう。ティックを守るようにイルアンの背嚢に身を寄せたリアネスが、キッとウィルを睨みつけた。


「ティックは、私たちの大切な仲間よ。恩も情もある。置いて行くなんて、簡単に口にしないで。」


 リアネスが踏み込んだ分、ウィルは顎を引いて距離を置いた。


 良い目をするじゃない。


 ウィルは満足そうに頷くと、頬を緩めて息を吐いた。


「じゃあ、ティックに目覚めてもらうしか無いわね。」


 イルアンが眉根を寄せて、真意を問い直す。


「…出来るのか?」

「まあ、ちょっと危険だけどね。」


 そう言うと、ウィルは小屋の扉を開けて風を呼び込んだ。


「これでも彼、だいぶのんびり力を回復しているのよ。だから、もっと風通しの良い場所、例えば山の頂なんかで一気に風を封じてやれば、叩き起こされてくれるってわけ。」

「危険っていうのは?」


 ウィルはイルアンの問いに直接答えず、ネリネの発言を促すように手を動かした。


「…嵐を引きつれて、山頂に向かえば、包囲されて、逃げ場が、無くなる。私は、あなた達を、そんな死地に、送れない。」


 ウィルはその言葉に頷いたが、不敵な笑みを浮かべてイルアンを試しに掛かる。

 どうする?どうしたい?

 目で問い掛けられて、イルアンは深くため息を吐き、息を吸うと同時に腹に力を込めた。


「俺は、ウィルと共に南の山脈へ向かう。俺たちが追手を惹き付けている間に、リアネス達は王国領へ向かってくれ。川を渡ったところで、合流しよう。五日待っても俺たちが現れないときは、一度見切りを付けて王都へ。」


 ティックを連れて逃げるのは、ネリネにとって負担が大きい。かといって、彼を置いていくなどと言う選択はイルアン自身採りたくは無かった。イルアンはウィルに向き直って続けた。


「山中を逃げ回るのは、お手の物でね。悪いが、付き合って貰えるかな。」

「あら。さっき会ったばかりの私に、命がけで逃避行を手伝えってわけ?まあ、その精霊くんに興味はあるけどね。」


 ウィルの表情は穏やかで、緊張感の欠片もない。嘘が下手というよりも、そこまで隠すつもりが無いようにも見える。


「ウィルに命を賭けさせるなんて、思ってないよ。そっちにも包囲を突破できる算段がある、違うかい?」


 イルアンの言葉にウィルが頷いたことで、方針は決まった。それぞれが荷物を抱えたところで、ネリネが鋭く、小さい声で警告を発する。


「甲冑の音。北、町の方から、真っすぐ、向かってくる。」


 潜伏先の小屋を、追手より先にウィルが探し当ててくれたのは幸運だった。おかげで、逃走に当たっては十分に心と荷物の準備ができている。一行は吊り下げていた光水晶を回収し、真っ暗になった小屋を出た。外からは簡単に開かないよう扉に小細工を施しておいたから、追手は扉を前にしばしの格闘を余儀なくされるだろう。そうして時間を稼ぎ、南の森へと紛れた一行は、そこで二手に分かれた。

 東を指して海沿いの街道を目指す年少組を見送り、イルアン達は南の山脈へと目を向ける。木々の向こう側、北の方から、小屋の扉が打ち破られる音と、罠に掛かった追手達の悲鳴が響いてくる。


「さあ、追いかけて来い。山の中で、水晶工を捕まえられると思うなよ。」


 イルアンは小さく笑うと、敢えてぬかるみに足跡を残しながら南へと進み始めた。

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