第十二大陸編 導ノ一 偽りの商人
真夜中に覚醒したのは偶然では無かった。
毛布を撥ね上げて外へ出ると、輝く星々の下を不自然な風が流れている。
何か、来る。
予感を得た若い女は翌朝の日の出まで仮眠をとると、起きるなりその日の商談相手の元へと駆けつけて断りを入れた。
(商人は信用が命だからなぁ。)
我ながら律儀なものだ。そう思いつつ、強まる風を追いかけるように、地竜を北へと走らせた。野宿をしながら駆けること二日、進路を、視界を覆いつくしたものがある。海だ。追いかけてきた風が向かう先は、既に北から西北西へと変わっている。進路変更。なおも北へと少しずつ進んでいけることに、密かな高揚がある。その一歩一歩が、自身の最北到達記録であったからだ。
(方角的には、エンバドに通じているはず。船乗りたちの楽園とも、墓場とも呼ばれる街ね。)
大陸最北端の港、エンバド。周囲を山に囲まれた彼の地にたどり着くには、比較的平坦な海岸沿いを東から回り込むしかない。女は地竜の手綱を握る手を震わせて、鼻息を荒くした。興奮した御者をいさめるように、地竜がグルルと喉を鳴らしてくる。
「あ。ごめん、ごめん。」
冷静を取り戻させてくれた礼を兼ねて、荷車から干し肉を取り出して与えてやる。
「いっぱいあるからね、たんとお食べ。」
調査のためとはいえ、半年も商人の真似事をしていると、それなりに仕事が板についてくる。行商はただ転売をして儲けているのではない。流通を担い、その対価を受け取っているのだ。山の幸は、海岸へ。海の幸は、山間へ。だから今、女の荷車には、山間部で仕入れた木の実や干し肉が満載されている。
「楽しかった、なんて言ったら、レミアスに叱られてしまうかしら。」
もう、この旅も長くは続かない。女は、自らの直感が良く当たることを嫌になるほど知っていた。ふふ、と笑った頬にポツリと雨粒が落ちてくる。
「おやまあ。」
半刻もしないうちに本降りの雨が降りてくる。そのまましばらく岩陰に入って雨宿りをしていたが、当面止みそうも無い。女は、濡れるのを嫌がる地竜をなだめながら、渋々道の上へと戻ってくる。
「ちょっと、目を閉じていてね。」
そう言って、自分の側を向いていた地竜の瞼を左手で隠してやる。次いで右手を開いて天に掲げると、その掌から眩い円形の輝きが中空に放たれ、やがてその輝きが収まると、輪郭の内側が透明な天蓋となって荷車と地竜の上へと広がった。上空から飛来した雨粒はその薄い天蓋に当たった瞬間、遥か彼方へと弾き飛ばされていく。荷車が移動を再開しても、天蓋はまるで見えない柱で括りつけられているかのようにその上をぴたりと付いてくる。上手く行ったなと、女は長い白髪をかき上げて片目で天蓋を仰いだ。
「町が見えたら、濡れるしかないわね。まだ調査は終わっていないし。」
魔導師というのは希少なもので、畏敬と、ときに迫害の対象になる。そしてーー白髪、年若い女、魔導師、と揃えば、この大陸の民は特定の個人と彼女とを容易に結び付けてしまうだろう。世の中には容姿を変える魔法もあるらしいが、それは彼女の得手とするところでない。自然、偽るのは職能の部分になる。
「さ、港町でもしっかり商売しないとね。」
女はぐっと拳を握ると、ぬかるんだ道に地竜を走らせた。




