船上への来訪者
港の灯りが見えたのは夜中だったから、入港は翌日に持ち越しとなった。
「さて、確認しておこう。」
円を描くように座った一行は、待ち受ける脅威を前に腕組みをして唸った。
「メイザスで俺たちが逃げ延びた挙句、この連絡船が無事に到着した。このことは、水城衆にリアネスの足止めを依頼した奴らにも、既に知られているだろう。つまり、渡し板が置かれた瞬間から、俺たちは刺客に襲われる可能性があるわけだ。」
口を固く結んで頷いたリアネスに、セテが言う。
「人目もあるから、メイザスであったみたいに白昼堂々と襲われることは無いと思うのよね。今回は連絡船の出航日みたいな時間制限が無い分、あちらもじっくり絞り上げてくるはず。例えば、そうね。連絡船を降りて、最初の宿で襲われるとか、町を出てしばらく進んだところで襲われるとか。」
「なんにしても、備えは必要だ。頼みのティックも、まだ目を覚まさないし。」
そう言ってイルアンは、懐からこぶし大の青白い水晶を二つ取り出した。
「氷水晶…イルアン、くすねて来たの?」
水晶を取り上げて、セテが覗き込んだ。ひやりと冷たい。
「人聞きが悪いなあ、ちょっと借りてきただけさ。これを砕けば、桟橋の横に氷の足場くらいは用意できるだろう。相手が大挙して押し寄せているような場合には抗しがたいが、一人二人の怪しい奴を巻く助けくらいにはなると思う。陸に上がって何事もなければ、ちゃんと返すつもりだよ。」
セテから氷水晶を受け取って、リアネスは自分の首元に当てた。頭がすっきりして、良い考えが浮かぶような気がする。
「中央大陸からの追手がいるとしたら、大した人数では無いはずよ。人間を乗せて海を渡るとなると、中型以上の飛竜じゃないと無理だもの。あんな化け物が、そうほいほいと飼い慣らされているとも思えない。」
リアネスの放った言葉は気休めでしか無かったが、それでもイルアンとセテは表情を崩した。氷水晶を借用したのも、苦肉の策だ。裏を返せば、船中を探しても、この程度の武器しか見つけられていない。
と、その時。
船室の扉が、どこか躊躇うように小さく叩かれた。三人の背筋がビクッと伸びて、油断なく互いに目配せする。短剣を抜いたセテが、足音を消して扉に近づき、外の様子を伺った。じっと耳をそばだてていると、扉の外から細い女の声が聞こえてくる。
「警戒は、不要。私は、あなた方の敵、では無いし、敵であれば、扉を叩いたりしない。」
その淡々とした声に、イルアンは扉を開けるよう頷きかけた。セテが扉を開くと、暗い色の外套に頭まで覆われた小柄な影が立っている。イルアンが無言で手招きすると、影は音もなく船室へと入り込み、自ら扉を閉じた。
「オババ様の言いつけに従い、あなた方を守護し、導く。通り名はネリネ。」
影はそう言って外套をまくり上げ、その端正な顔を露出させた。長い金髪と、引き込まれるような薄茶の瞳。セテとリアネスが、同時に息を呑む。
「わ、綺麗…」
「あらら。お姫様か、何かかしら。」
イルアンが比較的驚かなかったのは、正面から覗いていた目鼻立ちから予期するものがあったからで、決してその姿に無感動であったわけでは無い。ネリネと名乗った少女は、リアネスより少し年長に見える。
俺より同い年か、やや年少か。そう量った瞬間、
「今年で、十五。」
心のうちを読むような少女の声で、イルアンの全身に鳥肌が立った。ネリネは三人がひと通り感嘆し終えたのを確認して、部屋の隅に腰を下ろした。そのまま数拍ほど様子を伺っていたが、ちらりとティックに目をやって眉根を寄せた。
「彼が寝ていると、心配?」
セテが息を呑むのが判った。この手ごわそうな来訪者を前に、切り札が眠っているのは確かに心細く、思わず視線を送っていたのだ。
イルアンは、確信した。彼女は、仕草から他人の考えを読み取ることに非常に長けている。
「大事な仲間なのよ。航海の途中で、眠ってしまって。」
セテがぼやかして答えるが、ネリネは疑わしそうにティックを見つめ続けている。
「ね、ねぇ。さっき言っていたオババ様って、もしかして」
リアネスの言葉を、とっさにイルアンが片手で制した。
「こちらから名前は出すなよ。」
ネリネがもっともらしい作り話を始めたとしても、こちらはそれを見破る術を持つていない。情報は、小出しにしていかなくては。ネリネはティックから目を離して、無感動に頷いた。
「賢明。さすがに、水城衆から逃げ切った、だけのことはある。第一大陸からの、連絡鳥を盗み見て、オババ様、老ヨルマーは、私を遣わした。」
ヨルマーの名前が出て、リアネスの肩から目に見えて力が抜けて行く。もしかしたら、試されているのかもしれない。そう思って、イルアンは表情を一定に保ち、慎重に言葉を選んだ。




