出航
黒槍たちの猛攻をいなしながら甲板の端に立ったウージェンは、トビの腹に鉄球が食い込むのを見て左手を上げた。それに応じるように甲板の扉から現れた人影に向け、左手をトビたちの方へと払う。
良いのか?
無言のまま首を傾げた女に、ウージェンは苦笑して付け加えた。
「良いよ、存分にやってくれ。」
見覚えの無い、女。シューノンは、怪訝な顔で背後を伺ったが、女が飛刀を構えたのを見て叫んだ。それは磨き抜かれた、危険な所作で――
「伏せろ、お前ら!」
シューノンの警告とほぼ同時に、左と右の二振りで三本ずつ、計六本の飛刀が女の指先から放たれる。切っ先は正確に標的に吸い込まれ、不意打ちを喰らった水城衆六人は辛うじて急所を外すことしかできない。その追い打ちを狙うかのように、寡黙な女は中型船へと跳躍していく。
「あんな奴を隠していたのか⁉」
シューノンの叫びに、ウージェンは涼しい顔で応えた。
「側近を鍛えているのは、お前だけじゃないってことさ。」
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棒が、折れた。
トビを襲った鉄球を捌いているうちにひびが入り、他の者と打ち合っているときに遂に折れてしまった。左右の手に分かれた棒を構えてみたが、残念ながらエンミャンに二刀を扱う心得は無い。
「ここまで、みたいだね。」
そう言って腕を降ろした瞬間。クーガの船から黒槍の怒声が響いたと思うと、目の前で水城衆がバタバタと倒れた。飛刀。はっと顔を上げると、見知らぬ女が天から降りてきて、船の中央に立った。
(新手か!)
思わず身構えたエンミャンの横から、セテが半泣きの声を上げた。
「秘書さん?」
それは、ウージェンの筆記役を務めていた女だった。セテの声に頷いて応えるなり、飛刀を操っていた水城衆の腹に膝蹴りを入れて伸してしまう。甲板に落ちたそいつの飛刀を拾うと、即座にそれを構えてリアネス達の方へ向き直った。反射的にエンミャン達が身を屈めると、その頭上を通り過ぎた飛刀が連絡船に突き立ち、先ほどまでのものと合わせて連絡船の縁へと向かう綺麗な階段となった。それは力強く、芸術的なまでの投剣。
「ありゃ、化け物だわ。」
エンミャンが舌打ちして、棒を構えなおす。二手に分かれた水城衆が秘書に群がるなか、イルアンはリアネスを腰から持ち上げて、一番下の飛刀に足を掛けさせた。
「行け、リアネス。」
少女は、必死に船腹をよじ登った。最後の飛刀に足を掛け、連絡船の縁を超えて内側へと転がり込むと、連絡船の上で見守っていた漕ぎ手たちが一斉に歓声を上げた。
「出航、出航よ!早く出して!」
眼下で繰り広げられる戦いに目が釘付けになっている男達は、なかなか動こうとしない。リアネスは首を巡らせて船室への扉を探すと、立つ間も惜しんで四つ足のまま駆けた。扉の向こう、そのまま階段を滑り降り、遂に見つけた櫂へとしがみついて、無理やりに海面へ落とす。
「漕いで、お願い!」
ぞろぞろとついて来た漕ぎ手たちが目を見合わせて、躊躇いながらも配置に付く。しかし、少女の指示に従って櫂を下ろしても良いものか。
そのとき。
ドン、と響いた太鼓の音に、漕ぎ手たちは反射的に櫂を海へと下ろした。後を追って駆けあがって来たイルアンが、太鼓を叩いたのだ。
「さあ、出航だ!」
声高な叫びと共にドンドンと太鼓が打ち鳴らされると、躊躇っていた漕ぎ手たちは半ば投げやりになって櫂を回し始めた。外されそびれた渡し板が桟橋との間に落ちてパシャリと水音を立てると、それは広く連絡船の出航を報せる象徴となった。
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水城衆の手が止まったのを見て、満身創痍のエンミャンが呟いた。
「セテ、さあ、あんたも。」
「エンミャン…!」
ありがとう、とは言葉にできず、セテは大粒の涙をこぼしてエンミャンを抱きしめた。ああ、薄い、私の味だ。もう何年も、忘れていた味だ。
「あとのことは、任せな。もし気が向いたら、連絡のひとつくらいは寄こすんだよ。それこそ、海を越える連絡鳥でね。」
「あ、はは。笑えない冗談だわ。金貨何枚掛かると思っているのよ。」
セテは中型船の縁に立つと、隙間が空き始めた連絡船の腹へと飛び移った。飛刀にしがみつき、それを辿って甲板上へと降り立つ。振り返った中型船は涙で滲んでしまって、もう何も見えなかった。
せめて――両の手を胸に当てて目を瞑り、小さく呟く。
「いつか、また会いましょう。その日まで、お元気で。」
薬師の愛用するその祈りが、海を超えて通じることは無いだろう。その難しさは、この六年で身に染みている…しかしセテは、帰郷を目指しながらも、そう祈らずにはいられなかった。
妹分が甲板から姿を消してしまうと、エンミャンは足元でうずくまるトビを抱き起した。
「大丈夫かい?」
「ええ、急所に入れられてしまいましたが、おそらく長引くものではありません。半刻もすれば、立ち上がれるはず。」
「へぇ、そうかい。大したもんだね。」
嘆息してトビから視線を上げると、先ほど助太刀に入ってきた女が近づいてくるところだった。
「あんた、名前は?」
聞かれた女は、口元に手を当てて、動かさない。
「口が、きけないのか。」
女は微笑みながら頷いた。そう教えられてみれば、こちらに向かって飛刀を投げる時も、伏せろ、避けろ、といった言葉すら叫んでくれなかった。セテの顔見知りでなければ、彼女が味方であると確信するには至らなかっただろう。エンミャンは微笑んで頷くと、ゆっくり立ち上がって女の手を握った。
「良い腕だ。助かったよ、秘書さん。」
女は一瞬驚いたように眉を上げたが、すぐに嬉しそうに笑った。




