EPISODE10 いにしえのびょういん
ペラッカは何度も言うように、平凡な女の子として暮らしてきた。お化けは嫌いだし、お化け屋敷も入った途端にきゃあきゃあと騒いでしまう。いつも最後尾をおっかなびっくりついていくタイプだ。つまりそんなに好奇心が旺盛なわけではない。
それなのに。ああ、それなのに、神様天使様、あたしは一体何でこんなところに。
酷い湿気で辺りはカビ臭く、それなのに何故か人骨が所々散らばっている。獣に喰い尽されたのか、それともここを死に場所に選んだのかは分からない。時折、どこからか人の叫び声がして、外からはざあざあと本降りの雨の音。光はなく、懐中電灯を持って辺りを照らし、一直線になってじりじりと進む。何故かと言えば怖いからである。ペラッカを先頭に、カリエラ、レラー、メヴァーエル、サンダルフォナと続いており、まるで芋虫のようにくっついて進んでいた。そしてある個室に入ったところで、外が光り、ついにレラーが悲鳴を上げた。
「ここここっ、怖いよおおおおっ! 何も夜来なくたっていいじゃん! しかも何で雨なんかああああ…」
「ばっきゃろう! お前らが虫に一々ビビッて迂回したから夜になったんだろーが!」
レラーの化粧と懐中電灯の光と言う組み合わせも十分怖いのだが、ペラッカは成るべく前だけを見るようにしている。単純に、夜であるのは到着したのが夜だった事、雨は全くの偶然である。カリエラも怖いらしく、時折具合が悪そうに立ち止まり、頭を振った。しかしこの中で休憩するには些か恐ろしい物がありすぎ―――。
パリン。
「ぎゃあああああっ!!!」
「きゃあああああっ!!!」
レラーが上げた悲鳴に、残りの四人がすくみ上がる。良く見てみると、大きな百足が棚の古いビンを落としたらしい。何を思ったか、カリエラは杖で叩きつぶした。めきょ、と甲羅が割れて、黄緑の血があふれ出し、もぎゃもぎゃと足がうごめき、動かなくなった。
「…おお、これ、ヒャクソクムカデだ。薬効があるぞ」
「そんな薬絶対イヤーッ!」
「…メヴィ、ヒャクソクムカデの甲羅は、メヴィの好きな洋服の着色料なんかでも結構使われてるよ?」
それを聞いて、メヴァーエルが目をまわす。ペラッカの漢方の知識が要らないところで役に立った。カリエラは、もうこのおっかない建物に神経をやられてしまったのか、薄い手袋を嵌めて、甲羅を剥ぎ取り、よいしょ、とペラッカのバッグに詰め込む。泣きたくなった。そりゃあ、このバックは元々カリエラのものだけれども。だからって、殺したての下手物の甲羅なんか、詰め込まなくたっていいじゃないか。
「この病院、案外素材の宝庫かもしれねえな。お前ら、肝を鍛えるのにピッタリなんじゃねえか?」
「やだやだやだやだ気持ち悪いもん!」
レラーが地団駄を踏む。がさごそ、がさごそ、震動を感じて虫が逃げて行った。何の虫かは考えない。
「おお、それはよかった。この分じゃ、ここにはゴキブリもいるぞ。どデカイ奴。干すと薬効がある奴」
「うち帰るぅううううう!!!」
本気の泣きに入ってしまったメヴァーエル。レラーは最早言葉を失い、目を真っ白にさせている。お洒落に敏感な天使見習いでもこんな奇天烈な表情ができるのだな、と、ペラッカは現実逃避をした。
「ねえねえ、あれって何かしら」
たった一人、状況を受け入れているのはサンダルフォナだった。彼女が指差したのは、ベッドのようなもの。ような、というのは、そのベッドは普通に寝るには大変窮屈そうで、身動きが取れなさそうだからである。両サイドと下方に二つの輪があり、それらは壊れかかっている。錆びて壊れたと言うよりも―――それは何か強い衝撃を受けたかのような。ペラッカがじっと懐中電灯を向けていると、カリエラが言った。
「拘束具…」
「こうそくぐ? 何それ~」
「レラーみたいな健康的な馬鹿じゃない、バカを縛っておくための道具」
「今ウチ貶された? ねえ貶された?」
「いや、褒めた」
褒めたのか。詳しく突っ込んではいけないようなので、突っ込まないが。
「ねえねえ、お使いのお姉さんも言ってたけど、ビョーインって何?」
ペラッカがカリエラに質問する。カリエラはこちらを向かずに暫し考えた後、言った。
「『文明』の遺産の一つだ。終末が来る前、『文明』は人間を陥れる為に、いろんな『呪い』を使ったんだ。それが実在した事の証拠が、ビョーイン」
「ヤハーエル学校で習ったっけ? 何で知ってるの?」
メヴァーエルが至極当然の疑問を呈すると、カリエラは手を振り、ババアの本で読んだと言った。ペラッカは更に注意深く見る。ベッドの傍のタンスから、何かがのぞいていた。何だろうと思い、カリエラの袖を引っ張る。
「ね、ねえカリエラ…。あのタンス、調べてみてくれない?」
「はあ?」
「怖いんだもん…。でも何かのぞいてる」
『覗く』と勘違いしたレラーとメヴァーエルが悲鳴を上げて抱き合う。サンダルフォナは突っ込む気もないらしい。カリエラは生唾を飲み込み、おっかなびっくり、しかし勢いよく開けた。
「………。何もねえじゃねえか!」
「あいた!」
相当怖かったらしい。ぶはあ、と、カリエラは大きくため息をついた。しかしペラッカは、そのタンスの中に、一冊の日記があることに気がついた。取ってくれとカリエラに言うと、カリエラは呆れながらも取ってくれた。大昔のものらしく、それは綿ぼこりに塗れて、長い髪の毛が纏わりついたとても汚い物だった。中を開くと、紙はボロボロだったが、一部読み取ることが出来た。
『この病院は………変じゃない………俺は………皆おかしい………』
『悪い悪魔が………逃げられ………』
『助けて』
『看護婦………悪の組織………悪魔………』
『………さんが退院………嘘………殺………』
『助けて……殺され………悪魔の………』
最後のページをめくろうとしたところで、ボロリと本が崩れた。背筋が寒くなり、五人は顔を見合わせる。この病院は一体何だったのだろう。もしかしてこのベッドは、悪魔を呼び出す為の生贄をしばりつけるベッドだったのだろうか。アインの人間ならやりかねない。
「は、馬鹿馬鹿しい。妄想だ妄想、捨てっちまえ」
カリエラが鼻で笑い飛ばすと、サンダルフォナもつられて笑った。次いで、レラー、メヴァーエルと続き、最後にペラッカが笑った。
次行こうぜ聖女様、そう促される。そうだね、行こう、行こう。成るべく明るく言って、ペラッカは部屋をそそくさと出た。嫌だ、おいていかないでよ! 後ろからバタバタと聞こえてくる友達の声が、体に纏わりつき、首を締め上げようとしているのが分かった。
「ひいっ!」
「どうしたペラ!?」
思わず立ち止まると、後ろから追いついてきたカリエラがペラッカを支えた。
「か、カリエラ…。後ろに誰かいる…誰かいるよう…っ!」
カリエラに縋りついて震えていると、パンッと頬を叩かれた。そして顔を覗きこまれ、強く言われる。
「しっかりしろ! 後ろには俺がいる。俺がお前の背中を護ってる。だから何も心配すんなっ!」
「うん…うん…。離さないでね、絶対離れないで…」
「ああ、大丈夫だ。進むぞ」
手を握り、カリエラは、半歩下がって前に進む。時々怖くなって振り向くと、直ぐ傍にカリエラが、一歩下がってレラー、メヴァーエル、サンダルフォナと続いている。メヴァーエルの目が何だか怖いが、気にしない。
「あれ? ねえ、ここから地下に行けるのかな」
暫く歩いてから、す、と懐中電灯を動かす。光を嫌う虫が、またがさごそと這って行ったのが端に見える。みたいだな、と、カリエラが相槌を打った。そっと足を踏み出す。巨大な蜘蛛の子が散って行った。身がすくむが、カリエラが強く手を握ってくれている。変な臆病風には吹かれるわけにはいかない。
かつん。
かつん。
かつん。
かつん。
「おおお…これはまた雰囲気のあるドアだなあ」
「嫌あ…っ。どうにかしてよカリエラぁっ」
カリエラは感心しているが、その声は裏返っている。目の前に現れたドアには、何故か血の手形がベタベタと付いており非常に悪趣味な上に、錆びて表情が出ているようでさえあった。カリエラはガチャガチャとドアノブをまわし、ズダンズダンと蹴りつけ、鉄の杖で突きまくり、それでもドアが動かないと分かると、溜息をついてドアにベレッタを押し当て、三発ほど打ち込んだ。地下の廊下に物凄い音が反響する。びりびりした。鍵が壊れて、ドアが開く。
「鍵、探しに戻っても良かったかな」
「やだ! 怖い!」
「そっかそっか。ようし、開いたぞ、家探し家探し!」
何故そんなに楽しそうなのだ。カリエラは嬉々として中に入って行った。恐る恐る中に入ると、その中には沢山の棚があることが分かる。その棚には白やパステルカラーの粉が、白っぽいビンに詰められて沢山並んでいる。ラベルが貼られていて、名前は霞んでいて読めない物の、それなりに需要があったらしいことは、量から推察できた。
「ここに天使の鱗粉があるのかな?」
「気をつけろよサン、毒があるかもしれないぞ」
「はあい」
そう言いつつ、サンダルフォナはひょいひょいと素手でビンを調べている。レラーとメヴァーエルは、酷くつまらないその部屋でサボろうとしたが、馬鹿でかい鼠が牙を向いているのに気が付き、追い払って真面目に調べ始めた。薬品の名前はナントカ酸とかナントカ化合物とかそんなものばかりで、自分達が持っていても役に立ちそうなものは見当たらない。が、何故かレラーは物珍しそうにそれらを集めている。
「レラー、何してんの?」
「ペラちゃん、ここ凄いよ~! ダアトじゃ見られない危険な薬がいっぱいある~! これだけあればどんな実験もできるよ!」
「今危険な薬って言ったよね!? なんでそんな危ないことしようとすんの!?」
「大丈夫だよ~、ウチ、危険物取扱免許持ってるから~!」
そう言えばこの人は資格マニアだった。しかしその免許や資格が生かされたところを一度たりとも見た事がない。おまけに、金さえ出せば出るような商店街の資格も沢山持っている。レラーとしては、カリエラにぎゃふんと言わせたかったのだろうが、ペラッカは青ざめた。しかしレラーは構うことなく、ペラッカのバッグに詰め込んでしまう。やはり彼女も、自分で持つつもりはないらしい。
「………あっ、これかなあ? 天使って、辛うじて読めない?」
サンダルフォナが見つけたらしい。カリエラがペラッカから懐中電灯を奪い、確認する。
「………。間違いない、天使の鱗粉だな」
カリエラは溜息をつく。せっかく怖い思いをして手に入れたと言うのに、何故か浮かない顔だ。サンダルフォナも気にかかる。
「カリエラ、大丈夫? 顔色、悪いんじゃない?」
「大丈夫…。いや、ちょっと疲れたんだ。早く出よう」
行くぞ、と、カリエラはペラッカの手を握ってドアに向かう。凄くナチュラルに手を繋がれたが、掌が汗ばんでいるように感じるのは…。
「おいペラ」
「な、何?」
「余計なこと考えるな。とにかく出るぞ。何だか―――凄く、嫌な予感がするんだ」
ペラッカは天使の鱗粉の入ったビンを力強く握りしめた。




