EPISODE11 サデュソンしつげん
外に出ると、もう空は白み始めて、朝霧がかかっていた。ぴちゃぴちゃと足元で踊る泥が鬱陶しい。少し草が生えている所に入ると、あっという間に裾が濡れてしまった。
ビリビリ、徹夜で歩きまわったからだろうか。何だか神経が逆立っている気がする。
「ねえ…ねえカリエラ! なんか変じゃない? 見られてる気がする…」
より敏感に察知したのはサンダルフォナだった。感じているのだろうか。ペラッカはカリエラの手をより強く握り、腕にしがみついた。メヴァーエルとレラーも、得体の知れない敵意に背中を合わせている。カリエラは銃を確認したが、その中に弾は入っておらず、杖を構えた。手を離し、ペラッカの肩を自分に引き寄せ、体を低くする。
………。
「見切ったぞ、出てこい!!」
カリエラの杖が地面を打つ。踏み込んだ足に前乗りになり、白い霧の向こうを睨む。薄らと見えたのは、灰色の陰。コートを着ているのだろうか。髪が長いのだろうか。輪郭だけでは、身長さえも良く分からない。
「その殺気をしまってとっとと失せろ」
「そう言うわけにもいかないんだわ」
「てめぇ…メレクか!」
カリエラは知っているらしい。ご名答さ、影は答える。声ははっきりと聞こえた。
聞こえた声は少女の様であった。しかしその声色は、あどけない少女のではなく、使命感を帯びた兵のようでさえあり、そこからは酷い狂気も感じた。白い霧越しでも薄らと分かる、白いヘルメットに、ある程度隠された瞳は鈍色で、異常なまでに睨みつけてくる。それは漠然とした敵意ではなく明らかな敵意、ともすれば殺気とも言えた。ペラッカはカリエラの胸を握り、更に小さくなる。
「でもその名は捨てたよ」
「てことは、てめぇ…」
「フェルゴルビーから聞いて驚いて飛んで来てみれば…。まさか、こんな小娘奉っていたとはね」
自分だって同じくらいの年じゃないか。目の前の少女は小馬鹿にしてくるが、ペラッカに言いかえす勇気はない。
「アンモナのババア共々、痴呆になっちゃったのかと思ったよ」
「てめぇこそ、よく口が回る様になったな。虐められっ子の引きこもりが」
「アハッハ、君とは道も違えたってことさァ。ともかく、今すぐ活動をすぐやめて隠居するか、その子渡してここで謎の失踪遂げてくれない?」
「断る」
いや、受け入れてくれ。余計な争いごとをしたくないペラッカはそう思ったが、カリエラもサンダルフォナもやる気満々である。カリエラはそっとペラッカをひきはがし、サンダルフォナに押し付けた。レラーとメヴァーエルも腹をくくったのか、それとも何となく流れに乗っただけなのか、前に出る。少女は手を伸ばし、人差し指でくいくいと挑発した。
「記録には残してあげる。ぼくはヴィアナルス会のネツァク。アイン・ソフ第七位、無限の勝利を運ぶ正義の味方さ」
「出世したな、泣き虫メレク。俺はパラベラム会修道女ラファエラ。聖女ペラッカの従者筆頭だ」
そんなものつくった覚えはなかったが、盛り上がっている所に水を差して巻き添えを喰らいたくはない。
「ああそう、名前変わっちゃったんだ。残念、君の可哀想な散り際を公文書に残してあげたかったのにね!」
本名をメレクと名乗ったと言うことは、まさか男だったのか。いや、確かにこんなに可愛い子が女の子の筈がない。女の子とは、ペラッカもそうだから言えることだが、もっとドロドロとして醜くて面倒くさい生き物だ。ネツァクは両手を伸ばし、袖から細い針のような武器を取り出し、構えた。一体何と言うのだろう、あれは飛び道具だろうか? 穴に中指を通し、クルクルと回せばそれは光を反射する。
「寸鉄か…。お前らしい陰気な武器だなメレク。ヴィアナルスに名前を連ねた事を後悔させてやる!! 行くぞお前ら!!」
え、行くの? 怖そうじゃん! そんなレラーの心の叫びが聞こえて来そうだった。ネツァクは飛び道具に見えたそれを手に構え、カリエラの攻撃の筋を反らす。湿原に足を取られているはずが、彼の方が身軽なのだろう、モーションの大きいカリエラの隙をつき、寸鉄を突き刺そうとしてくる。レラーに至っては歯牙にもかけられていない。
「アハ、アハハハ、相変わらずトロ臭いのは変わんないね!」
「うっせぇこの弱虫、ぶちまけんぞ!」
「やーだよ!」
びちゃっ。
ネツァクは足元の泥をカリエラに引っかけた。咄嗟に庇ったカリエラの左手を、寸鉄が貫く。痛みにカリエラの身体が凍りついた。その次の瞬間、もう片方の寸鉄を握った手が、カリエラの胸を強く叩く。骨を折るような低い音だった。カリエラはビクッと痙攣し、杖を落としてその場に尻もちをつく。ひくっ、ひくっと震えて、反撃しようとしない。これはおかしいとペラッカが駆けだそうとした時、別の寸鉄がペラッカの足元に三本突き刺さった。動くなということだろう。ネツァクは乱暴にカリエラの髪を掴んだ。
「君には聞かなきゃいけないことがあるんだよ。しっかりしな」
べっとカリエラは強がり、ネツァクに唾をひっかけた。途端、強烈な張り手が飛ぶ。痛そうだ。何より怖い。ペラッカはサンダルフォナの後ろに隠れた。
「何が何でも吐いてもらう。………マルタを殺したのは君だよね」
「ころ…し…?」
メヴァーエルが凍りついた。サンダルフォナは新しい登場人物の方に興味があるようで、その後の動詞はどうでもいいらしい。しかしカリエラはこの期に及び、いひひっと笑い、言った。
「覚えてねえな」
きっとネツァクは唇をかみしめ、もう一度片手を振り上げる。その時カリエラは何かに気がついた。そして好機とばかりに口元を吊りあげ―――。
「どぉっせぇぇぇぇいい!!!」
声はネツァクの真後ろから聞こえた。避けようとするところを、カリエラは足を踏ん張り、首を掴んで動かなくさせた。がっちぃん! と物凄い金属音がした。めり、とネツァクのヘルメットに罅が入る。後ろに忍びよったレラーが、思い切りスペードソードで叩きこんだのだ。ヘルメットをしていたとはいえその衝撃は凄まじかったようで、全体重を受けたネツァクは、その場に膝を折る。気を失ったらしい。びちゃん、とカリエラも尻もちをついた。慌ててペラッカは胸に手を当てる。物を詰まらせたように、大きくせき込み、カリエラは震えた。痛々しい腕の傷に触れると、ひっと悲鳴を上げる。消毒液をかけたような感じなんだろうか。
「カリエラ、大丈夫? 何この人」
「…話は後。戻るぞ」
放っておいても良いのかなあ、と、ペラッカが心配していると、カリエラは胸を押さえてネツァクに近寄り、コートの裏から寸鉄を取り、地面に突き刺さった三本も引き抜いた。五本を束ね、バッグに詰め込む。鍛冶屋の材料の一つにはなるだろうか。
傷はふさがった物の、体力は戻っていないようで、カリエラは動く事が出来なかった。サンダルフォナに背負われて、背中で眠りこける。勿論その間、メヴァーエルが凄まじい目付きで二人を見ていた。湿原の水に足を取られながら、メヴァーエルとレラーは憶測を並べあう。
「あの人、天使の鱗粉を奪いに来たのかな?」
「何なのかなこの粉? 舐めてみてよ、レラー」
「や、やだよ! 毒だったらど~すんの!?」
「危険物免許持ってんでしょ?」
「そんなコトに使わない!」
メヴァーエルは敵にまわしたくないな…。ペラッカは溜息をついた。カリエラに聞こうとも、あれだけ激しい動きをした後だ、休ませた方がいいと思う。
「これから、もっと大変になってくのかな? 色んな町に行って、色んな人から色んな事頼まれて、時には人間に襲われることもあるんだろうな…。あのネツァクってコも、殺しちゃったわけじゃないし、もしかしたらまた襲いかかって来るのかもしれないよ…」
「そしたらカリエラがまたどうにかしてくれるわ」
自分達が助ける、という発想はないらしい。なんだか情けない。
「やっぱり、押し付けられちゃったからには、ならないといけないのかな…。聖女」
「ペラちゃんはペラちゃんだよ~」
何も分かってないらしいレラー。いっそ清々しい。湿った空気に阻まれた先に、サデュソンの町の屋根が見え始めていた。




