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02:岬ルナ(24)のひめごと 前編





 始発が動き出すまであと1時間半。

 なるべく音を立てないようにバーの扉を開ける。



 『CASABLANKA』



 こっそり覗けばあいつに良く似たマスターと目が合った。



 「兄貴なら40分前くらいに帰ってるから大丈夫だって」


 「いや、別にそれを気にしてたわけじゃあないんだけど」

 


 言い繕ってみたものの、図星。

 でも居ないとわかってほっとしてる。



 別に嫌いってわけでもないし、仕事の同僚としては何ら問題もない。



 「で、何飲むの?」


 「水で」


 「…ここバーなんですけど?お客様?」


 「営業中に飲んだからもう今日は飲めねぇんだよ、茶漬けか雑炊食べに来たんだっつーの」



 多少キレて返事をすると、ふーっと一拍おいてから畏まりましたと調理を始めるマスター。

 

 コトリと最初に置かれたのは湯飲み。

 ちょっとぬるめの湯でも出されたのかと思ったら、昆布茶にカツオ出汁がブレンドされているものだった。


 ほっと一息つける味だ。



 「それより濃い目?それか薄めがいいか?」


 「いや、これくらいが美味いよ」



 だろ?と言わんばかりにニヤリと了承されて生姜をすり始めている。

 あー、絶対美味いわそれ。



 「珍しく兄貴浮かれてたぜ」


 「聞いてねぇよ」


 「ちったぁ聞けよ、こっちは振り回されっぱなしなんだからよ」


 

 まるで私が悪いみたいな言い方は気に食わないが、兄弟で兄貴に逆らえない分かなり苦労しているのも知っているので美味い飯にありつくために言い返すのをやめてやった。


 生姜醤油を塗られた握り飯がバーナーで炙られ漂う、涎が止まらなくなる匂い。

 バーじゃなくて料理屋やればいいのにといつも思う。



 「でもまぁなんつーか、人間味出てきた兄貴は昔みたいに、――岬サンを不快にはさせてないんだろ?」

 

 

 返事はせずに出汁を啜りながらスマホを弄る。


 否定しないことで肯定していることをマスターも気づいているのか、「ありがとう」と「兄貴も幸せだな」と聞こえるか聞こえないかギリギリの音量で呟いていた。



 出会った頃のあいつは最低と呼ぶに相応しい客だった。


 いや、私もろくでもなかった。





 今でこそ、この黒いスーツにネクタイも板についてきたけれど、数年前はフリージアという店で制服のタイトな白いスーツワンピースを着ていた。



 何てことはない、その時付き合っていた彼氏が夜の仕事を始めたもんだから、なんとなく自分もやってみるかと始めてみただけだ。



 最初の月は何の努力もなく成績が中盤よりも上くらいで、それでもフリーターでふらふらしていた中の、どの仕事よりも実入りが良くて楽だった。


 特に何か欲しいものがあったわけでもなかったので、手元にあるお金で何をしようかと思った時、自分の男をナンバー入りさせてみたいと、変な自尊心が動いた。


 しかしそうなってくると、稼がなきゃいけない。


 他のキャストを見て、マネれるところはマネたし、フリーを優先的に回してもらえるようスタッフにも媚びたし、ライバルであるキャストにも敵対されないよう媚びながらヘルプで呼ばれた席でも盗れそうな客なら、細心の注意を払ってバレないように盗っていった。 

 


 観察眼を鍛え情報量を増やす。


 それだけで男よりも先にこっちがナンバー入りしてしまい、名前が売れてしまった。



 不機嫌になる彼氏を宥めながら、「貴方しか見えてないの」と彼氏も自分も偽り始めて数ヶ月。

 客に手を出して二股していたことを「カレと別れてくれませんか」と母子手帳を持ち、2人で店まで来て言われて、知る。



 ただの枕営業なら、まだ許せたのかもしれないけれど、そのままデキ婚するなんて意味がわからなかったし、「俺が悪いんだ」「いえ私が」と繰り広げられる茶番にも辟易し、履いていたピンヒールを手に持ち、もちろんピン側で男の顔面を殴り倒した。


 ガラスの灰皿やボトルじゃなかったことをありがたく思って欲しいが、「そーゆー可愛げのねぇ奴だからダメなんだよ!」と罵声を浴びたので踵で顔面を蹴り落とし床に這い蹲らせたところで、担当の長岡マネージャーからストップが掛かった。


 随分とゆっくり待って止めてくれたなと、どこか冷静に思いながら見下ろした男に、愛した面影は無かった。


 多分、とっくに愛してはおらず、情で繋がっていたんだなと気づく。

 それを断ち切るのに第三者、枕ごときの客が噛んだのが許せなかっただけで。



 ふと自分を見れば、白いスーツに赤い花がいくつも咲いていた。

 夢を売る店のど真ん中で、関係のないお客様の酔いを醒ますような醜態をさらした。


 こいつら2人に下げる頭はないけれど、他の席にはひとつひとつ頭を下げて回って、その日は帰された。



 私もこの仕事は潮時かもしれないと思っていたのにクビは切られず、その月に初めて店のナンバーワンになった。



 そして、私をナンバーワンに押し上げたのは、十条陽一。


 今では同僚のジョーである。





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