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 兄様たちのいなくなった静かな部屋で、窓の外を眺めています。風が青々とした木々を揺らし、雲を走らせ、あちらこちらに春を運んでいます。少し前まで寂しかった花壇は色であふれ、朝一番で撒かれた水を纏ってきらめく花々の美しさが私の目を楽しませてくれます。




 ノックの音がして、次の瞬間にはお嬢様が入ってこられました。


「セレナ!!」


 夜着にカーディガンを羽織られただけの姿のお嬢様が、勢いよく私に駆け寄ってこられます。


「お嬢様!!」

「セレナ!!」


 お嬢様も私もそれ以上の言葉は、涙に押し流されてしまいました。




 抱き合ってどれくらい泣きつづけていたのでしょうか。

 通信具の揺れに気がついて、わんわんと声を上げて泣いていらっしゃるお嬢様からゆっくりと体を離します。


「お嬢様、ちょっどおで洗いに」


 涙でぐずぐずの声で我ながら下手な嘘を吐きます。号泣していらっしゃるお嬢様の腕を引いてソファへ誘導して、私はお手洗いへ急ぎました。泣きすぎて頭がぼんやりしていますが、お嬢様のそばで魔法を使ってはいけないということだけは覚えていたのです。


「ぐす。セレナです」

「いいかげんにしろ、セレナ。アニーを干からびさせる気か」


 悪魔の声に血の気が引いていきます。

 失念していたのです。王家の魔力を受けたことにより、私の感情に他者の感情が引きずられるということを。


「すびばせん」

「いいか? アニーは今日まで学園を休ませることになっている。お前のせいで食欲がなく、体調がすぐれないからだ」

「はい」

「お前の仕事は、お前がもう元気だとアニーを安心させ、アニーにしっかりと食事をさせることだ。真逆のことをしてどうする。馬鹿は馬鹿でも、アニーのことは大事にできる馬鹿ではなかったのか」

「はい」


 本当に悪魔の言う通りです。私は馬鹿です。お嬢様をあんなに泣かせてしまって、きっと、お嬢様の目の周りの繊細な肌は赤くなってしまっていることでしょう。冷たいタオルを持っていかなければと考えながら、同時に疑問が顔を出しました。


「レオポルド様」

「なんだ」

「私の部屋にも盗聴器を?」

「は? お前は本当に馬鹿だな。いくら私が無尽蔵の魔力を持ち、お前の部屋どころか、寮全体に盗聴器を仕掛け、すべての音を記録することも可能だとはいえ、私がお前の部屋に盗聴器を仕掛けて何の得がある」


 その通りですね。悪魔が私の生活に興味を持つとは思えません。


「でば、なぜ、お嬢様が泣いでいらっしゃると?」

「ふん。今回の件を受けて、いつでもアニーの異変を察知できるように、アニーにリングを贈ったのだ」

「は?」


 お嬢様にリングですって? リングはほかのアクセサリーと違って、特別な意味を持っています。我が国ではリングは愛の証なのです。最近では婚約式で交換するカップルも増えていますけれど、たいていは結婚式で愛を誓い合うときに、交換するものなのですよ。


「そのリングは私のリングとリンクしている。アニーの体調不良や激しい感情の揺れで、魔力が乱れたとき、私のリングに伝わり、アニーの異変が瞬時にわかるようになっているのだ。また、乱れ方でアニーの状態もある程度はわかる。涙が流れているとき、魔力は特殊な乱れ方をする。それでアニーがひどく泣いていることがわかった。アニーがセレナのところへ行ったのはわかっていたから、多少の感情の起伏は仕方がないと思っていたが、あまりにも激しい乱れ方をしていたので、お前のせいだと思ったのだ。そして通信に出たお前の声を聞いて確信した。お前の感情がアニーの悲しみを増幅させていると」


 リングのことに気をとられていて、悪魔の言葉をあまりよく聞いていませんでした。


「すみません」


 とりあえず万能の言葉を口にしてみます。


「ふん。わかったなら、しっかりしろ。これだから、感情制御の訓練を受けていないやつは駄目なのだ」


 悪魔の通信が切れ、反省するよりも先に、大きな疑問が頭を占めます。

 悪魔は幼い頃から感情制御の訓練を受け、ほぼ完璧に感情制御できるはずなのに、なぜいつもああなのでしょう。もちろんある程度は感情を制御しながら、わざと自己主張しているというのはわかっているのですが、それにしても悪感情を出しすぎではありませんか。子供の頃、見失ってしまうほどに感情を抑えて生きていたことの反動なのでしょうか。


 悪魔のことなど、考えても理解できるわけがないので、頭を切り替えて、洗面所へ向かいます。


「ひどっ」


 自分の顔を見て、つい声が出ました。まぶたが腫れて、二重の幅が倍になっています。涙の足跡があちこちにつき、顔全体も何だかゆがんで見えます。


 冷たい水で顔を洗って、自分用とお嬢様の分の濡れタオルを持って戻ります。


「お嬢様、こちらを目元にあててくださいませ」


 顔を上げられたお嬢様はまだ涙を流されていました。しかも私とは違い神々しいまでに美しい泣き顔なのです。

 目が合うとお嬢様は涙顔のままで、恥ずかしそうに微笑まれました。お嬢様の泣き笑いが、私の胸を直撃します。ああ、尊い。

 あまりの美麗に、このまま眺めていたくなりますが、そういうわけにもまいりません。


「お嬢様、今、あたたかいお飲み物を用意しますので」


 お嬢様に冷たいタオルを渡して私はキッチンへ向かいます。


 そして気がつきました。魔法を使わないと、お湯も沸かせないのだということを。

 私の部屋は狭く、小さなキッチンと居間兼寝室を遮る壁がないのです。今の私はお嬢様の近くで魔法を使うことはできません。


「ねえ、セレナ?」


 ポットを持ってフリーズしていた私は、お嬢様に呼ばれて振り返ります。

 お嬢様はタオルを下にずらして、少し赤くなったかわいらしい目を私に向けられています。


「魔力の枯渇で倒れたばかりなのだから、簡単な魔法も使ってはいけないわ」

「あ、はい」


 魔力の枯渇設定がすっかり頭から抜け落ちていた私は、聡明なお嬢様に助けられました。


「マーサも呼んで、三人で朝食をいただきましょう。今日はセレナたちと一緒に食事をしなさいと、レオ様に言われたのよ」

「はい」


 お嬢様がマーサさんに通信で食事の用意を頼まれます。私は手にしていたポットをそっとおいて、お嬢様のそばへ戻りました。


 お嬢様のお顔はタオルで見えませんが、もう涙はとまったようです。やはりお嬢様は私の感情に影響されて、号泣していたのでしょうか。

 今、私の心はお嬢様の存在に癒されて、穏やかに活動しています。だからお嬢様も落ちつかれたのかもしれません。


「たくさん話したいことはあるのだけど、何から話していいのかわからないわ」

「そうですね」


 私もお嬢様の横でタオルを目にあてます。


「まずはごめんなさいね。セレナの通信具を私が借りなかったら、セレナは腕を怪我しなかったのに」

「それは違います、お嬢様。お嬢様がレオポルド様を呼んでくださらなかったら、私は脱臼くらいの怪我ではすみませんでした。私が通信具をつけていたとしても、瞬時にレオポルド様に助けを求めることができたとも思えません。私はお嬢様のおかげで無事だったのです」


 私が呼んだところで、悪魔は来てはくれなかったでしょうという本音は呑みこみます。


「セレナ」

「はい」

「通信具のことでね、誰も私を責めないのよ。だから余計につらいの」


 お嬢様の声に再び涙が滲みます。私はお嬢様の哀切に同調してしまわないように、タオルの中で笑顔を作ります。私が明るい気持ちでいれば、お嬢様も明るくなるはずなのです。今の私はそういう魔力を纏っているのですから。


「お嬢様、罪のない人を責めることなど誰にもできません。今回の件で責められるべきは刺客」

「……しかく?」


 私は自分の馬鹿さかげんを甘く見ていました。回らない頭をどうにか回して嘘をひねくり出します。


「あの四角い顔したストーカーです」

「ストーカーは四角い顔をしているの? セレナを襲ったストーカーが誰だかわかったの?」


 自分の下手な嘘に追いつめられます。


「……いいえ。目が覚めて、私を襲ったのがストーカーだと聞いて、心当たりなどなかったのですが……ラウルに襲われたように錯覚してしまう記憶を残すのが嫌で、あのとき私を襲ったのは四角い顔の不細工な男だと思いこもうとしているのです」

「……そう」


 泳いでいると思われる目がタオルの中でよかったです。私は嘘も下手ですが、感情を隠すのも上手ではないのですから。


「セレナの気持ち、わかるわ。もしもレオ様の姿をした誰かに襲われたとしたら、そんな記憶はつらすぎて、持っていられないと思うもの」


 疑うことを知らないお嬢様は、私の嘘の厚化粧を信じてくださったようです。騙してすみません、お嬢様。


「でも、セレナ」

「はい」

「自分の魔法量に見合わない魔法を使うのは危険よ。これからはああいうことがあっても、自分で何とかしようとせずに、助けを待つのよ。私たちのことは必ずレオ様が守ってくださるのだから」

「……はい、お嬢様」


 悪魔が守るのはお嬢様のことだけですと、お嬢様には気づかれないように、タオルの中でこっそりとため息をつきました。



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