第六十五話 数える骨
祭りのたいまつは、戸口の内側に、三本。
ふだんは、一本。歌のある夜に、二本。三本目は、ドロテアが、今朝、坂の下から持って上がってきた。暗かった側に、新しくついた明かりの戸から、借りてきたのだという。
どこの戸かは、言わなかった。訊いたら、おたまで、手の甲をたたかれた。
戸口から、坂の下を見た。暗かった側の明かりが、三つある。どれも、消えていない。
鍋は、一つ。うちの鍋だ。火だけが、いつもの倍、入っている。椀は、三十九。壁際のぶんと、客のぶんは、同じ椀だ。足りなければ、順に、回す。回すほどは、来ないだろう、と思っていた。
岩机の上の写しは、開いたままだ。消した跡の一字の上に、たいまつの光が、来ている。
壁際の連中は、角度を正していない。祭りの夜は、正さなくていい。ぱたりは、戸口に向いて、あごを上げたままだ。
◇
最初に来たのは、テオとミナだった。
「あの。祭り、って聞いて」
「やっています」
ミナが、先に入った。先に入って、観る席の端に、片足を伸ばして座った。もう、俺の右手を見ない。
テオが、頭を下げてから、入った。入ってから、小さく言った。
「二番、だったって、酒場で」
「二番です」
「……それで、祭り、なんですね」
「それで、祭りです」
テオは、もう一度、頭を下げた。下げている時間が、前より、短い。短いまま、観る席へ、行った。
その後ろから、見覚えのない、三人。火の話を、酒場で聞いた、と。
戸口の影が、途切れない。石臼の男が、戸口の内側に立った。俺を砕かせた、隊の長だ。手に、本はない。何も言わずに、通路の端で、椀を受けた。
一人、二人、三人、と、あごの奥で始まったところで、鍋の向こうから、おたまが、一度、鳴った。
やめた。数は、三で止まっている。三のまま、置いた。
◇
坂を、グレテが、のぼってきた。鍋は、ない。椀を、両腕に、抱えている。
「出前じゃないよ。あたしの都合だ」
「貸し賃は」
「取らねえ。……今夜はね」
「あたしの都合、が、二度目です」
「……覚えてたのかい」
「はい」
グレテは、椀を、ドロテアの横に積んだ。ドロテアが、鍋の向こうで、何も言わずに、火を足した。
観る席が、足りなくなった。客が、通路の端に、立った。立ったまま、椀を受けた。
隣の区画からは、誰も、来ない。坂の下の、見えないほうは、今夜も、見えない。
戸口に、重い足音が、三つ。
灰狼の隊だった。下の層へ下りたと聞いた三人が、三人そろって、戸口に立っている。先頭の女、アデルが、観る席のほうを、一度、見た。空いたところは、ない。通路の端に、立った。
◇
教室の四体が、列に出た。
もどり。さき。名のない二体。ぱたりが、壁際から、あごを上げたまま、見ている。もっかいが、床を、一度、たたいた。合図は、列の端まで、渡った。
誰も、転ばない。
四体のあごが、同じ拍で、動いた。節が、来た。客の言葉の歌だ。客には、分かる。俺には、分からない。上の帳面には、載らない。
客の、手が、拍を取り始めた。テオの手。アデルの隣の、白ひげの手。石臼の男の手は、動かない。
鍋の向こうで、ドロテアが、鼻歌で、節を合わせた。合わせてから、口を閉じた。顔が、火のほうを向いた。
ピンが、俺の横で、帳面を開いている。筆は、持っていない。棒は、耳。
「だいこう。うた、は、かきません」
「書くな。祭りのうちは」
「はい」
「まつり、は、なんばん、ですか」
「番号は、ない」
「……ぬいたひ、と、ぬかれたひ、ですか」
「それだ」
ピンの棒が、耳の上で、少し、傾いた。
◇
通路の手前に、石の階層長が、立っていた。
いつ来たかを、俺は、見ていない。翼の音は、歌に、消えた。査定簿は、小脇。石の指は、表紙を押さえている。石の顔は、祭りを見ている。
何も、言わない。
鍋の火が、一度、大きくなった。石の目が、火のほうへ、動いた。動いて、戻った。
ヴォルクが、岩机の向こうで、同じ火を見ている。
袖の奥に、一拍、淡い明かりが、あった。あった、と思ったときには、袖は、手首まで、下りている。
壁際から通路の端まで、一座が、立っている。
端で、アデルが、椀を置いた。置いて、戸口のほうへ、向いた。向いてから、一度だけ、こちらを見た。照らし合わせる目のままだった。
「——また来るぞ」
ピンが、棒を袋に入れて、筆を取った。書く音が、一つ。書いてから、棒を、耳に戻した。
◇
岩机に、戻った。
帳面を、開いた。今日の行には、また来るぞ、の一行だけがある。その先を、ピンが、あとで書く。
俺の行を、見た。一一四。かたり。その先は、白い。
前の名を、思った。
思って、手が、帳面の上を、探した。探す手が、自分の行の、白いところで、止まった。
出ない。
隣の席の人の顔は、前に、出なくなった。今夜は、俺の、前の名が、出ない。口の形まで、来ない。あごが、開きかけて、閉じた。閉じたあごの奥に、何も、残っていなかった。
ピンが、見ている。
「だいこう」
「……なんだ」
「かたり、は、なんばん、ですか」
「一一四だ」
「はい。……かたり、の、よこ、は、なにを、かきますか」
「ない」
鍋の音が、一つ。
「カタリ、でいい。……カタリだ」
ピンの棒が、耳から、下りた。下りて、俺の行の、白いところへ、来た。来て、何も書かずに、上がった。上がった棒を、耳に、戻した。
「はい。かたり、です」
ピンは、帳面を、後ろへめくった。上を数える帳面の、すべて、の行。右の空いたところを、棒の先で、たたいた。
「すべて、は、なんばん、ですか」
「ぜんぶだ」
ピンの棒は、空いたところから、上がらなかった。
◇
椀が、一回り、回った。空の椀が、鍋の前に、戻ってくる。ドロテアが、一つずつ、受けて、鍋の横に重ねる。
受けながら、鍋の向こうから、言った。
「カタリ」
名で、呼ばれた。おたまの先が、俺の右手を、指している。黒い手を。
「あんまり、数えるんじゃないよ」
「……はい」
返事をしたあごの奥で、たいまつが、三本、と、もう数えていた。
岩の棚の、頭の骨が、たいまつの光を、受けている。窪みの中の一体は、いつもの角度でいる。
◇
窪みの前へ、行った。歌と、椀の音が、後ろにある。
右手を、上げた。黒い指の、短くなった先。付け根の、白い継ぎ目。古い白だ。
こつ、と、鳴った。
窪みから、もう一つ。




