第十六話 儲かる仕組み
昼の三ノ三に、ひよこの二人の声が響いている。
追いかけっこがひと区切りついて、二人は岩に腰かけ、水を回し飲みしていた。客の休憩は、こちらの休憩でもある。俺は手ごろな岩陰で、骨を休めるふりをして、いつものとおり客の声を聞いていた。
盗み聞きではない。客の声を聞くのは、店の仕事だ。それに、こいつらは骨に聞かれて困る話をしない。骨が聞いているとは、思っていないからだ。
「そういえばさ。このまえ酒場でやってた話、ほんとかな」
テオの声だった。
「ダンジョンは、俺たちが生きて帰るほど儲かる、ってやつ。保険の掛け金のいくらかが、山に入るんだって」
「じゃあ、わたしたち、いいお客さんだ。一回も死んでないもん」
「な。……まあ、酒場の話だけど」
ミナが水筒を振って、思い出したように身を乗り出した。
「それより黒板だよ。わたしたちの話、一杯になったやつ」
「なった! 三ノ三の話、一杯につき一席。きのうも語ってきた。これで椀、二杯」
俺は、岩陰で動けなくなっていた。
保険の話は、いい。与太なら、それでいい。ほんとうなら、うちの商売はとっくに正解だ——だが、それを俺の願いで決めてはいけない。決めるのは、帳面だ。
動けなくなったのは、もうひとつのほうだ。
椀、二杯。うちの洞窟の話が、俺の知らない場所で、俺の知らない値段で、売れている。
◇
夜。観測点の岩机に、昼に聞いた話を並べて、ひとつずつ数え直した。
ひとつ。客が生きて帰るほど、山は儲かる。
前に一度だけ見せてもらった、査定の紙を思い出す。あの配点は、妙だった。敵を撃退した数は、いちばん安い。客足の続き具合は、高い。倒すのが仕事のはずのダンジョンで、倒すほど点が下がる。ずっと、歪みだと思っていた。
歪みじゃない。値段だ。
撃退は、客を減らす。客足は、掛け金を運んでくる。だから、殺すほど安く、通わせるほど高い。
いつだったか、俺は自分で言った。客商売、なのか、と。
客商売だった。答え合わせに、ずいぶんかかった。
そして、ふたつ目が、岩机の上からじっとこちらを見ている。
生きて帰った客は、外で喋る。その喋りに、値段がつきはじめている。
——喋られた分を、誰かが数えていたら?
査定の紙の、四つ目。読めなかった、いちばん重いあの項目。挑戦者の数でも、撃退の率でも、客足でもない、四つ目。
あの査定の日、ピンは言っていた。よみあげのぶんを、たしても、とどかない、と。とどかなかった分を動かしたのは、読み上げられなかった四つ目だ。
「ピン」
呼ぶ前に、気配で来ていた。いつもの岩陰から、帳面を抱えて、小走りに。
「かたります。きょう、来た客、ふたり。帰った客——」
「それはあとで、ぜんぶ聞く。今日は先に、前の帳面だ。査定で数字が動いた月を、見たい」
◇
同じ夜のうちに、古い帳面を岩机に積んだ。紙は、すすのインクの匂いがした。
二人でさかのぼる。数字が動いた、あの月。何があったか。
「ひよこ、じょうれんに、なりました」
来た客の段に、常連一号・二号の行が伸びている。
「はいろうの、みなさんの行も、のびました」
数字は、そこまでしか言わない。だが俺は、数字の外側を覚えている。あの月、テオは門前の酒場で骨の話をしたと言っていた。査定の日には、階層長が言った。妙な噂を聞いた、と。噂が、山を下りはじめた月だ。
客が増えただけなら、三つ目の項目で足りる。あの月は——喋られはじめた月だ。
そして喋られた話は、次の客を連れてくる。帳面のしらない顔が増えはじめたのも、さかのぼれば、そのあたりからだった。
紙を繰る手を止めて、ピンがちらりと俺を見た。それから、帳面のいちばん下の段を、数え棒で指した。波みたいな、うねうねした印が並んでいる。隣には、たいまつの絵。
「これは?」
「うた、です。かきかたが、わからないので、こう」
うた。裏の裂け目の向こうから、いまも薄く届いている、あれだ。ドロテアの針仕事の節。……そうか。稽古の転びは、あの節に乗っていたのか。いま、気づいた。気づいたが、言わずにおく。聞いたら、止まる。止まったら、崩れる。うまく回っている手を、わざわざ分解して見せる馬鹿はいない。
ピンは歌を波の形に書き取り、客が来てから帰るまでを、入口のたいまつの減りで測っていた。時計のない洞窟で、帳簿係は勝手に、時間の物差しを発明していた。
「おきゃくは、うたのある日、ながい。……なんで、ですか?」
分からない、と正直に答えた。理由の欄は、空けておけばいい。ただ、分からないなりに、並べることはできる。
歌のある日、客は長居する。長居した客は、機嫌よく帰る。機嫌よく帰った客は、外で喋る。喋られた話は、酒場で椀に換わる。そして——もし四つ目が、喋られた数の勘定なら、換わった分だけ、査定が動く。
「ピン。よそで喋られた数は、数えられるか」
「みえない、のは、かぞえられません」
そのとおりだ。見えないものは数えられない。数えられないものは、確かめられない。
確かめられないなら、確かめられる日を待てばいい。数字のほうから答えを持ってくる日が、月にいちど、ある。
査定だ。
ただし、待つといっても、口を開けて待つ気はない。
◇
翌朝、表の通路に連中を集めた。
「新しい仕事をやる。芸じゃない。……見送りだ」
やることはひとつ。客が帰りじたくを始めたら、その日の出番の骨が、通路の壁ぎわに並ぶ。そして客の背中が出口をくぐるとき、そろって、頭を下げる。
うちの声は、客に届かない。礼のひとことも、言えない店だ。だが、かたちは見える。
「いいか、転ぶな。これは芸じゃない。転んだら台なしだ」
稽古で、二体転んだ。癖というのは、ほんとうに抜けない。裏からは鼻歌が届いていて、転んだ二体の転びは、しゃくなことに、節の下がり目にぴったり合っていた。
◇
ひよこの二人がまた来たのは、その翌々日だ。
いつもの追いかけっこ。いつもの笑い声。裏からは、いつもの節。それから、いつもの「時間!」。
二人が出口へ歩き出す。その日の出番の骨が、四体、壁ぎわに並んだ。稽古で転んだ二体は、今日の列に入れていない。テオの背中が、出口にかかる。
そろって、頭が下がった。
ミナが、振り返った。テオも、つられて足を止めた。
まばたき二つぶん、二人とも固まった。
「……ねえ、いまの見た!?」
「見た。え、なに、いまの」
「おじぎした! 骨が! ぜんぶ!」
二人は出口の先で立ち止まって、しばらく言い合って、それからたいまつの明かりが遠くなるまで、ずっと喋りながら帰っていった。
土産話は、軽いほど遠くまで運ばれる。
◇
夜、壁際の窪みに報告をすませて、岩机に戻った。
来た客、ふたり。また来た顔、ひと組。剣の絵の行は、きょうは白いまま。うたのある日の段に、波の印がひとつ。それから、帳面のどこにも載らない勘定が、ひとつ——今ごろ麓の酒場で、骨のおじぎが一杯に換わっているか、どうか。
「次の査定で、確かめる」
口に出したら、腹が決まった。見るべきものも、決まっている。合計じゃない。四つ目が、動くかどうかだ。
岩机の向こう、区画長の定位置で、外套の幽霊がこちらに背を向けて座っている。ヴォルクは、何も言わなかった。聞こえていないふりが、うまい上司である。
ただ、その袖の奥の淡い明かりが、一度だけ、ゆら、と揺れた。




