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荒野につがれる物語  作者: |||&_.
刻の章
8/33

08

秋の夜長の縁側で、アンドロイドはご機嫌な唄を歌っている。


「はぁるのおがわぁ、さらさらいくよぉ」


家の裏にある縁側からは、近くを流れる小川のせせらぎがよく聞こえるのだ。


「今は秋だよ」


教えてやると、アンドロイドは少し止まって、違う唄を歌いだす。


「ぐーてんもーるげん、ぐーてんんもーるげん」


「もう夜だぞ」


おはよう、おはようと連呼するアンドロイドに教えてやると、隣で作業をしていたお隣男が、堪えきれずに噴き出した。


さっきからずっと、アンドロイドはこの調子なのだ。構ってほしくて、わざとやっているのだろう。だから片手間に相手をしてやっていたのだが、構い方がお気に召さないようである。歌がとまったので振り返ると、アンドロイドが膨れっ面でこちらを見ていた。


「もう夜だから、そろそろ外で歌うのは止めておいた方がいいかもね」


空気を読んだお隣男が、素早くフォローを入れてくれる。


「ほら、窓、閉めるよ」


いつまでも縁側から離れようとしないアンドロイドを無理やり引きはがして、私は窓に手をかけた。

そして、外がやたらと明るいことに気づく。


「――――なんだ」


見上げてみれば、なんていうことはない。月が出ていた。すっかり陽の暮れた空にぽっかりと浮かび、空を明るく染めていたのだ。

おもむろに踵を返す。縁側から追いやられ、退屈そうにお隣男の作業を見ていたアンドロイドの襟首を掴んだ。


「ほら、行くよ」


後ろ向きに引っ張られて、慌てているアンドロイドを引きずって歩く。


「マ、マスタ、どこに行くのですか?」


愚問である。私は顎で台所を示した。


「ビールを持って、三十秒後に玄関へ集合。いーち」


口を開けてポカンとしているアンドロイドを急き立てると、訳が解らないなりに、アンドロイドは慌てて台所へと駆けていった。その後姿を見ながら、私はお隣男に片手を上げる。


「ということで、あとはよろしく」


「いいなぁ。俺も行きたいよ」


お隣男は驚くでもなく、作業を続けながら笑った。


「それが終わったら、追いかけてくればいいよ」

お隣男は肩をすくめて、それに応える。月が昇っている間に終わるわけがないという、無言の抗議のつもりなのだろう。だが私の担当分は終わっているのだ。お隣男もそれを承知しているから、それ以上は何も言わずに、片手を振り返して私を見送った。

三和土たたきに降りてサンダルをつっかけていると、両手にビールを抱えたアンドロイドが追いついてきた。


「マスタ。それで、どこに行くのですか?」


「裏の河原だよ」


「河原に行って、何をするのですか?」


「月見だ。行くよ」


裏庭から、河原に降りる。月はいっそう冴え渡っていた。

秋とはいえ、まだ汗ばむ昼間とは打って変わって、ひやりとした風が肌をなぞっていくのが心地良い。

草と砂利を踏む音が、河原に響いた。私たちは川の流れに従って、河原をずっと下っていった。草を踏むのも、砂を踏むのも、不協和音だ。悪くない。


「マスタ、月見ってなんですか?」


後ろからアンドロイドの声が、それに混じる。私は月を仰いで、アンドロイドに示してやった。


「一年に一度だけの、月の祭典だ。一大イベントのひとつだよ」


銀色に澄んで、私達を等しく照らす月を見上げて、アンドロイドは興奮したように両手を振り回して、歓声をあげた。

「十五夜って、月のことなのですか」


「そう。一年で一番明るくて、澄んでいる満月のことだ。今夜は一年に一度だけの、特別な夜さ。月を愛でながらビールを飲むことを、月見と言うんだ」


「じゃあ、ボクは月見ができないのですか?」


ビールを飲まないアンドロイドは、不服そうな顔をした。


「訂正。月を見上げながら、歌うことも月見という」


「おぉ~!」

アンドロイドの手からビールを抜き取り、プルタブを開けると、噴水のようにビールが噴き出した。そういえば先ほど、アンドロイドが振り回していたなと思い出す。ビールの匂いが夜気に混ざって、これも悪くないと思う。何だか無性に可笑しくなって、声にだして笑った。


「満月の夜にはね、素敵なことがたくさんあるんだ」


上流から、草が風を巻き上げながら走った。

私の髪も、服も、アンドロイドの髪も、服も、風に触れて、はためいた。

目を細める。月明りが、水面に反射して光る。私はアンドロイドに教えてやる。


「見たか? あれが風の姿だぞ」


アンドロイドは私の顔と、風が吹き抜けた先を交互に見やって、首をかしげた。


「風には、姿がありませんよ?」


「見えないだけだよ」


零れたビールを風になでさせ、一口、煽る。


「触れるし、風にだって姿はある」


そう言うと、アンドロイドは興奮したように眸を輝かせた。


「マスタには見えるんですね! ボクも風に触りたいのです、姿を見たいのです!」


私は笑った。


「見えないさ。でも、触れる。ほら、お前の服にも、風は触れているぞ」


アンドロイドは慌てたように、自分の服を確認した。


「いないのですよ?」


「よく見てみろ。ほら――――、また来るぞ」


そして上流から、草を撫でながら、風が流れた。


「風の姿は見えない。でも、風はちゃんと足跡を残していく。足跡は隠せないんだ」


草を巻き上げて、水面をなでて、髪と服をはためかせながら、風は通り過ぎていく。


「草が風に触れているところ、あそこが風の通り道だ。見えなくてもちゃんといるし、触れる。触れたものの声を聞いて、ちゃんと織り込んで、届けてくれる」


ビールで濡れている手にも、風は触れていった。ひんやりとするのが、今夜の風の体温だ。


「今度は、お前にも見えたか?」


アンドロイドは大きく眸を見開いて、風が草を撫でていくのをみていた。頬を上気させているのが可笑しくて、私はまた笑った。


「見えたのです、マスタ!ボクにも風が見えたのです!」


そうしてアンドロイドは、風を追いかけて走った。

私はビールを傾けながら、アンドロイドの後ろを、風と一緒にゆっくりと辿った。


「ここでなら、歌ってもいいぞ」


「え? いいのですか?!」


「じゃないと、お前は月見にならないだろう」


驚いたように振り返るアンドロイドに、私は頷いてみせた。

川岸を、結構な距離歩いてきた。既に周りに民家はない。


「近隣からは離れているし、叫ばなければいいよ」


夜に歌うことを許されたアンドロイドは、はしゃいだように飛び上がった。満月を見上げて、私はひとつの提案をする。


「そうだ、お祝いをしよう」


「お祝いですか? だれの?」


こんなことを思いつくのは、既に酔いが回っているのかもしれない。


「満月の夜にはね、素敵なことがたくさん起こるんだ。たくさんの生命も生まれる。ウミガメも、珊瑚も、カニだって満月の夜に産卵をする。ヒトだって、満月の夜に産まれることが多いらしい。つまり、今、まさにこの瞬間、たくさんの生命が、私たちのいる世界に生まれ落ちてきているわけだ」


現実では、既にこの世界に、ウミガメも珊瑚も存在しない。カニだって、ヒトだって、養殖されて、徹底した管理の下で産まれ、育てられている。

でも私は、それをアンドロイドに教えてやらなかった。だから代わりに、こう言ってやる。


「それに、帰る頃には新しい唄が出来上がっているはずだ。お隣男が、私たちの留守にしっかりと仕事をしていればね」


地上にある、多くの種が絶滅し、世界は確かに崩れてきている。

だがそれを、アンドロイドが知るのは、もうちょっと後でいい。


「今夜は前祝いだ。大いに歌ってやれ」


アンドロイドはやはり頬を上気させて、大きく頷いた。


「任せてください!」


そうして、風はアンドロイドの声を拾って、空気に織り込んでいく。

草や、木の葉や、水面に触れるのとおなじように、アンドロイドの声も等しく掬い上げ、そうやって風がすべてをさらっていって、長い夜が更けていくのだ。


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