07
思えば、私はここに柱時計がかかっていることすら、忘れていた。
この時計は、祖父のものだ。
この家を建てたのが祖父だった。住んでいたのも祖父だ。
亡くなってから随分と久しいが、 荒屋と化していたのを、私が譲り受けたのだ。
この時計は、その当時からずっと同じ場所にかかっている。改装時に捨てようと思ったが、何となく捨てそびれて、いつしかそのまま忘れてしまっていた。今となっては、祖父が私に遺したものは、この家と、この時計だけなのだと思い出す。
時を刻むこともせず、忘れられていた柱時計。アンドロイドはこれに何を思ったのだろう。
すべての片付けが終わったのは、すっかり夜も更けた頃だった。
玄関も、廃材屋から貰い受けた木材を切って、なんとか補った。不細工で多少、建てつけが悪いが、この際文句は言っていられない。玄関のない家よりも、不恰好でも入り口にちゃんと蓋のされている家のほうがいいに決まっている。何より、アンドロイドが不器用なりに、頑張って造ったドアなのだから。
「やれやれ、ようやく片付いたな」
「ハイ!」
ある種の達成感が込み上げる。アンドロイドも満足そうに笑っていた。
昼か、夜か、中途半端な時間で針が止まっている時計を、私は見上げた。
「せっかくだから、このネジも巻くか」
「……ハイ!」
アンドロイドは満面の笑顔で、にっこりと笑ったのだった。
柱から時計を降ろすと、積年の埃が舞い上がった。少し咳き込みながら、 発条を巻く。
巻いたところで、本当に動くのだろうか。何しろ、祖父が亡くなってから、もう十年が経っている。
まったく、お祖父さんの古時計だ。私が巻いている間、アンドロイドは眸を輝かせて、私の手元を見つめていた。
錆びているのか、巻くのに随分と苦労をする。油を塗って、何度かゆっくりと巻くと、やがて振り子が揺れだした。小さな歓声が上がる。
「動いた!」
「動いたな」
時計は、それまで刻を止めていたのが不自然なくらい、自然に、振り子を揺らしてコツコツと小さな音を鳴らし始めた。
「マスタ!動いた、動いたよ! スゴイ、ちゃんと動いた!」
「そうだな」
内部の歯車は、欠けることなく、ただ動き出すのに必要な力が与えられるのを待っていたのだ。
ひっそりと、ずっと忘れられながら。私はそれに気づかなかった。
「お前のおかげだな」
頭をぽんぽんと撫でてやる。
「お前が、この時計を動かしたんだ」
祖父が生きていた、もう何十年も前から、ずっと時間を刻むためだけに存在し、刻んだ分だけの時間をみてきた時計。ずっと忘れていたことを、私は申し訳なく思う。
「ありがとう」
そう言うと、アンドロイドは嬉しそうに微笑んだ。
時計のかかっていた柱の下には、いくつもの疵が刻まれていた。
こちらも今まで忘れていたいたもので、手前にあった本棚をどかしたら出てきたのだ。あぁ、あったなぁと、記憶とともに懐かしさが込み上げてくる。
アンドロイドはその疵を、不思議そうに眺めた。
「マスタ、コレ、なんですか?」
「それは成長の記録だよ」
間抜け面とは、こういう顔をいうのだろう。アンドロイが、何とも不思議な顔をして私を見るので、私はここが、かつて祖父の家だったことを教えてやった。
子供の頃に、私は何度かこの家に来たことがある。その度に祖父は、この柱の前に私を立たせた。ひどく真面目な顔をして、頭の上に小さな刻みを入れていた。
その時の音を思い出す。心地いい音だった。ジャッジャ。終わると祖父は、いつも満足そうに頷いていた。
「そうやって、どれだけ背が伸びたのか、確認するんだ。子供は成長と一緒に身体が大きくなるからね。それをこうやって、柱に刻むことで、成長を記録しておくのさ」
「では、これはマスタの成長の記録なのですか?」
いささか興奮した面持ちで、アンドロイドは柱の疵を眺める。私も屈みこんで、刻まれたいくつもの線を手でなぞった。
「私のも混ざっているよ。私のじゃないものもあるみたいだけど」
きっとこの中には、父の記録も、祖父の記録も、そのまた祖父の記録も刻まれているのだろう。
どれが誰の記録なのかわからないくらい密な、記録帳である。
一番下に刻まれている線を指差して、アンドロイドが振り返る。
「マスタは、こんなに小さかったのですか?」
「それくらい小さな時も、あっただろうね」
「なぜ、わざわざこんなところに記録をつけるのですか?」
しげしげと見つめてから、「解らない」というように首を捻るアンドロイドに、私は小さく微笑んだ。
「人間は、忘れる生き物だからね」
高性能の記録装置を搭載している彼には、理解しがたいことなのかもしれない。だが、時として人間には、こういうものが必要なのだ。
「こくやって 疵をつけておけば、この柱がなくならない限り、疵は消えないだろう。記憶は忘れるけど、記録は残る。だから忘れないように、忘れても、見れば思い出せるように、人間はこうやって記録をつけたがる。そうしないと、大切なことも覚えていられないのさ」
アンドロイドは、またもや独特な感嘆詞を上げて、柱をしげしげと眺めた。きっと人間の思考回路を 追跡しているのだろう。
「マスタも、コレを見て思い出したのですか?」
「うん、思い出した。いろいろなことをね」
見なければ、きっと二度と思い出さなかったようなことまで、記録から連動して思い出される。それは酷く懐かしく、恥ずかしくて、愛しい記憶だ。
「そうだ。お前にも成長記録をつけてやろうか」
思いつきで、口に出す。案の定、アンドロイドはきょとんとした顔で私を見た。
「ボクは、大きくはならないのですよ?」
確かに、アンドロイドは成長しない。
「そうだな。お前の場合は躰の記録じゃなくて、 頭の成長記録になるな」
差し詰め、今はここら辺、と柱の下を指差すと、アンドロイドは抗議の声を上げた。
「ひ、ヒドイのです! それでは赤子なのです! いくなんでも、そこまで小さくはないのです!」
「なんで? いいじゃない、ここでも」
成長しきってしまったのでは、つまらない。まだまだ道は永く遠い。その分だけ、可能性は果てしなく広がっているのだ。
「前途洋洋。大いに結構。それじゃ、おやすみ」
肉体労働を終えて気が抜けたのか、急激に疲労と睡魔が襲ってきた。
アンドロイドの抗議は続いていたが、それを聞き流しながら欠伸をする。
時刻を合わせていない時計が、めちゃくちゃな時間を打つ。それを合図に、私は部屋へと引き上げたのだった。




