04
「マスタ。僕ですよ」
月明かりが、わずかに頭を出しているマスタの石を照らしていた。
「また、ずいぶんと埋もれましたね」
僕は埋もれた分だけ砂を掻き出して、マスタにストールを差し出した。
「今夜は寒いです。これをどうぞ」
もちろん、あらかじめ二枚持ってきているのだ。一枚はマスタで、もう一枚は僕の分。僕に抜かりはない。
煌々と照らす月明りと星明り。風が、さらっていった砂を光に反射させた。
光は僕たちの横を通り抜けて、崖の向こうへさらさらと落ちていく。
「さて、今日は何を歌いましょうか?」
僕は歌う。風が僕の伴奏になる。
僕は歌う。マスタは僕に生命をくれた。
僕は歌う。マスタが僕に声をくれた。
僕は歌う。僕の声は、マスタのもの。
だから僕は歌う。マスタがくれた唄を。
歌は風に溶けて、空気に混じるんだと教えてくれたのは、マスタだ。
だから僕は、歌い続ける。
風は、僕の歌を織り込んでくれるから。
遠く、大気を抜けて、マスタのところまで届けてくれるかなぁ。
マスタ、会いたいよ。どうすればマスタに会えるのかなぁ。
解らないけれど、会えるまで、僕は歌い続けるんだ。
だって、僕はマスタが大好きだから。
ネジを巻かなきゃ。
掌の疵。これはあなたが僕にくれたもの。
今はこれが、あなたと僕をつなぐ糸。
忘れないように、今日も僕は、貴方がくれたこの疵に、ひとすじ、記憶の糸を引く――――。
記憶装置 の老朽化。 潤滑油 の欠乏。
僕は以前のように、うまく動くことが出来ない。うまく考えることが出来ない。
僕はもうずっと長い間、砂の中に独り。
僕に出来ることは、マスタの唄を歌歌い続けることだけ。
「マスタ」
僕はもう、マスタの顔を、うまく思い出すことができない。
「会いたいよ」
マスタの笑顔。知っているはずなのに、何回も見たはずなのに、うまく思い出せない。
マスタと話した話。覚えているはずなのに、うまく思い出せない。
マスタがくれた唄だけは、絶対に忘れないように、僕は毎日歌い続ける。
マスタに、お帰りなさいって、僕はちゃんと言えるかな。
僕の中の記憶は、さらさら流れていく砂みたいに、少しずつ消えていく。
だから僕はネジを巻く。掌にある疵に、線を引く。
忘れないように。
マスタのこと。僕のこと。
マスタの唄。僕が歌うこと。
マスタと僕の、おしゃべりの時間。
マスタの顔。マスタの笑顔と、泣いた顔――――。
「マスタ――――」
砂に突き立てられた、朽ちた石に額を落とす。
このずっと下に、マスタは埋もれている。もうずっと長い間、マスタはこの下から出てこない。
もう、ずっと出てこない気なのかもしれない。その場合、僕はどうすればいいんだろう。
疲れたな。立ち上がるのも面倒くさい。
思考回路が、うまく繋がらない。
僕はマスタに寄り添うように、そっと眸を閉じた。
風が砂を持ち上げる音。眸を閉じても、風はさいごまで僕の周りをやさしく巡る。
空気の中に溶けた音。風の中からから音を拾えば、いつだってマスタの唄は、そこにあるんだ――――。