殺人鬼・復讐鬼
前話までのあらすじ:トーラとラネッシュ、魔術に秀でた因縁の二人が魔女の森で激突する。トーラの猛攻を凌ぎながら魔術の深奥にたどり着いたラネッシュ。その攻勢により致命傷を負ったトーラは里奈の介錯を受け入れ、魔術の頂点を目の前にしたラネッシュも怒り狂ったドフに惨殺される。
魔女の森に残った人間は二人。
異世界の殺人者たる里奈と、里奈を最初に保護した狩人ドフとの戦いが始まろうとしていた。
木の葉の擦れ合うガサガサという音。それに、森の生き物たちの交わす鳴き声。
里奈の鋭敏な感覚はそれら全てを明確に捉えていた。トーラから受け継いだ魔力が、里奈の身体能力をかつて無いほどに高めている。
それだけでは無い。
里奈の足が地面すれすれに張られた蔓に触れる。連動して放たれた木製の杭を、
「…………」
視線を向けることも無く止めて見せた。
「潰れろ」
その一言がトリガーとなり、周囲の木々がミシミシと音を立てた。木の葉が豪雨のように降り注ぐ。里奈の胴ほどの太さのある木の幹が数秒でひび割れ、ぺしゃんこに押し潰された。まるで真上から巨大な手で押さえつけられたかのように。
(なるほど……できるものだね)
里奈は溢れ出る魔力を実感していた。同時に、自分の中でなにかが変わったことも。トーラを殺したことで魔力が臨界点を超えたのか、今の里奈はトーラやラネッシュ、101にも匹敵するほどの技量を持ち合わせていた。101と共になんども修行を重ね、ついに会得しえなかった様々な高等魔術も自由自在だ。
(私が魔術を満足に扱えなかったのは、異世界の出身だからだ。強い魔力を体内に取り込んだことで、身体の方がこちらの世界に適応したんだ)
無論、本当にそうなのかは分からない。だが大事なのは、「魔術を使える」という一点のみだ。
ざぁっと木々が騒いだ。一陣の風と共に魔狼が姿を現した。総数、32匹。その目は爛々と輝いていた。夜の獣にふさわしい月のような輝きではない。血と狂気を思わせる、赤い瞳。
魔狼たちは一言も吠えることなく飛びかかってきた。その行動の裏に何者かの意思が介在していることは間違いない。狼たちは魔力で支配されている。
里奈の右手が炎を纏った。魔狼の突進をその手で受け止め、頭部を爆ぜさせる。吹き飛んだ魔狼の瞳を通して、里奈は悟った。
この先にいるのはラネッシュじゃない。彼の力を引き継いだ男だ。
この世界で最も里奈を憎んでいるであろう男だ。
獣を支配するのに時間はいらなかった。
こちとら狩人だ。幼い頃から森で過ごし、そこに息づく命を見つめて生きてきた。狼たちが何を考え、どういう原理で行動し、どういう能力を持っているのか、手に取るように理解できる。
(リナは一人だ。囲んで襲撃を掛けろ)
魔狼どもにそう命じる。
この森の魔狼は全てドフの支配下にあった。洗脳ではない。洗脳の魔術は魔力の消費が激しい。これは偽装の魔術だ。自らの性質を偽装し、ドフこそが群れのリーダーであると魔狼たちに思い込ませている。群れのヒエラルキーを絶対とする狼の性質を利用したのだ。
余剰の魔力を魔狼の強化に注ぎ込むと、鋼鉄の牙と溶岩にも耐え抜く毛皮を持った恐るべき怪物が生み出された。
(――だが、これでもあの女を殺すには足りないだろう)
リナは殺しに長け、機転も利く。魔狼はあくまで時間稼ぎと割り切るべきだ。
(あの魔女を殺すには、儂自身が打って出なければ)
戦いを始めて数分。
魔女の森に炎が上がっていた。里奈は魔狼の数を見て正面からの激突は不利と察し、炎を放ったのだ。しかし……。
(ダメだ、こいつら怯みもしない)
躊躇なく炎を突っ切ってきた魔狼が腹のあたりに突っ込んでくる。食い破られる前にモルティーギを脳天に叩きつけた。
「変質の……魔術っ!」
トーラから受け継いだ力。命を失いつつある魔狼の肉体をガラスに変える。両手でそれを掴み、振り回してもう一頭を叩き潰した。砕け散ったガラス片を蹴り上げ、
「風よ!」
ナイフのように鋭いその破片を風に乗せて放つ。
顔に正面からガラス片を食らった魔狼が地面に倒れる。だが、総数は一向に減らない。
(一頭倒す間に次の一頭が来ちゃう……キリがない)
この周辺を一気に破壊するような魔術が使えれば良いのだが、里奈の技量でどこまで扱えるかは未知数だ。自分自身も巻き込んでしまう危険があるり、おいそれとは使えない。
魔狼の顎門が喉元スレスレで音を立てた。荒い鼻息が背後から聞こえる。挟み撃ちを食らった形だ。
里奈は身を翻すと背後で身をかがめていた魔狼の頭部を鷲掴みにした。魔力で筋力を増強し、片手で握りつぶす。指の間から吹きだした鮮血と脳漿、それに骨の欠片が目に映った。
(骨……!)
思い至った時には行動に移していた。
「変質!土を炭化カルシウムへ!」
この世界の工業技術は里奈の居た世界よりも遅れている。一方で、物理法則は(魔術という特大の例外を除いて)共通している。
故に、この攻撃は有効なはずだ。魔狼を殺し、ドフには理解すらできない攻撃になる。
「風よ!水よ!」
まず突風が起こり、足元に積もった白い粉を舞い上げた。それは炭化カルシウムと呼ばれる物質で、本来は極めて高温の炉で精製される化合物だ。そこへ水を加えるとどうなるか。
魔狼の動きが鈍った。怪訝そうな様子で鼻をひくつかせる。人間には感知できない匂いを嗅いでいるのだろう。
自然界には存在しない匂い。炭化カルシウムと水の反応で得られる、アセチレンガスの匂いを。
変質、風、水の魔術を同時に扱いながら、里奈は叫んだ。
「炎よ!」
アセチレンは可燃ガスだ。豊富な酸素の中で完全燃焼を起こした場合の熱は3000度を超える。
ゴッと音を立て、里奈の周囲は一瞬のうちに焦熱地獄と化した。炎を超える猛烈な熱で、耐火の加護を受けたはずの魔狼たちが白く燃え上がる。
里奈はしたたかだった。発生したガスは風によって誘導され、魔狼たちの足元でピンポイントに滞留していた。常に酸素を送り込んで燃焼を促進しつつ、煙に巻かれないよう自身の立ち位置にも気を配る。
(やっぱりだ)
里奈は会心の笑みを浮かべた。
(この世界にはない知識と技術。そこにトーラの魔力が重なれば、私に殺せない相手はいない)
今ならラネッシュの気持ちも理解できる。これだけの魔力。それを活かせる知識。二つを組み合わせた結果、果たしてどこまで行けるのか。それを知りたくなってくる。
不幸があるとすれば、一つ。
里奈は見くびっていた。ドフの執念と用心深さを。
ドフは土の上に腹ばいになっていた。魔狼たちの奮戦する音に紛れ、両腕の力だけで這い進む。
彼は考えていた。
(リナは異世界人だ)
出会った時に原理不明の光る石版を持っていたことから、分かることがある。異世界での法則はこちらの世界でも通用するということだ。光るものは光るし、音も出る。世界が変わったからといってあの石版から出る光が鈍ったり、音質が変わることはない。つまりこの世界と異世界の法則はある程度共通している。
異世界人のアドバンテージとして、リナはその法則を熟知している。おそらく、彼女の世界は大いに発達した文明を有しているのだろう。この世界の人間など彼女から見れば、文明人とも言えない程に卑小なのかもしれない。
(だが、お前も我々の世界を知らない)
リナの知るこの世界はエラミス王国に限られる。この国の外のことについては知らないはずだ。
この世界がどれほど未開であるか。人の踏み入らぬ土地を開拓しようとするあまり、どれほどの人命が失われてきたか。姿形すら分からぬ怪物の潜む深い森。そこへ真っ先に派遣されるのは、自然と戦いに慣れた狩人なのだ。
狩人の長として辣腕を振るっていたドフにとって、未知の能力を持った敵との戦闘はありふれたものだった。
「冷気よ、形を成せ」
会得したばかりの魔術を使い、氷の杭を作り出す。手近な木の枝を大きくしならせ、そこに矢を引っ掛けた。枝が戻らないよう杭を打ち付けて地面に固定し、再び動き出す。
リナと魔狼の戦闘地帯を迂回して、反対側に回り込んだ。地面にうつ伏せになって攻撃の機会を伺う。その手には、ずっと愛用してきた弓が握られている。
炎とは異なる熱気が吹き付け、魔狼の絶叫が上がった。リナが何かの魔術を放ったのだ。ドフによって強化された魔狼が一匹、また一匹と打ち倒されてゆく。
次の瞬間、ドフは矢をつがえた。片膝立ちになり狙いを定める。その双眸に映し出されるのは赤々とした炎。そしてその中で魔王のように屹立する少女の姿だった。
一本の矢が放たれた。ドフの手元からではない。先に仕掛けておいた罠の方だ。熱によって氷の杭が溶け、抑えが解かれた。
枝のしなりで打ち出された矢は、しかしあらぬ方向に飛び去った。風の魔術で妨害を受けたらしい。だが、それも想定内だった。ドフは冷静に矢を放った。一射目を対処した少女の無防備な背中に矢が吸い込まれ、
「……!!」
リナは恐るべき反応速度で振り返った。愛らしい顔貌が苦痛と怒りに歪む。矢は振り返ったリナの脇腹に、確かに突き刺さっていた。
「ドフ!」
リナが吠える。憤怒に満ちた叫びが鼓膜をビリビリと震わせた。ドフは動じることなく次の矢をつがえた。
リナは身を翻した。立ち上る炎に身を隠すように姿勢を低くしている。逃げる気だ。
「逃すか!」
ドフは駆け出した。途中、炎に手足を炙られようと気にも止めない。
(あいつらの無念を、ここで晴らす!)




