結末
一樹は真相を言った。
「知香が一回だけ猫を殺した理由は一つ。黒崎さんをかばうためだった」
知香が猫を殺した日。その日はまだ二葉が修学旅行に出かけていたときだった。
二葉と愛歌は同学年で、当然、愛歌も修学旅行中だったということになる。
「なら、その日にこの町で猫殺しが起きれば、愛歌は犯人候補から外れることになる。何回も猫を殺していればそろそろ警察にバレたっておかしくない。でも、一度だけでもアリバイがあれば、かなり安全度が高くなる。そう思って、知香は猫を殺した」
「そう。そんな身勝手な理由で、わたしは猫を殺したの」
「そして、真犯人である黒崎さんは野放しのままだ。このラブホテルの残骸のなかで黒崎さんは何をしている?」
「わたしも、わからないの」
知香は暗い表情でつぶやいた。
一樹は知香を連れて、その建物のなかに入った。
いずれにせよ、愛歌が知香の犯行写真を取り返そうとした理由は明らかだ。
知香を守るためということもあるのかもしれないが、それ以上に、知香が捕まれば、自分が犯人であることがバレるリスクも上がる。
一樹にしても、知香を守るつもりはあっても、見ず知らずだった愛歌を守る意思があるかもわからない。
愛歌にとっては、藤村家に不法侵入してでも、写真を消す必要があったということはよくわかる。
「わたし、愛歌を止めようとおもって、ここに来たの。でも、愛歌が猫を殺しているところがわからなかったの」
「ほうっておくことも、知香はできるよ。知香まで巻き添えで危険な目に合うかもしれないし」
知香は首を横に振った。
「わたし、愛歌を見捨てられないよ。愛歌はわたしの家族だもの」
「同じように、俺も知香のことが心配なんだよ」
「そう、なんだ」
知香は嬉しそうな、それでいて悲しそうな複雑な顔をした。
ちょうどそのとき、物置の入り口のような小さな扉を通りがかった。
次の瞬間、知香の悲鳴がした。
知香が部屋に引きずり込まれたのだ。
「知香!」
「偽物の恋人でも、心配ですか?」
その部屋のなかには銀色の髪をした美しい少女が、ナイフを持っていた。
愛歌だった。
彼女はナイフを知香の細い首筋に当て、微笑んだ。
「そうです。私が猫殺しの真犯人です。わたしが猫を殺す理由を知りたいですか?」
「さあ。興味もないね」
「嘘をつかないでくださいよ。私はね、幸せそうにしているものを見ると壊したくなるんです。可愛い猫を見ると、むちゃくちゃに壊してしまいたくなるんです」
「異常な理由だね」
「だって、猫を殺すなんてまともなことじゃないですよ。まともな理由なんてあるわけないじゃないですか。前も言いましたけどね」
そう言うと、黒崎さんはますます笑顔を深めた。
一樹は心臓の音が高鳴るのを感じた。
冷静に、と自分に言い聞かせ、一樹はゆっくりと言った。
「知香をどうするつもりだ」
「動物を殺した異常者が次にすることってなにかわかります?」
「人間を殺す、か」
「そのとおりです」
「黒崎さんにはできないよ」
「どうして? 最初の一歩を踏み出せば、次の一歩を踏み出すのは容易です」
「そうだとしても、君は知香を殺せない。黒崎さんは知香のことを大事に思っているからだ」
「大事に思っているからこそ殺すんです。知香姉さんは、私と違って、ちゃんとした奥さんの子供で、ちゃんと愛されて育てられて、先輩みたいな彼氏もいる。なのに、こんなに気が弱くて無能なんですよ。そんな人間、壊してしまいたくなるんじゃないですか」
知香の顔は恐怖で引きつっていた。
どうにかしなければ、知香が殺される。
周りには猫の生首が転がっていた。
ほかに水槽のなかに浮かんでいる動物の死体もある。
この黒崎愛歌という少女は、本当に姉のことを殺しかねない。
愛歌が言う。
「もし知香姉さんを助けたいなら、先輩、そこに大型のサバイバルナイフがあるでしょう? それで私を殺してください」
たしかに鉄製の無機質な机の上に、銀色に輝うサバイバルナイフが乗っている。
これを使うように言っているのだ。
一樹はそのサバイバルナイフを取り上げた。
「そうです。藤村先輩は私と同じ側の人間だと思っています。知香姉さんや二葉さんと違って、狂気の側に興味があるんです」
一樹はナイフを振り上げた。
「私は抵抗しませんよ。ただ、私が死んで、先輩が人殺しになる。そんなところを見たら、知香姉さんにとっては一生の思い出になるでしょうね」
「やめて! 一樹くんがそんなことするはずない!」
知香が目に涙を浮かべながらも、必死で叫ぶ。
一樹は決断した。
次の瞬間、一樹は愛歌めがけてナイフを振り下ろした。
殺されるという瞬間になって、愛歌は動揺したのかもしれない。
彼女は目をつぶった。
一樹はナイフを手から離した。それが床に落ち派手な音を立てた後、一樹は愛歌の持つナイフの刃を手で握った。
愛歌はとっさのことで対応できないようだった。
そのまま一樹はナイフを取り上げた。
「俺の勝ちだよ、黒崎さん」
「そう、みたいですね」
一樹は手に感じるひどい痛みに耐えながら言った。
知香はしばらく固まっていたが、われに返ったのか凶器となりえたナイフの2つを拾い上げた。そして、一樹に駆け寄ってきた。
「か、一樹くん。血が出てる!」
「そりゃ、ナイフを手づかみしたからね」
かなりの量の血が流れているみたいだ。でも、命に問題があるというわけでもない
一樹は喘ぎながら言った。
「これで、黒崎さんに凶器はない」
「私をどうします? 警察に突き出しますか」
「そうしたら、知香も面倒なことになる」
「犯罪者の姉、というのは良い肩書ではないですものね。今回失敗しましたし、もう、知香姉さんに危害を加えようなんてしませんから、そこは安心してください」
黒崎愛歌を放置するのは危険でもあるが、だからといって、彼女のこと通報すれば知香の立場が危うくなる。
妹が犯罪者。そして、自分も一度は猫を殺している。
だから、警察に連絡はしたくない。
ただ、これは自分ならそう考えるというだけのことだ。
一樹は言った。
「これは知香が決めることだよ」
「わたし?」
「そう」
知香は数秒考えた後、警察には連絡しない、といった。
一樹はうなずくと、知香と一緒に、部屋から出ようとした。
そこに愛歌の綺麗に澄んだ声が響いた。
「先輩はいずれ私と同じ側に来ますよ。人を傷つけたり、壊したり、そういう日常とは違うことをしたくなるんです」
「そうだとしても、黒崎さんには関係ないよ」
「そうでしょうね。でも、先輩の傷つける対象が知香姉さんなのか、二葉さんなのか、それとも別の誰かなのか、私は楽しみです」
「きっと誰でもないよ」
一樹はそう言うと、振り返らずにまっすぐ建物の外に出た。
相変わらず、外は喧しいただの繁華街だった。
「一樹くん」
知香がささやいた。
「なに?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
知香がいつのまにか一樹の手を握っていた。
血で濡れていない方の手だ。
知香が言う。
「これからも、わたし、あなたのことを一樹くんって呼んでもいいかな?」
「もちろん。知香がそう望むなら」
「ありがと、一樹くん」
そうつぶやくと、知香は泣きそうな顔で笑った。