三十三話 見えずとも、聞こえずとも
「これを作るのに、私たちがどれほどの労力を割いていると……! ああもう、美在所山の鵺に続いてまた……!」
結華はわなわなと震える。
苛立ちは血流を激しくし、彼女の白い頬を見る見る紅潮させていった。
一方のカコは全くいつも通りの顔色で、しかし結華の発言にぴくりと反応した。
「雷轟さんのことですか?」
「美在所山の鵺」。
確かに結華はそう言った。
カコたちにとっては、とても強い心当たりのある言葉だ。
なぜ彼女の口から彼のことが出てきたのか。
カコは関心の薄そうな表情で、関心と共に結華の方をじっと見た。
「知りませんわ、妖怪の名前など。ですが、ええ、そうですわね。身に覚えはありましょう」
言って、結華は手に残っていた壺の欠片を前に突き出し、これでもかとカコたちに見せつける形を作る。
まるで事件の犯人に被害者の写真を突きつけて糾弾するかのように、強い憤りが滲んでいた。
「せっかく私たちが長年かけて、奴を封印する壺を完成させたというのに! あなたたちが台無しにしてくれましたものね?」
カコと侃螺は顔を見合わせる。
その言い方はまるで、と、2人の頭には同じ仮説と疑問が浮かんでいた。
「立ち向かっても負けるから、戦わぬことにしているのではないのか」
あまりにも無遠慮に、侃螺は問う。
当事者に直接言うのは中々のことだが、実際、彼も、以前カコたちに妖退連の解説をした鵬天も、そういうふうに予測を立てていた。
「はっ。……妖怪らしい、傲慢でおめでたい頭ですこと」
結華は明らかな不服さと共に口角を上げる。
反応からして、予測は外れていたらしい。
「封印の道具を作るのに手間と時間がかかるから、というだけのようですね」
カコは侃螺に言う。
その声は全く小さくなく、当然、結華の耳にも届いたであろうが、これに対する反論や文句は無かった。
「おごいさあ、こんわろは敵け? 殺さじよかか?」
と、それまで後ろで控えていた大蛇が、カコに耳打ちする。
言葉の上では疑問の形を取っているものの、結華に対して殺意一歩手前の敵意があるのは明白だった。
「特に、そこまでする必要は無いですね」
カコは何でもないように返答する。
彼女の黒い目に、迷いや偽りの色はどこにも無かった。
しかしそんな態度さえも、結華にとっては神経を逆撫でされるものだったようだった。
「あら、あら。お優しいこと」
結華はわざとらしく演技がかった声を出す。
手にはいつの間にか、新しい札が握られていた。
「奪われたことの無い自分勝手なお子様は、さすが言うことが違いますわね」
言い終えた瞬間、彼女は札を放った。
枚数はおよそ10。
向かう先は、大蛇だった。
大蛇はすぐさま尻尾をくねらせ、飛んでくる札を弾こうと構える。
だが先に彼の前に立ったカコが、短刀と過去帳を使って札を全て切るか叩き落とすかした。
「もう良いのですか」
はらはらと落ちる札の残骸には目もくれず、カコは結華を見る。
数秒、緊張した空気が流れる。
その末に、結華はフッと息を吐き出した。
「結構」
彼女は腕を下ろす。
もう札を投げんとするような動きは無い。
カコは相変わらず、片手に過去帳、もう片手に短刀を握り続けていた。
「敵ながら忠告して差し上げますわ、荒井カコさん」
ゆるく腕を組み、結華は言う。
「妖怪なんかと手を組んだところで、足元を掬われるのが落ちですわよ」
何気なく、カコの視線が侃螺と大蛇の方に向いた。
「この方は侃螺さんです。こちらは……」
「秘密じゃ」
「秘密だそうです」
澄ました顔の返答。
そこには全く、少しの逡巡も無かった。
瞬時に反論された結華は顔を歪め、荒井カコ――ではなく大蛇の方を鋭く睨む。
それからくるりと踵を返した。
「……私の親友は、みよという名でしたわ」
ぱちりと、カコは目を瞬かせる。
今、結華が何を言ったのか。
彼女はそれがわからないほど鈍感ではなく、また、妖怪のことを知らないわけでもなかった。
***
國文駅前にて、稲川は柱の傍に立ちながら、何度も腕時計と周囲を交互に見ていた。
遠宮が姿を消し、荒井カコがどこかへ行ってから、かれこれ1時間は経っただろうか。
この間、稲川は幾度か教員に連絡することを考えた。
しかし「生徒が突然、目の前から居なくなった」「彼女を他でもない、荒井カコが探しに行った」という尋常でない事態を前に、まともな人間に助けを求めることをいまだ躊躇っていた。
だが、もう1時間。
自由時間の終わりもじりじりと近付く中、稲川の心は逸るばかりだ。
信じてもらえないかもしれない、奇異の目で見られるかもしれない。
けれども一か八か、教員に話を聞いてもらおうか。
またそんな具合に考え始めた時である。
「お待たせしました」
穏やかな声が、稲川の耳を打った。
反射的に顔を上げれば、そこには笑顔で佇む荒井カコ。
そして、バツの悪そうな表情をした遠宮が居た。
「遠宮! 荒井さん!」
稲川は上ずった声を出す。
思わず2人に駆け寄れば、幸いどちらにも外傷は無いように見えた。
「どこ行ってたの? 大丈夫?」
「わかんない……。なんか気付いたら木の下で寝てて……」
遠宮は苦笑して答える。
チラリと、その視線がカコの方を向いた。
「寝てる間にさ、変な夢、とか……見たかも」
「そうですか」
カコは興味があるのか無いのかわからない相槌を打つ。
少なくとも稲川には、彼女の心情は全く不明だった。
「あの、もしかしてなんだけどさ」
終わりかけた会話を、遠宮は続ける。
「私、下手したら危なかった、みたいな? 感じだったの?」
「さあ」
またもやカコは、温度を測りかねる相槌をひとつ。
だが遠宮も負けじと、さらに口を開いた。
「あ……ありがとう、荒井さん。よくわかんないけど……」
「どういたしまして。こちらへも、どうぞ」
言って、カコが手で示したのは己の隣、何も無い空間。
実際のところは、そこに侃螺が立っているのだが、稲川にも遠宮にも「無」だけが見えている。
ついでに侃螺の零した「おい、私は別に」という言葉も、2人の耳にはまるで入ってはいなかった。
「えっと、ありがとう……?」
それでも、遠宮はカコの誘導に従った。
半信半疑がこれでもかと顔に出ていたが、それでも。
また、ただ見ているだけの稲川も、彼女の行動を変だと指摘する気にはなれなかった。
「では、件のカフェに行きましょう。4人席が空いていると良いですね」
カコはにこりと笑う。
白布のこと、大蛇のこと、苑ノ崎結華のこと……それら全てを、おくびにも出さずに。
かくして、大分減ってしまった自由時間を楽しむべく、彼女らは歩き出した。
結局のところ、何があろうと、今の彼女らは校外学習に来た学生なのである。
空に白布の影は無く、ただ白い雲だけがたなびいていた。




