十
皆が退室して、二人になった。
「御簾を」
土岐野は声に従って御簾を下ろし、愕然とした。
今の声は、どちらの声だったのだろうか。
判然としない。
不安に駆られて、白菊にしか見えない娘を見た。
こっそりと影を用意したものの、こんな風に堂々と人前に出すとは思っていなかった。
ごまかし程度に使うだけだと思っていた。
いずれ、惣右衛門をはじめ一族の者には、打ち明けることになるだろうと。
似すぎている。
身内や、傍に仕える自分でさえも見分けのつかない影。
これからどうなるのだろうと思うと、底知れぬ不安がよぎった。
奥から、もう一つの声がする。
「影、わらわが呼ぶまで部屋に下がっているがよい。目障りじゃ」
鹿の子は立ち上がった。
これで期限の十日を乗り切った。
得意技を使いすぎて、思いのほか疲れていた。
聞きたいことがあったが、答えてもらえないのは分かりきっていた。
鹿の子の世話を命じられて、五葉はほっとしていた。
白菊の傍は、土岐野と一緒でさえ緊張する。
土岐野が鹿の子の訓練をしていた間は、五葉一人で身も細る思いを強いられた。
実際は、鬱憤を晴らす為に食べ過ぎて、太ってしまっていたが……。
鹿の子ならば、どんなに似ていたところで、たかが影。
軽業師の小娘にすぎない。
密命とはいえ気が楽だ。
与えられた部屋に鹿の子が戻ったからには、今後は気を抜ける機会も増えるだろう。
「疲れたでしょう。ゆっくり休みなさい」
気の緩みから気安く声をかけた五葉は、振り向いた視線に背筋を凍らせた。
ほんの十日の間に、この娘は、しぐささえも白雪そっくりになった。
なんという人間を作り出してしまったのだろう。
五葉は、恐ろしいものを見るように、改めて鹿の子に見入った。
「うん、ものすご~く疲れた」
ぼんやりとへたり込んでいる鹿の子を見ても、五葉の気が休まることは無かった。
五葉の見通しは全く甘かった。
白菊の用を言いつけられるのは以前と変わらず、鹿の子の世話が増えただけだった。
その日、白菊の用事で五葉の姿が見えなくなった時、『カノコー』と声が聞こえた。
庭を見ると寿々芽が来ていた。
あれから何度か土蔵に行ったが、その度に寿々芽も窓からやってくる。
いつの間にか、紅王丸を真似て名を呼ぶようになっていた。
鹿の子は、ほくそえんで庭に降り立った。
土岐野も五葉も、ぎょっとした顔で見ることがある。
先日の客も、どの程度の知り合いかは分からないが気づかなかった。
きっと相当似ているはずだ。
今度こそ、紅王丸を喜ばせることが出来そうな気がする。
うきうきと土蔵に向かった。




