### 第6巻 第三章:記憶の幽霊たち
### 第6巻 第三章:記憶の幽霊たち
僕とシノが人々の心へ「共感の回路」を接続しようとしたその時、ネットワークの深淵に異質な波紋が広がった。
それはかつての戦いで消滅したはずの、カイルの残滓だった。いや、もっと正確に言えば、彼がシステムに遺した「否定的な記憶の集積体」が、街の虚無を餌にして実体化し始めていたのだ。
暗い霧のような影が、ネットワークの回路を伝って僕たちを取り囲む。それは形を持たない、どろりとした怨念のようなものだった。
「やはり出てきたわね」
シノが身構える。彼女の姿もまた、僕と同様に揺らめき、存在の輪郭を失いつつある。
霧の中から、かつてのカイルの声が響く。
「愚かな……。人々を虚無から救おうだと? 貴様らが自由を与えた結果がこれだ。彼らは自分自身の無力さに耐えられず、自ら進んで『無』を選択しているのだ。その安らぎを、なぜわざわざ引き裂こうとする」
カイルの言葉には、抗いがたい説得力があった。街の人々が今感じている空虚さは、誰かに押し付けられたものではなく、彼ら自身が獲得してしまった帰結なのかもしれない。
「違う!」と僕は叫ぶ。「彼らは選んでいるんじゃない。ただ、何をどう感じればいいのか、その方法を忘れているだけだ。君がかつて彼らから、音楽という『感情の言語』を奪ったからだ!」
「言語か。ならば、その言語自体を完全に消し去ってやればよい。記憶も、執着も、痛みも。すべてを無に帰せば、世界は完璧な静寂に包まれる」
影が巨大化し、街の全域を飲み込もうと膨張し始める。それはカイルが遺した最後のプログラム――世界中の人々の心から「音楽」という概念そのものを永久に削除するための、抹消コマンドだった。
周囲の景色が、音のないモノクロームの世界へと塗り替えられていく。
人々の心から、音楽の欠片が一つ、また一つと引き剥がされていく感覚が、僕の神経に直接突き刺さる。
「レイ、このままじゃ……彼らの魂が、本当に消えてしまう!」
シノが僕の背中を支える。
カイルの影が、僕たちの核を狙って手を伸ばす。彼は僕たちの「共感の回路」を逆流させ、僕たち自身を虚無へと引きずり込もうとしていた。
戦うしかない。かつての師との因縁に、もう一度だけ決着をつけなければならない。
だが、今の僕たちには物理的な力はない。あるのは、ただシノと僕が共有してきた、この痛みと、そしてほんの少しの温かい記憶だけだった。
「シノ、僕たちの記憶を武器にする。彼に『消せないもの』があるということを、証明するんだ」
僕たちは、カイルの影が作り出す虚無の闇の中へと、敢えて深く飛び込んでいった。
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