六.噂
僕は突然の電話に慌てた。メール、アプリでの連絡ができなくなり、知り合いは困っているだろうなと思っていたが、どうしようもなく放置していた。電話番号を知っている人は少ない。誰だ?
加藤礼二
着信をみて驚いた。先輩だった。
「よお、山下。生きてるか?」
様子が気になって電話したという事だった。SMSで多少のやり取りはしていたが、久しぶりの声には懐かしさが込み上げた。相変わらずの、ずけずけと容赦ない先輩だったが、僕はとりとめのない会話を楽しんだ。不意に先輩の声のトーンが下がった。
「お前の臨床実験ことだが、妙な噂を耳にして、どうしても伝えておきたくってな」
(噂?)
いつになく真剣な先輩の声に僕は息を飲んだ。
*
ファミレスに着くと、先に座って待っていた先輩が手を挙げた。
「久しぶりだな。前より顔色が良くなったんじゃないのか?」
先輩が大きなおなかをさすりながら、以前のようにニヤリと口をゆがめた。その顔を見て、僕はうれしさと反面、申し訳なさで襲われた。頬が少しコケ、やつれたその表情は激務に追われているのが想像できた。
「お久しぶりです。仕事の事はご迷惑おかけして、すいませんでした」
「気にするな。それより、来るのが遅いから、既にラーメンをくっちまったよ」
ポンポンとお腹をさする先輩に、僕はいつもの通り苦笑いを浮かべて席に着いた。しばらく雑談をした後、加藤は届いたギョーザを口に運びながら、おもむろに話題を変えた。
「で、例の臨床実験の件。どんな感じだ?」
どうしてそんなに気になるんだろう。僕は少し不思議に思いつつも、現状を説明した。ふーん。加藤は爪楊枝をくわえながら首を傾げた。
「何か気になる事でもありますか? 僕は気分転換もできて、とてもいい経験だと思ってるんですが」
珍しく迷った風に黙り込む加藤に、僕は眉をひそめた。ズバズバと物をいう先輩にしては珍しい。
「まあ、気になる噂を耳にしてな」
(噂……)
そういえば電話でもそんなことを話していた。
「まあ、あくまでも聞いた話なんだが。デジタルデトックス。一年ほど前、臨床実験に参加した若者が自殺したらしい」
(自殺?)
僕は背筋がひやりと凍った。
「あれから俺も多少気になってな……そんな大掛かりな実験。何かネットで記事が出てるはずだと散々しらべたよ」
ネットで検索。はたと気づいた。そういえば自分は一度も検索をしていない。普段であれば気になればすぐに調べている。しかし、今回は場合なだけにやっていない。僕は先輩の話に耳をそばだてた。
「キャンプや旅行はヒットするが、お前のように個人を対象にしたデジタル断は見当たらなかった。そもそも相当な技術的要素を必要とするぞ。飴玉に埋め込まれたマイクロGPSでネットを遮断する? 軍事用で研究されている可能性はあるかもしれんが、一般にはそんなデバイスは流通していない」
先輩の真剣な顔に、突然、僕は何か深い闇に沈んでいくような恐怖を感じた。先輩の顔がすっと曇った。
「さっきの自殺の件だ。これを見ろ」
机に置かれた紙を見て僕は息を飲んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最近、若者の間で「デジタル断」という、ネットから離れる行動が広がっています。あるケースでは、若者がすべてのオンラインコミュニケーションやソーシャルメディアを断ち切った結果、極度の孤独感や絶望感が増して自殺に至ったと報告がありました。専門家は、利用時間を減らすことは有益であるものの、サポートや準備なしに離れることは、孤立感を増幅させ、精神的問題を悪化させる可能性があると強調しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「アメリカ・カリフォルニア州の医療機関の記事だ」
僕は呆気にとられた。海外とはいえ、こんなことが実際に起こっているなんて。
「後、これも見つけた。こっちは日本の事だ」
加藤は続けて9chと書かれた紙を置いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>日本でもついにでたらしい
>デジタル断が原因で彼の孤独感が悪化したんだろうな
>家族や友達が支えていれば、こんな悲劇は防げたかも
>デジタル断は良いことのはずだったのに、なぜこんな結果に…
>死ぬ間際、彼はあっちの世界で生きるとかいってたようだ
>まじで、それやばくね
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
唖然とする僕を前にして先輩はうなずき続けた。
「記事に関しては海外の例だが楽観視できない。9chに至ってはあくまでも噂だ。だがお前が今置かれている状況。非常に危険な状態であることには変わりない。気をつけろ。実験だか何だか知らんが、こんな下らんことに巻き込まれたお前には同情しかないが、決して絶望だけはするなよ」
少し憂いを帯びた表情で見つめる先輩をみて、思わず涙が溢れ出た。ここまで心配してくれているなんて。
「だが……」
先輩がうーんと手を伸ばして欠伸をした。
「お前を見ていると杞憂な気がしてきた。顔色もよさそうだしな。後三週間か。まあせいぜい楽しめ。終わった後はみっちりしごいてやるからな」
ガハハと大笑いする先輩を僕は唖然と眺めた。
*
ファミレスからの帰り、先輩に言われた事を思い出し不安に襲われながらも、ぼんやりと歩いていた時だった。ぽつぽつとした雨。
(やばい、傘持ってきてなかった)
家まではあと十分程。速足で歩いてた時、ふと前方に違和感を感じた。白い、ぼんやりとした、丸いふわふわした綿のような〝〇〟
(なんだ?)
突然に表れたその場違いな物体に、立ち止まり僕は唖然と眺めた。
「フフフ」
女、少女の声。
(誰だ?)
慌てて僕は周りを見回した。声は〇から聞こえていた。
「ガートラント。首尾よく召獣の小指を手に入れた事は褒めてやる。次は親指だ」
(まさかこの声は……)
僕は唖然とその場に立ちすくんだ。燃えるような紅い髪をなびかせた少女が前に立っていた。
(ばかな、マハジャル・ダ・シン……)
これは幻か? 僕は目をこすったが、彼女はにやりと口をゆがめて微笑んでいた。雨が激しくなってきた。行きかう人々は鞄を頭に必死に帰路を急いでいる。
「なんじゃ。わしの顔に何かついておるか? それともまた、見とれておるのか?」
(何を)
思わず顔をそらした僕はふとどこかで同じような事があったのを思い出した。
ファイナルクエスト
召獣の五指を持ち帰ったあの日。
(何がいったいどうなってる)
ずぶ濡れの中、僕は呆然と彼女を見つめた。
*
「デジタルデトックスはどうですか?」
牧本静香はにこやかにチラシを行き行く若者に配っていた。雨は激しさを増してきた。
(そろそろ限界かな)
ため息をついた時、ふと前方にずぶぬれになって立っている若者に気づいた。
(あれは……この間の)
一瞬まよった牧本は意を決して若者の元に向かった。
*
牧本は山下の顔をみて驚いた。目を見開き、瞬きもせずに前方を凝視している。視線の先を見た。特に何も見当たらない。迷ったが声をかけてみた。
「あの、山下さん……」
返事がない。まるで牧本などそこにいないように前を見ている。何かおかしい。牧本は不安に襲われた。あの時の山下の悩んだ顔。何かのトラブルに巻き込まれている様子に少なからず自らの責任も感じていた。
「山下さん? ちょっと、山下さん!!」
ぎょっと周りの人が二人を注視した。恥ずかしくなってうつむいた牧本を、山下が虚ろな表情でみた。
「あ……どうも、お久しぶり……です」




