東観漢記、呉漢伝後
17.
序曰:自古異代之忠,其詳不可得聞也。已近觀大漢高祖、世祖受命之會,建功垂名之忠,察其屈伸,固非鄉舉里選所能拔也。吳漢起鄉亭,由逆旅假階韓鴻,發筴彭寵,然後遇乎聖王,把旄杖鉞,佐平諸夏,東征海嵎,北臨塞漠,西踰隴山,南平巴、蜀,遂斬公孫述、延岑、劉永、董憲之首,斯其跨制州域,竊號帝王,章章可數者。熛起糜沸之徒,其所灑掃眾矣。天下既定,將帥論功,吳公為大。覽其戰剋行事,無知名,無勇功,令合於孫、吳。何者?建武之行師,計出於主心,勝決廟堂,將帥咸承璽書,倚威靈,以治剋亂,以智取愚,其勢然也。及漢持盈守位,勞謙小心,懼以終始,勒功帝佐,同名上古,盛矣哉!
(訳)
序にいう、
古来より異代(違う時代)の忠義は
その詳細を聞くことはできない。
近代以降、大漢の高祖や
世祖の天命を受けた機会、
功績をたてて後世に
名を残した忠義(のある部下?)を観、
その屈伸を察するに、
もとより郷挙里選で
選抜され得るような者ではなかった。
呉漢は郷や亭から身を起こし
逆旅に由り(南陽から離れて)
仮初に韓鴻(更始の使者)をたより、
彭寵に筴を発して
然るのちに聖王に巡り会った。
(白)旄を手にして(黄)鉞をつき、
中原の各地の平定を補佐して
東は海嵎へ征き、北は塞漠に臨み、
西は隴山を踏み越え、南は巴・蜀を平らげて
遂には公孫述・延岑・劉永・董憲の首を斬り、
かくして彼の跨り、掣肘する州の領域は
帝王の号を窃む(我がものとする)
ほどにまでなり、明明白白と
糾弾する事もできたのである。
釜の中の粥のように混乱した徒が
一挙に巻き起こり
その中で灑掃される者も多かった。
天下が平定されたあと、
将帥が功績を論じれば
呉公(呉漢)が第一であった。
その戦勝や行事を覧るに
著名となる事や勇ましき功績は無かったが
孫・呉(たぶん孫武と呉起)と
同列にされたのは何故だろうか。
建武(光武の御世)の出征は
主君の御心より計略が出て
勝ちを廟堂に決しており、
将帥は咸璽書を承けて威霊をたのみとし、
治を以って乱を平定し
智を以って愚を取り、
その勢いは歴然たるものであった。
呉漢が盈満を保持して位を守り、
労して誇らず、気持ちを肥大化させず、
恐縮を徹底したことで
帝王補佐の功績をきざみ、
上古と名声を同じくしたことは、
盛事であるかな!
(註釈)
斯其跨制州域,竊號帝王,章章可數者。熛起糜沸之徒,其所灑掃眾矣。
のとこと最後が訳不安だけど、
ようは謙虚な姿勢がよかったんだね。
これにて呉漢伝を終わります。




