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淡々後漢書  作者: ンバ
第十八、呉漢伝
90/102

十・十一、戦わずして勝つ!/董憲討伐

10.

明年,又率陳俊及前將軍王梁,擊破五校賊於臨平,追至東郡箕山,大破之。北擊清河長直及平原五里賊,皆平之。時,鬲縣五姓共逐守長,據城而反。諸將爭欲攻之,漢不聽,曰:『使鬲反者,皆守長罪也。敢輕冒進兵者斬。』乃移檄告郡,使收守長,而使人謝城中。五姓大喜,即相率歸降。諸將乃服,曰:『不戰而下城,非眾所及也。』

(訳)

明年(28)、また陳俊及び

前将軍の王梁を率いて

五校の賊を臨平に撃破し、

追撃して東郡の箕山へと至り

これを大破した。


北のかたに清河の長直及び

平原の五里の賊を撃ち

これらをすべて平定した。


時に鬲県の五姓が

共に守衛の長官を逐いやり

城を占拠して反逆していた。

諸将は争ってこれを攻めようとしたが

呉漢は聴き入れず、こう言った。


「鬲を反逆させた事は全て

守備の長の罪である。

敢えて軽々しくも侵犯して

兵を進めようとする者は斬る」


そこで檄文を移して郡に告知して

守備長を捕えさせ、

人を遣わして城中に謝罪した。

五姓は大いに喜び、

即刻互いを率い合って

帰順、投降してきた。


諸将はかくて感服し、こう言った。


「戦わずして城を下すとは、

衆人の及ぶところではない」


11.

冬,漢率建威大將軍耿弇、漢忠將軍王常等,擊富平、獲索二賊於平原。明年春,賊率五萬餘人夜攻漢營,軍中驚亂,漢堅臥不動,有頃乃定。即夜發精兵出營突擊,大破其眾。因追討餘黨,遂至無鹽,進擊勃海,皆平之。又從征董憲,圍朐城。明年春,拔朐,斬憲。事已見劉永傳。東方悉定,振旅還京師。

(訳)

冬、呉漢は建威大将軍の耿弇こうえん

漢忠将軍の王常おうじょうらを率いて

富平、獲索の二賊を平原に撃った。


明年(29)春、賊が五万余人を率いて

夜に呉漢の陣営を攻めてきたため

軍中は驚き、混乱してしまったが、

呉漢は兵を勒えて動かず

しばらく経ってから

ようやく落ち着いた。


当夜に精兵を徴発して

陣を出て突撃し、その部衆を大破した。

そこで残党を追討し

かくて無塩むえんまで至ると、

渤海ぼっかいへ進撃して

これらを全て平定した。


一方で、董憲とうけん征伐に従軍して

朐城を包囲した。


明年(30)春、

朐を抜き、董憲を斬った。

この事は已に劉永伝に見える。


東方を悉く平定すると

軍旅をととのえて京師へ帰還した。



(註釈)

長安の赤眉は馮異ふういが激闘の末に降し、

劉永の残党の張歩は

耿弇こうえんが虚々実々の駆け引きで撃破。

秦豊戦は岑彭しんほうが計9万を斬首する戦果をあげ

呉漢は富平、獲索(いずれも盗賊集団)、

そしてもと赤眉の董憲とうけんを破る。


みんな用兵にも

兵法にも長けてるもんだから

敵さんからしてみれば

たまったもんじゃないよなぁ。


漁陽太守の彭寵や

幽州牧の朱符の反乱もあったけど

東方の事をあらかた片付けた

(全部とは言っていない)

光武帝陣営は、隴西の隗囂かいごう

巴蜀の公孫述こうそんじゅつを図る。


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