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淡々後漢書  作者: ンバ
第十八、呉漢伝
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88/102

七・八、諸賊討伐

7.

光武北擊群賊,漢常將突騎五千為軍鋒,數先登陷陳。及河北平,漢與諸將奉圖書,上尊號。光武即位,拜為大司馬,更封舞陽侯。

(訳)

光武帝が北の賊どもを撃った際に

呉漢は常に突騎五千を率いて

軍の先鋒となり、

幾度も真っ先に乗り込んで

陣営を陥落させた。


河北《かほく》平定に及んで

呉漢と諸将は図讖を奉じて

尊号に上らせようとした。

光武帝が即位すると

大司馬に拝され、

舞陽《ぶよう》侯に改封された。


8.

建武二年春,漢率大司空王梁,建義大將軍朱祐,大將軍杜茂,執金吾賈復,揚化將軍堅鐔,偏將軍王霸,騎都尉劉隆、馬武、陰識,共擊檀鄉賊於鄴東漳水上,大破之。降者十餘萬人。帝使使者璽書定封漢為廣平侯,食廣平、斥漳、曲周、廣年,凡四縣。復率諸將擊鄴西山賊黎伯卿等,及河內脩武,悉破諸屯聚。車駕親幸撫勞。復遣漢進兵南陽,擊宛、涅陽、酈、穰、新野諸城、皆下之。引兵南,與秦豐戰黃郵水上,破之。又與偏將軍馮異擊昌城五樓賊張文等,又攻銅馬、五幡於新安,皆破之。

(訳)

建武二年(26)春、呉漢は

大司空の王梁《おうりょう》、建義大将軍の朱祜《しゅこ》、

大将軍の杜茂《とも》、執金吾の賈復《かふく》、

揚化将軍の堅鐔《けんたん》、偏将軍の王覇《おうは》、

騎都尉の劉隆《りゅうりゅう》、馬武《ばぶ》、陰識《いんしき》を率いて

共に鄴の東方の漳水の上《ほとり》にて

檀郷の賊を撃ち、これを大破した。

降伏してきた者は十余万人にのぼった。


光武帝は使者に璽書を伝えさせ

呉漢を封じて広平《こうへい》侯とする事を定めた。

食邑は広平、斥漳、曲周、広年の

凡そ四県であった。


再度諸将を率いて

鄴西方の山賊の黎伯卿《れいはくけい》らを撃ち、

河内郡の修武に及んで

諸々の屯集を悉く打ち破った。

車駕は自ずから御幸して慰労した。


今度は呉漢を遣わして

南陽へと兵を進めさせ

宛、涅陽、酈、穰、新野といった

諸城を撃ち、これらを全て下した。


兵を引き連れて南下し、

泰豊と黄郵水の上で交戦して

これを破った。


一方で偏将軍の馮異《ふうい》とともに

昌城県の五樓の賊の張文《ちょうぶん》らを撃ち、

さらに銅馬、五幡を新安に攻めて

いずれも破った。


(註釈)

雒陽進出の足掛かりを作りつつ

引き続き諸賊の平定に当たる、

呉漢は件の烏桓突騎を率いて

常に先鋒となり功を挙げた。


25年に劉秀が皇帝に即位すると

呉漢は軍事の最高責任者である

「大司馬」に任命される。

以降20年、生涯大司馬であった。


翌年には諸将を率いて檀郷を大破し

降伏者は十万を数えるほどの大戦果。


ただ、南陽を通過した際に

呉漢の突騎兵が

略奪を行ってしまったらしく、

この事が原因で

光武帝の身内の鄧奉《とうほう》が

反乱を起こしてしまった。

この事は岑彭伝に詳しい。


呉漢の率いる兵は

破壊力は随一なれど

その実荒くれ者の集団なので、

治安維持能力に関しては

推して知るべしである。


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