二・三、偽りの檄文/質朴なる者
2.
會王郎起,北州擾惑。漢素聞光武長者,獨欲歸心。乃說太守彭寵曰:『漁陽、上谷突騎,天下所聞也。君何不合二郡精銳,附劉公擊邯鄲,此一時之功也。』寵以為然,而官屬皆欲附王郎,寵不能奪。漢乃辭出,止外亭,念所以譎眾,未知所出。望見道中有一人似儒生者,漢使人召之,為具食,問以所聞。生因言劉公所過,為郡縣所歸;邯鄲舉尊號者,實非劉氏。漢大喜,即詐為光武書,移檄漁陽,使生賫以詣寵,令縣以所聞說之,漢復隨後入。寵甚然之。於是遣漢將兵與上谷諸將並軍而南,所至擊斬王郎將帥。及光武於廣阿,拜漢為偏將軍。既拔邯鄲,賜號建策侯。
(訳)
折しも王郎が挙兵し、北方の州は惑乱した。
呉漢はもとより
光武帝が長者であると聞いており、
獨り、帰順したいと考えていた。
そこで、太守の彭寵に説いて言った。
「漁陽、上谷の突騎は天下に聞こえた所です。
貴君はどうして二郡の精鋭を糾合し
劉公に付いて邯鄲を撃たれぬのです、
これこそ一時の功というものでしょう」
彭寵は然りと考えたものの
属官は皆王郎に付こうとしており、
彭寵は決断する事が出来ずにいた。
呉漢はそこで辞去して出てゆき
外亭へとどまると、
衆人を譎す事を想念したが
具体策が浮かばずにいた。
道中に一人の儒者らしき者が
いる事を望見すると、
呉漢は人を遣わしてこれを召し、
彼の為に食事を用意して
聞き知っている所について問うた。
儒者はそこで、劉公の通過した所で
郡県が帰順しており、
邯鄲(王郎)は尊号を挙げてはいるが
実際には劉氏ではない、と述べた。
呉漢は大いに喜び、
即刻光武帝の書簡を偽造して
檄文を漁陽へと移し、儒者を遣わして
(檄文を)齎す名目で彭寵のもとへ詣らせた。
県には(儒者から)聞いた事を
説くように命じて
自身もまた後から参入した。
彭寵はこれ(呉漢の行動)を
実に尤もであると考えた。
こうして、呉漢に兵を率いさせ
上谷の諸将とともに軍を合わせて南下し、
至る所で王郎の将帥を撃ち
斬首していった。
広阿にて光武帝に追いつくと、
呉漢は拝されて偏将軍となった。
邯鄲を抜いた後で
建策侯の爵号を賜った。
3.
漢為人質厚少文,造次不能以辭自達。鄧禹及諸將我知之。數相薦舉,及得召見,遂見親信,賞居門下。
(訳)
呉漢の人となりは質厚で文飾は少なく、
造次(一瞬)の言辞によって
自らを表現する事は不得手であった。
鄧禹及び諸将は自らこれを知ると
たびたび推薦し合い、
引見がかなうに及んで
遂には親愛され、
賞揚されて門下に居した。
(註釈)
邯鄲で王郎が挙兵。
皇族の劉子輿であると称して
名望を集めていた。
光武帝の味方をしたいが
周りはみんな王郎につこうとしている。
そこで呉漢は、光武の檄文を偽装して
漁陽太守の彭寵をノせる事にした。
当初は信都、和成の二郡が
劉秀をサポートしていたが、
呉漢や寇恂の働きかけで
漁陽郡と上谷郡も味方に加わる。
呉漢らの操る
烏桓突騎は破壊力絶大、
耿弇伝によると、
各自突騎二千、歩兵千を率いて
三万人を斬首する大戦果をあげ、
形勢を一気に逆転させた。
用兵や智謀には長けるものの
口下手な呉漢を光武帝に推薦したのは
リクルートの天才、鄧禹。
この時まだ23〜24歳でした。




