東観漢記任光・任隗伝
〜東観漢記、任光伝〜
1.
任光,字伯卿,初為鄉嗇夫。漢兵攻宛,軍人見光冠服鮮明,令解衣,將斬而奪之。會光祿勳劉賜適至,視光容貌長者,乃救全之。
2.
扶柳縣廷掾持王郎檄詣府白光,光斬之於市。
3.
光武平河北,任光伯卿暮入堂陽,使騎皆炬火,天地赫然盡赤,堂陽驚怖,即夜降。
(訳)
任光は字を伯卿、
初め郷の嗇夫となった。
漢兵が宛を攻めると
軍の者たちは任光の冠や衣服が
鮮明である事を見て、
衣服を脱ぐように命じ、
殺してこれを奪おうとした。
ちょうど光禄勲の劉賜が至り、
任光が長者の容貌である事を視て
かくて彼を無事に救い出した。
扶柳県の廷掾が王郎の檄文を持って
役府を詣で、任光に建白すると
任光は市に於いてこれを斬った。
光武帝が河北を平定すると
任光伯卿は日暮れの頃に堂陽へ入り、
騎馬全てに炬火を持たせると
天地は赫然として盡く赤く染まった。
堂陽は恐惶し、即夜降伏した。
〜東観漢記、任隗伝〜
1.
任隗從羽林監遷虎賁中郎將。
2.
建武八年,始置將作大匠,自任隗始。
3.
任隗,字仲和,拜司空。永元初,外戚秉權,朝臣畏竦,莫敢抗省。惟隗與袁安同心合意,數犯嚴諫,舉竇憲并諸黨,免官爭奏。
4.
屯卒,子騰嗣。
(訳)
任隗は羽林監から虎賁中郎将に遷った。
建武八年(32)、
初めて将作大匠が置かれ、
任隗より(専任が?)始まった。
…………
任隗は字を仲和、司空に拝された。
永元年間の初め(89〜)、
外戚が政権を掌握すると
朝臣は畏れ竦み、
敢えて対抗しようと
する者はいなかった。
ただ任隗とともに袁安のみが
同心合意し、しばしば犯忤して
厳正に直諫したので、
竇憲は併合した諸党を挙げて
官を罷免させんと争って上奏した。
…………
任屯が卒すると、子の任騰が嗣いだ。
(註釈)
任光に斬られた廷掾が
扶柳県の人ってこと、
将作大匠が建武八年に置かれたこと、
竇憲が息のかかったやつらを動員して
任隗を潰そうとしてること、
あと任勝が任騰になってることが
相違点かな。
表記揺れ?
続いて25位の李忠伝。




